サモン・サモン・サモン!

永久保セツナ

サモン・サモン・サモン!(1話読切)

「――召喚サモン!」


 左文字さもんじとなうは右手につけた指輪を目の前に掲げて呪文を唱える。

 彼の持つ指輪は、不思議な力を持ったマジックアイテムであった。

 それは輝きを放ち、魔法陣が空中に展開されたと思うと、そこから『何か』が出現する。


「俺を喚んだな、唱!」


 咆哮を上げて唱のために戦わんとするのは、三つ首の魔犬――ケルベロス。

 そう、彼の指に嵌められているのは、魔物を喚び出す力を持った伝説のアイテム――『ソロモンの指輪』であった。


 左文字唱は、実に正直な男である。

 悪いと思ったことは素直に悪いと言うし、正論を唱えて他人から反感を買うこともしばしばであった。

 だから、その日も彼は恐れを知らず、他人から見れば愚かなことをしでかしたのだ。


「田中ァ、昨日言った十万は持ってきたか?」


「む、無理だよ……十万なんて大金、用意できるわけがない……」


「無理じゃねえだろうが! 親の財布から盗むなり親に泣きつくなりして持って来いっつってんだよ!」


「なんなら、妹ちゃんの下着でも売ったらいいんじゃねえの?」


「そ、そんな……」


 クラスのいじめっ子グループがクラスメイトの田中に蹴りを入れ、椅子の倒れるガシャンという音と同時に田中が床に転がる。田中は半べそをかいて悲鳴をあげていた。

 いじめっ子のリーダー、駒木がせせら笑う声が教室にこだまする。

 教室にいる他のクラスメイトたちは、恐れをなして見て見ぬふりをするしかない。

 田中にとっては朝っぱらから絶望的な状況であろう。

 そこに救いの手を差し伸べたのが唱だった。


「田中、大丈夫か?」


「さ、左文字……」


 唱は田中に手を貸して立ち上がらせる。


「なんだよ、左文字。お前、俺たちに歯向かうつもりか?」


「駒木、いじめは犯罪だって知ってるか?」


 唱をにらみつける駒木に、彼は田中を背に隠してにらみ返す。


「俺は人をいじめるのは間違っていると思う。お前が態度を改めないなら、教育委員会に報告してもいい」


「ハッ、それで脅しのつもりか? 残念ながら、俺の親は教育委員会にも顔が利くんだ」


 たしか、駒木の父親は文部科学省の偉い人だと聞いたことがある。

 教育委員会というのは文部科学省に属しているものだから、駒木が親に頼めば、簡単に握りつぶせる、と言いたいのだろう。


「つーか、左文字、前から思ってたんだけどさ――」


 駒木がズイッと唱に顔を寄せ、胸ぐらをつかむ。


「お前、生意気すぎ。こないだも俺に向かって何か言ってたよな。一度、痛い目を見ないとわからないか?」


 駒木が言い終わらないうちに、唱の右頬に衝撃と痛みが走る。

 唱は教室の後ろのロッカーにしたたかに頭をぶつけた。

 殴り飛ばされた、と気づくのに時間がかかるほど、頭が痛くてクラクラする。


「ギャハハ、ザマァ見ろ! 正義マンが調子に乗るからこうなるんだよ!」


「田中ァ、よ~く見てろよ。俺たちに逆らったらお前もこういう目に遭うんだからな!」


 そのあとは殴る蹴るのオンパレード。

 唱はいじめっ子たちにボコボコにされてしまったのであった。


「大丈夫、唱?」


 次に目を覚ました時は、カーテンが自分を囲んでいるのが見えた。

 どうやら保健室に担ぎ込まれて、ベッドに寝かされているらしい。

 幼馴染の少女、美空レミが心配そうに唱の顔を覗き込んでいた。


「頭がガンガンするけど平気だ」


「それ、平気ではないよね。いいから、もう少し寝てて」


 起き上がりかけた唱をレミはため息混じりにベッドに押し戻す。


「まったく、駒木たちったら酷いよね。親の権威を笠に着て、やりたい放題でさ。ああいうのを『虎の威を借る狐』っていうんだわ」


 レミも普段から駒木たちの暴挙にははらわたが煮えくり返っているらしく、ぶすっと頬を膨らませて不満を漏らした。


「でも、唱も唱よ。あんな奴らに何の用意もなく歯向かったら、こうなるの分かってたでしょ?」


「クラスメイトがいじめられてるのを放っておけなかった。そういえば田中は?」


「田中くん――というか、みんなもう帰ったわよ。今はもう放課後だから」


 あの騒動が起きたのが朝のことだから、それから放課後までずっと寝ていたことになる。


「ねえ、唱。これ以上、駒木に逆らったら、今度こそあなた――殺されるかもよ」


 レミは低く小さい声で、震えていた。


「そうかもな」


 唱はポツリと呟いた。


「それでも、俺は間違ったことは間違ってるって言いたい。クラスメイトが嫌な目にあってるのを黙って見過ごすことなんて出来ない。そんなことしたら、死んだじっちゃんに怒られちまうよ」


 彼はそっと、自分の胸元に手を当てた。

 学生服のシャツの下には、亡き祖父の形見である指輪をネックレスに通して首から下げているのだ。


「その、おじいさんの指輪も、学校には持ってこないほうがいいと思う。駒木に見つかったら取り上げられちゃうわ」


「そうだな……本当は校則違反なのもわかってるんだけど、これを身に着けていると勇気が湧いてくる気がするんだ」


 きっと、唱が駒木を恐れずに立ち向かえるのも、この指輪のおかげだと彼は思っている。

 彼にとってはお守りのようなものだ。


「あら、間違ってることは間違ってるって言いたいんじゃなかったの? 校則違反なんかしていいの?」


「む……わかってるよ。でも制服のポケットに入れるくらいならいいかな?」


「学業に関係ないものは持ってきてはいけません! って先生に怒られるんじゃない?」


 レミが茶化すようにわざと明るく声を出し、そのうえ先生のモノマネまでするものだから、唱は思わず笑ってしまった。


 しばらくして、頭の痛みがおさまった唱は、レミと一緒に学校を出て帰宅することにした。

 保健室には怪我をした生徒がいるというのに養護教諭はおらず、この学校のいい加減な様子が見て取れた。

 何しろ、人に怪我をさせるいじめっ子がのさばっているのに、先生たちもノータッチなのだ。


 家に帰るために、教室までカバンを取りに、レミと一緒に向かう。

 しかし、そこには思わぬ光景があった。


「あっ、駒木!? アンタ、もう帰ったんじゃなかったの?」


「なんだ、美空と左文字か。なぁに、左文字のカバンをカッコよくしてやろうと思ってな」


 駒木率いるいじめっ子グループが、唱の机に座ったり肘を置いたりしてニヤニヤしている。

 唱のカバンは、カッターナイフでズタズタに傷がつけられていた。


「ひどい! なんでこんなことするのよ!」


「そいつが俺たちに逆らうのが悪いんだろ。美空もそんなやつ見捨てちまえよ。次はお前のカバンもお洒落にしてやろうか?」


 それでカッと頭に血がのぼったらしいレミは、駒木にツカツカと歩み寄る。


「おい、よせ、レミ!」


 唱が止めようとするが、一歩遅かった。

 レミはバシッと駒木の頬に平手打ちをかましたのである。


「て……っめぇ、このクソアマ! やりやがったな!」


 駒木も頬を張られて逆上したらしく、レミの手首を掴む。


「おい、この女の服を脱がしてやれ! 俺たちに歯向かったやつがどうなるか、コイツにも思い知らせてやる!」


「ちょっと何すんのよ! 触らないで!」


「レミ!」


 これ以上はレミを危険に晒せない。暴力に訴えてでも止めなければ。

 唱はとっさにネックレスを引きちぎって、メリケンサック代わりに指輪を人差し指に嵌めた。

 そのときである。


『――唱、唱! 俺の声が聞こえるか!?』


「……!?」


 唱は動揺した。

 指輪から声が聞こえたような気がしたのである。


『唱! 指輪をした指を相手に向けて、「召喚サモン」と唱えるんだ!』


「え? なんで……お前は誰だ? なんで指輪から……」


『いいから早くしろ! お前の友達がどうなってもいいのか!』


 そうこうしている間にも、レミのスカートに手がかけられ、今にも下に引き下ろされそうになっている。

 考えている時間はなかった。

 指輪を嵌めた人差し指を駒木に向けた。ちょうど、手で銃の形を作っている。


「――召喚サモン!」


 唱が叫ぶと、人差し指に嵌めた指輪が光り輝き、指先から光の魔法陣のようなものが出現した。

 その魔法陣から、『何か』がズズズ……と姿を現す。


「俺を喚んだな、唱!」


 それは、黒い犬の姿をしていた。


「あ? おい、なんだその犬っころ」


「どこから出てきたんだ?」


 駒木たちはキョトンとしている。

 どうやら、彼らはこの犬らしきものが出てくる瞬間は見えなかったらしい。

 それよりも、唱はこの犬のようなものが人語を解しているのが気になった。


「おい、誰が犬だって?」


 黒犬の姿をしているそれは、人語を話して駒木たちに牙を剥いているのである。


「いや、どう見ても犬だろ……」


「い、犬が喋ってる……?」


 駒木たちは目に見えて戸惑っていた。


「犬じゃねえ! 俺は、誇り高きケルベロス様だ!」


 ――地獄の番犬とも言われる恐るべき魔犬、ケルベロス。


(コイツが……?)


 唱だけでなく、その場にいる全員がそう思っていた。

 どう見ても、その姿は黒くて小さなポメラニアン。

 恐ろしさなど皆無なのである。


「フン、どいつもこいつも俺様を舐めきってやがるぜ。唱、指輪の力で俺の真の姿を解放してやれ!」


「え、どうやって――」


 唱が疑問を差し挟む前に、指輪が再び輝いた。


「唱、次は『解放リリース』と叫ぶんだ」


「り、解放リリース……?」


 唱の疑問符混じりの言葉にも、指輪はきちんと反応した。

 ケルベロスを名乗る黒犬が突如、黒い炎のようなものに包まれ、それが膨らんで発散すると、それは教室の天井に頭が届くほど巨大な三つ首の獣になっていたのである。

 犬種としてはポメラニアンからドーベルマンに近い姿に変わっている。


「ヒッ、ヒィイ!?」


「化け物!?」


 駒木たちはすっかり肝を潰してその場に腰を抜かす。


「ああ、人間の反応はこうでなくちゃな。実に気分がいい」


 ケルベロスは満足気にいじめっ子たちを見下ろしてニヤリと笑う。

 笑うとズラリと並んだ牙が見えて、さらに駒木たちがビクビクと震え上がった。


「さあ、唱。俺に命令するといい。お前が望むなら、コイツらみんな、ペロリと食っちまってもいいぜ」


「ああああ! 助けてくれ、左文字!」


「嫌だ、こんなのに食われて死にたくない!」


 ガタガタと震えが止まらず、駒木に至ってはとうとう失禁してしまったらしい。学生服のズボンの股が濡れて、それが広がっているのが見えた。

 しかし、唱は首を横に振る。


「ケルベロス、俺はそこまで望んでいない」


「へえ〜、そりゃお優しいこって。じゃあコイツらどうする? 食うのがダメなら冥界に連れてって、永遠の苦しみを味わわせるのもいいかもな」


 ケルベロスはいかにも愉快そうにゲラゲラと笑う。

 三つの首、すべてがゲラゲラと笑っているのだ。

 その奇怪な光景を見て、とうとう駒木たちは気絶してしまった。


「ほら、これで終わりだ。今のうちにカバンを持って学校を出よう」


「ヒヒッ、ちっと脅かしすぎたかね?」


 ケルベロスは再び黒い炎に包まれたかと思うと、今度は体が萎み、元のひとつ首の犬の姿に戻った。

 唱は放心状態のレミを連れて、学校から飛び出した。


「――今のは――なんだったの?」


「俺にもよくわからない。でもケルベロス、指輪の中から俺に話しかけたのはお前だな?」


「ああ、ようやくこうして直接、俺の新しいご主人様にお目通りが叶ったってわけだ」


 ケルベロスが喋るたびに謎が増えていくので、唱は帰り道を辿りながら、ひとつずつ質問することにした。


「お前はなんなんだ?」


「地獄の番犬、ケルベロス。今はワケあってその指輪に封印されているがね」


「この指輪はなんなんだ?」


「どうやらその様子を見るに、爺さんから何も聞いてねえみてえだな」


「そう、これはじっちゃんの形見だ。でもじっちゃんはお前みたいな魔物が封印されてるなんて、生前にはちっとも話してくれなかった」


 唱は自分の右人差し指に嵌めた指輪を眺める。

 銀でできている他には、黒い帯のような模様が入っているシンプルなデザインだ。それこそ、その辺の指輪に混じっていても分からないだろう。


「唱、爺さんの形見の中に、分厚い本はなかったか?」


「本? ああ、あの白紙だらけの分厚い自由帳みたいなやつか」


 覚えがある。革張りの表紙だが、中身はほとんど何も書かれていない。多少RPGのモンスターのような絵が描かれており、祖父のお絵描き帳なのだろうかと思ってそのままにしていたのだ。


「あれは魔導書グリモワールだ。封印した魔物の情報が自動的に書き込まれていく。間違っても落書きなんかするんじゃねえぜ」


「ぐりもわ……?」


「ハア、何も知らねえやつに一から説明するのは根気がいるな……。とにかく、俺はお前の持つ指輪に封印されていて、魔導書にも俺の記載があるはずだ。お前はその『ソロモンの指輪』と魔導書を使って、これから爺さんの跡を継いで戦わなきゃいけねえんだよ」


「戦う……? なにと?」


「人間界を侵略しようとする、魔界の軍勢だ」


 ケルベロスの言葉に、唱は思わずレミと顔を見合せてしまった。


「ま、魔界の軍勢……? 唱に、魔物と戦えっていうの?」


「実際に戦うのは俺みたいな指輪に封印された魔物だ。唱はただ、召喚と力の解放をしてくれりゃいい。楽な仕事だろ?」


「唱、そんな危険なことしなくていいわよ。そもそも魔界から侵略者が来るなんて、そんな夢物語みたいな話……」


「ほう? じゃあお嬢ちゃんは俺の存在をどう捉えてるんだ?」


「そ、それは……」


 レミとケルベロスが言い争いをしている中、唱は目を閉じてジッと考えていた。


「その――ソロモンっていうのは、なんなんだ?」


 唱の質問に、ケルベロスはズッコケた。


「おっ、お前ソロモンも知らねえのかよ!? その指輪の逸話も知らねえのか!?」


「知らん!」


「……はあ。この先が思いやられてきたぜ、爺さん……」


 ある種、威風堂々とした唱の態度に、ケルベロスは苦々しくため息をつく。


 こうして、左文字唱は、人間界を守るための戦いに巻き込まれていくのである。


〈了〉

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