第28話 思いやりと畏怖

 アマリアの自宅であるエッセンベルン伯爵家は、かつてないほどの緊張に包まれていた。


 それもそのはず、この国の第一王子であるレオンハーレン・キルシュライトと、その婚約者であり公爵家のご令嬢であるエルメンヒルデ・ハインフェルトが訪れているのだから。


 大慌てで正装して現れたエッセンベルン伯爵夫妻に、レオンハーレンはすまなそうにフードを取り「今日は友人として訪れたのだ」と言い、ヒルデは小麦の粉で白くなった服を手で払い落しながら、「私はお友達とお勉強しにですわ」と言い、どちらも気遣い無用であることをアピールした。


 早速アマリアの自室で勉強会を始めたわけだが、アルフレートの要領の悪さにレオンハーレンは頭を抱える羽目となった。


 アルフレートが教科書をじっと見つめながら言うのだ。


「1+1はどうして大きな1じゃないのかが全然分からない……」


 ある意味大物である。


 助っ人としてベルーノを呼びつける事となり、休日だというのに呼び出されたベルーノは、健気にもレオンハーレンが好む茶葉や茶菓子まで手土産に駆けつけた。


 アルフレートを持て余したレオンハーレンはアマリアに勉強を教え、ベルーノはアルフレートに容赦のない指導の下、勉強を教えるという構図が出来上がった。

 ちなみにヒルデはというと、誰からも教わらずとも十分理解している為、自習をし、分からない箇所があったら聞くという形で学習に励んだ。


 一日があっという間に終わり、別れ際、レオンハーレンの「試験日まで皆、学園内の王立図書館に集まる事!」という鶴の一声で、全員強制的に試験勉強が日課となる羽目となった。

 面倒見の良い男である。


——これから毎日人殺しと顔を合わさなきゃならないなんて、最悪ですわ……。


 ヒルデが憂鬱に思いながら帰宅すると、待ってましたと言わんばかりにやたらと使用人達に笑顔で迎え、いそいそと自室へと誘導された。


——一体何かしら!? いきなり断罪でもする気!?


 使用人達から期待を込めた視線を向けられながら、ヒルデは恐る恐る自室の扉を開いたわけだが、何のことは無い、いつもと変わらぬ公爵家の室内だ。


「お嬢様、こちらが届いております!」


 フローラが立派な花束を抱えて来て、ヒルデは一目でレオンハーレンが選んだあの花束であると気が付いた。


「え……これ、宛先を間違っていないかしら?」


驚いたヒルデに、フローラは「とんでもございません。間違いなく、レオンハーレン・キルシュライト第一王子殿下からの贈り物です!」と、恭し気に頭を下げた。


「どうして私に花束を贈るのかしら?」

「……お嬢様が殿下の婚約者だからではございませんか?」

「爆発しないわよね?」

「するはずがございませんでしょう!」


 ハインフェルト公爵家の使用人からすれば、嬉しい贈り物に違いなかった。自分が使える公爵家の令嬢当てに、第一王子から個人的に贈り物が届いたのだから。

 政略結婚が常である王族は、贈り物といえば形式ばったもので、送り主の指示で使用人が準備をするのが一般的だ。それを王子自ら街に出向いてまで用立てたのだから、特別なものに違いなかった。


「公爵様もお喜びでしたよ。『我が娘の美しさには、流石の殿下もすっかり惚れこんだようだ』と、鼻高々でございました」


 ヒルデにとっては複雑この上ないのは明らかだ。レオンハーレンは、過去でジルを殺せと指示した男なのだから。


 とはいえ、時間が巻き戻っている以上、この事実は無かった事になっているわけで、向けようのないモヤモヤとした蟠りに、苦虫を嚙み潰したような顔をせざるを得なかった。


「……お嬢様、ひょっとして、殿下がお嫌いなのですか?」

「好きでは無いわ」


きっぱりと言い放ったヒルデに、フローラはさぁっと青ざめて、慌てて部屋の扉を閉じた。他の使用人達の耳に入れては拙い話題であると察したからである。

 なんとも優秀な侍女だ。


「そんな花束、要らないわ。どこか別の部屋へ飾って頂戴」


 ヒルデは溜息をついて椅子に腰かけると、窓の外へと視線を向けた。日が沈み、暗くなった外はガラスに室内の光が反射して、気分が滅入っている自分の顔が映り込んでいる。


「私、男性の暴力的な行動が苦手だわ。殿下は……そういう意味ではお優しいところも多いかもしれないけれど、恐ろしいと思うところも沢山あるもの」


一国の王子ともなれば、その身は将来王として君臨し、国を率いる君主となるのだ。優しいばかりでは難しいということは、重々承知している。それでも……。


——どんな理由でも、ジルを殺した事だけは絶対に許せない。

 彼が一体何をしたというの? 裏切ったのは私であって、ジルは何も悪くなんかないのに。

 理由も聞かずに、あんな酷い事を……!


「お嬢様。力とは使いようでございます。力が無くては、大切なものを守りたくても守れません」


 フローラは労わる様に言葉を放った。だが、ヒルデは受け入れる事ができなかった。


「でも、人を傷つけてしまうのなら、そんな力は無い方がいいわ!」


——お父さんは、その強い力で私を傷つける事しかしなかったもの!!


「どんな理由があっても、暴力は絶対にいけないことだわ!」


 愛莉として生きた経験が、あまりにも残酷過ぎたのだ。そしてヒルデとして生きた後も、大切な存在であるジルを奪った『暴力』を、尚更に恐れてしまっている。


 ジルがヒルデの前から姿を消したのは、そういった事情を理解していたからだ。


 ヒルデを救う為であるとはいえ、アマリアとアルフレートの命を奪った自分を、彼女は赦す事ができず、確実に畏怖する。

 そんな瞳を見てしまったのなら、ジルはヒルデを傷つけてしまった自分を呪い、悲しみに暮れることだろう……。


 ジルだけではなく、レオンハーレンやベルーノが、ヒルデを愛するが故に人の命を奪う結果となっているという理不尽さから、遠ざけたかったのだ。


 だが、ヒルデはそんなジルの気持ちを知る由もない。ただただ、ジルを奪ったレオンハーレンとベルーノの二人が恐ろしくて、憎くて堪らないのだ。


——ジルはきっと、暴力を振るう人間そのものに嫌気がさしたんだわ。だから私の事も嫌いになってしまったんだわ!


 怯える様に震えるヒルデに、フローラは静かに言葉を吐いた。


「……価値感は、人によって違うものでございます。もしも私がお嬢様をお守りする為に、悪漢を切り殺さなくてはならないのだとしたら、私にとって悪漢よりもお嬢様の方がずっと大切ですから、その為には躊躇なく悪漢を傷つけることでしょう。そうしたら、お嬢様は私を恐れて、お嫌いになるのですか?」


 ヒルデは慌てて振り返ると、フローラに「そんなこと無いわ!」と、叫ぶ様に声を放った。


「貴方は厳しい時もあるけれど、いつも私を思いやってくれるもの! 私を思いやってしてくれた事なのに、嫌いになんかならないわ!」

「殿下も、同じですよ」


フローラはレオンハーレンが贈った花束をヒルデに差し出した。

 街の花屋で、熱心に、そして丁寧に一輪ずつ選んでいた彼の様子が脳裏をよぎる。


 花束を見つめるヒルデに、フローラは更に言葉を続けた。


「殿下は、この王国が始まって以来のお優しいお心をお持ちの方と聞き及びます。国を憂い、民を守る為、時には厳しく断罪する事もございましょう。その度にお優しい殿下はそのお心を傷つけておいでなのです。この花束をご覧くださいな。思いやりの御心が無ければ、決してこのような素敵な花を選ぶ事などできませんでしょう?」


『どうしても自分で選びたくてな』


 レオンハーレンは第一王子という立場を隠し、忍んでまで自ら街に出向いた。生徒会長として学園の風紀に目を光らせ、規律を重んじる彼にとって、簡単な事では無かったはずだ。


 生き生きと咲くピンクのチューリップと、赤いラナンキュラス。花言葉は『愛の芽生え』『誠実な愛』。そして、『貴方は魅力に満ちている』。彼のことだから、その花言葉も熱心に調べていたに違いない。


——ジルを殺した彼を赦す事なんかできないし、恐ろしいと思う気持ちは簡単に払拭できないけれど、優しい一面もあるのだということは理解できるわ。


『ずっと、そなたの身を案じていたのだ』


 そう言って、寂しげに向けたレオンハーレンの紺碧色の瞳は、決して嘘をついている様には見えなかった。


——お父さんは、私が入院した時も、一度だってお見舞いに来てくれなかった。


「……ごめんなさい、フローラ。殿下が贈ってくださった花束を、花瓶に生けてくれるかしら」

「はい、勿論でございます!」


 フローラは嬉しそうにお辞儀をすると、いそいそと部屋から出て行った。


——初めて受け取る花束は、好きな人からが良かったけれど。贅沢は言えないわね。


 ヒルデは小さく微笑むと、溜息をついた。

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悪役令嬢エルメンヒルデの不幸 ふぁる @alra_fal

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