【実際にあった怖い話】向かいの家に立つ男

光星風条

向かいの家に立つ男

 これは私が小学一年生のとき、実家で実際に起こったできごとだ。


 実家は田舎の小さな住宅地にあった。山の中の町ということもあって坂が多く、実家の裏手側が崖で低くなり、向かいに並ぶ家の裏手側にも崖があって高くなり、ちょうど三段ある土地の中間に住宅地が建っていた。


 住宅地は古く、二十年以上は住み続けられている家がほとんどだった。しかし、そんな中でも人が居着かない家があった。その家は実家から道路を挟んで左斜め前にあった。


 そこはあまりに人が居着かないので、近所では噂になっていた。その噂の一つが、裏の崖がよくないというものだった。確かにその崖はいつでも何か薄暗く、近寄りがたい雰囲気があった。近所の人の中には、高いお金を払って二度もお祓いをしてもらったという人もいるほどだった。しかし、その崖は他の家の裏側にも同様に伸びているため、その家にだけ人が居着かない理由は分からなかった。


 夏頃、その家に小川さん一家が引っ越してきた。家族構成は旦那さんと奥さん、姉と弟の四人家族。私とその弟は歳も近く、近所に子どももいなかったので、すぐに仲良くなり、次第に家族ぐるみの付き合いになっていく。互いの家で食事をしたり、風呂に入ったりしたこともあった。


 しかし、私はその家に入るたびに、いつも不安に襲われた。なぜなら、昼間でもずっと薄暗かったからだ。裏に崖があるせいで、日の光が入りづらいということはあったろうが、それでも異常なほどに薄暗かった。

 特に弟がトイレにいなくなり、二階の広い畳部屋に一人取り残された光景は今でもはっきりと覚えている。特に何がいたわけでもないけれど、あまりに薄暗く、あまりにがらんとしていて、そしてあまりに静かだった。


 その秋。ちょうど、運動会シーズンの頃だった。


 私は母の実家で暮らし、そこには祖父母と、母の姉も一緒に暮らしていた。

 その叔母の仕事帰り、あたりはすっかり暗くなっていた。叔母が車から降り、ふと向かいの家を窺うと、そこに黒い影があった。小川さん家とその右隣の白石さん家とのちょうど中間あたりに黒い影が立っていたのだ。叔母曰く、暗くてよくわからなかったが、すぐに男だと直感的にそう思ったそうだ。


 幸いそのときは何もなく、母と叔母の間であれはいったい何なのかという話になった。そして、ちょうどその頃、白石さんの長男が、大阪の建設現場の事故で、機材の下敷きになって亡くなっているという記事が新聞に載っていた。その長男は白石さんによって勘当されており、もう十年以上帰ってきていなかった。

 それを目にした母と叔母は、白石さんの長男が亡くなって帰ってきたけれど、勘当されているから家の中に入れなくて、あんなところに立っているのではないかと考えた。

 しかし、男の立っている位置が微妙であるが故に、小川さん家か白石さん家か、どちらの霊か明確には分からなかった。


 このときは、危害を加えられるわけでもなく、ただ立っているだけなので、無視をすることで、話題にも上がらなくなった。


 その数日後、母は小川さんの奥さんに呼ばれ、居間でお茶をしていた。話をする内に、まだ寒い時期でもないにも関わらず、母はあまりの寒さに震えが止まらなくなっていた。母は早くこの家から出たいと思っていたが、あろうことかそこでとある話を耳にする。


 それは、小川さんの姉と弟が二階で寝ていると、とある男の人に追いかけられる夢を見るという話だった。二人から話を聞くと、まったく同じ男に追いかけられているようだという。そして、二人とも二階で寝たがらなくなっていたそうだ。


 そんな相談を受け、またしばらく話していると、今度は奥さんの雰囲気がおかしくなっていった。さっきまでは朗らかで穏やかな雰囲気だったのに、急に機嫌が悪くなり、話し方もつっけんどんになる。母はこの時、その話し方と顔つきが男みたいだと思ったという。そして、この頃にはあまりの寒さで手の感覚すら無くなってきていた。


 そんな状況になったことで限界に達した母は、小川さん家を用事があると偽って抜け出した。外に出ると、途端に寒さがなくなり、震えも止まったという。


 母はこれはおかしいと思い、例の立っている男は小川さん家に憑いているのではないかと考えるようになった。


 その晩、母は私を寝かしつけ、叔母の部屋へ行った。叔母の部屋は二階の道路側にあり、窓からちょうど小川さん家が見えていた。母は昼間の出来事について話して聞かせた。


 その瞬間だった。


 突然、道路側の窓がバンッと揺れた。


 それは窓ガラス全体に何か巨大な空気の塊、風圧のようなものがぶつかってきた音だった。そして、母はすぐに呼んでしまったと直感的にそう思ったらしい。


 我が家で最悪の二週間が始まったのはその日の夜からだった。


 部屋は小川さん家のように薄暗く、寒くなった。


 そして、小川さん家に近い方の天井の角に、黒い靄がもぞもぞとし始めた。その靄は、絶えず何かを呟いていてざわざわとし、耳を澄ませば、聞いてはいけない声が聞こえてきそうだった。


 さらに、その部屋で寝ていると金縛りにあった。叔母は姿は見ていないが、背中や足元の敷布団がグッとへこむことで、男がそこに立っているのが分かったという。

 叔母は当然寝られず、毎日布団にくるまり、眠れないまま気づけば朝というのを繰り返していたという。


 始めは叔母の部屋だけだった。しかし、怪異はこの部屋に留まらなかった。数日経つと、家中がザワザワし始めた。階段や廊下を何かが通るようになり、母曰く、時々人の気配がしたという。


 叔母はこの時の印象をこう語っている。家に男のような巨大な塊が覆いかぶさっていて、その本体は叔母の部屋におり、その影のようなものが家中を漂っていると。


 一週間が経ち、叔母はとうとう限界がきて職場でその話をした。そこで、同僚から水晶がいいという話を聞き、すぐに水晶のブレスレットを近所で購入した。その日から、怪異がなくなることはなかったが、自分の周囲だけは守られているような感覚があり、眠れるようにもなったという。


 それからさらに一週間が経ったが、一向に良くなる兆しがない。そこで、菩提寺にお祓いをお願いしようという話が持ち上がった。話す内に、母と叔母は、頼む前に塩を置くことを思い立つ。お仏壇に塩を一晩置き、しっかりと三角の形にして玄関と叔母の部屋の窓の桟に置いた。


 すると、怪異がピタッと止んだ。


 ザワザワという音が止み、家の中に立ち込めた雲が一気に晴れたようだった。叔母の部屋の靄も消え、夜中に男が立つこともなくなった。


 それ以来、我が家ではおかしなことはなにも起きていない。


 結局、男が何だったのかは分からない。母が言うには、小川さんの奥さんがどこかから連れてきてしまった人だということだ。以前、奥さんから、取りつかれやすい体質だと霊感のある人に言われたと、聞いたことがあるらしい。


 しかし、それだけだったのだろうか。確かに、男が立ち始めたのは小川さん一家が越してきたあとだったし、奥さんの性格が男のように豹変するときがあったことを考えると、奥さんが連れてきてしまったと考えるのが自然だ。


 それでも、あの家は元から人が居着かなかった。裏の崖は近所の人がお祓いをするほどに不気味だった。そして、すぐ近所には日蓮宗の開祖、日蓮上人が訪れたという逸話と、上人に関わりの深いお寺や岩も残されている。


 あれが何だったにせよ、あの事件が我が家に与えた影響は大きかった。その証拠に、十年経った今でも、叔母の部屋の窓には向かいが見えないように簾がかけられ、毎月玄関先には塩をまいている。


 そして、叔母の腕には未だ水晶のブレスレットがつけられている。

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