第45話 第三十一偵察死人小隊のリターンチャンス

 上空からはまたしても猛烈な勢いで火炎の爆破魔法弾がメイベルに向かって放たれていた。


 この後の未来を知っている。ノエの視界は一瞬で暗くなった。あたしはまたメイベルを突き飛ばすのか。


 戦場の森は姿を消して、視界を埋めるのは深く、どこまでも落ちるような闇だった。


 目の前にお腹を切り裂かれたメイベルの横たわる姿があった。頭髪は焼け焦げて無くなり、赤黒い肌は火傷による水ぶくれとただれた皮膚から膿が零れ、見るも無残なありさまだった。


 眼球が無くなりくぼんだ穴からメイベルの涙が流れ落ちる。


「どうして助けてくれなかったの……?」


「メイベル、ごめんなさい……」


 自分が望んだとおり、地獄に落とされたのだろう。メイベルの怨嗟の声が脳内に響き渡った。


「あのとき、一緒に居てくれたら……」


「ごめんなさい!」


「そばに居てとお願いしたのに!!」


「ごめんなさい! ごめんなさい!!」


 見るのも辛くて目を背けたくても、瞼の裏でメイベルの痛ましい死体が横たわる。


「あのとき、逃がしてくれれば助かったのに! リターンチャンスなんてありもしない夢を見させて!! 誰も救えるわけないじゃない!!」


 誰も助からなかったという現実だけ残され、深い後悔がノエの瞳から涙となって零れ落ちた。


「ごめ、ごめんなさ、」


 暗い闇の中に淡い光が浮かび上がる。


「ノエ、なぜ私を殺した……?」


「ひぃ……!」


 現れたのは体の半分を斬り裂かれたハロルド小隊長の姿だ。


 むき出しの皮膚から赤黒い血が流れ落ち、ぐちゃぐちゃの臓腑もはみ出して零れていた。


「ごめんなさい……! ハロルド小隊長!! あたしは」


「お前を助けようとしたのに……お前は私を餌にして生き延びた……」


 地獄から這いずるような暗い声だった。ノエを恨み、ノエを憎み、ノエを許しはしないと、血走るハロルド小隊長の片目だけの眼球が訴えかけてくる。


「ごめんなさ、ひっぐ、うぅ、ごめ、ごめんなさ、ごめっ……!」


 謝る以外、泣くこと以外出来ないでいた。


 暗闇の中に、仲間を地獄に落としたのは自分なのだ。


 床に横たわるのは銃弾に倒れたヒッポの姿。引き裂かれたリリエルの姿。炎に焼かれたハスラーの姿もある。


「ノエ……なんで俺たちを見捨てたんだよ……」


「すみません! すみません! あたしが戦えばこんなことには……!」


「お前は一人だけ逃げたんだ……おれたち家族を餌に使って一人だけ逃げた……」


「ごめんなさい! すみませ、ごめんっ、うぅ、ひっぐごめ! ごめんなさい!」


「一人だけ助かって喜んでいるんだろう……裏切り者……」


「ちが、うぅ、違うの……! ごめ、ちが、ごべんなさ、」


 責め立てられ、追い詰められ、怨嗟の声に押し潰され、戦場にいた時と同じように耳をふさいでノエはその場にしゃがみこんだ。


 それでも、森の中とは違う。ここは暗闇だから、自分の心の声を受け止めていた。


 もう誰も助けなんか呼ばない。誰にも縋らない。あたしが背負わなければならない十字架だから。

 

 そう願いながらも、心の奥底では深い森を呼んだのかもしれない。


 涙でぐしゃぐしゃに滲む視界の中、パリンとガラスの割れるような音が響く。


「っ!?」


「悪い!! 遅れた!!」


 飛び込んできたのは深い青。バラバラと弾け飛んだガラスの破片が光を放つ。目の前の景色が一瞬で変わる。メイベルの上に落ちてきていた火炎弾は銀に光る刀身が斬り払った。


 ドゴンっと空中で爆破した火炎の爆破魔法弾。


「きゃああああ! 先輩! ノエ先輩!」


「メイベル……?」


 生きている。メイベルは炎に呑まれることなく、ノエの元へ駆け寄ってきた。


「ノエ、現実を見ろ。ノエを責めているのはノエ自身の言葉だ。ノエが愛した仲間はノエを愛してくれた仲間だろ」


 突然変わっていく過去の光景。仲間という言葉でハッと目が覚める思いだった。


 しかし、メイベルを抱きとめ、リトに声をかけようとしたが、それよりも早く、パッションピンクの人影が空から降ってきた。


「こいつはインビジブルだ! てめぇの面は見飽きたんだよ!!」


 無茶苦茶だ。リトは刀身を薙ぎ払い、着地したばかりの、リリエルではないインビジブルを真っ二つに斬り裂いた。


「お前らもまとめて邪魔だあああああああああっ!!!」


 リトは剣を振り回し、縦横無尽に森の中を駆けずり回った。


 戦車から火の手が上がり、兵士たちはバタバタと倒れていく。

 空も地上も、ノエの家族を狙う敵兵士の姿を蹴散らす度にリトは叫んでいた。


「守るんだよ!! 俺が全部全部守るんだ!! ノエの家族も! ノエの心も!」


 戦車は吹き飛ばされ、あんなにも恐ろしかったライフルも手榴弾も、リトは全て斬り払ってノエの家族を無傷で地上に降ろしてくれた。


「守りたかったんだ!! 今度こそ救いたい!! 怪奇を祓い道を作り最強を望む理由なんてそれだけなんだよ!!」


 心は穏やかでもリトの体も願いも目じりに浮かぶ涙までも熱く熱く燃えていた。


「俺にノエを守らせろおおおおおおおお!!!」


 鬼神の如き強さで戦場を駆け巡るリトの気持ちが痛いくらいに嬉しかった。

 震える手でドックプレートを握りしめる。ノエのために戦う姿を見る度に涙があふれた。



「ありがとう……!」



 ノエの瞳から零れた涙は透明で、初めて心からリトに感謝の気持ちを声で伝えていた。


 やがて木々も切り払われ、燃えていた場所も綺麗に鎮火され青空の下で草をのびやかに揺らした。


 気が付けば、森そのものが無くなり、目の前に広がるのは柔らかな草の絨毯が広がる光景。


 その上に仲間たちの姿がある。リトが今度こそ守り抜いてくれた家族たち。

 日の光を浴びて、無傷のまま、生きている仲間たちの姿だ。


「……ヒッポ、ハスラー、リリエル」


 名前を呼ぶと、彼らはノエの姿に気が付いて駆け寄ってくる。恨みも憎しみもなかった。微笑みを浮かべながら駆けてきてくれた。


「ノエ! メイベル!」


「がははは! みんな無事か!」


「おれは勝利にしか賭けねぇぜ!」


 そして、ゆったりとした足取りでノエに歩み寄り、最後に微笑んだのは、


「ハロルド、小隊長……!」


「おいおい泣くな。皆が無事で何よりだ」


 わんわんと声を上げて泣いた。赤子のように、聞き分けの無い子供のように泣きじゃくった。


「うわああああああああああああん!! ああああああああああああああああん!!」


「ちょっと、ちょっと先輩、私より大げさに泣かないでくださいよ」


 わかっている。この温もりも、この笑顔も、みんなの無事な姿は全て夢だ。


「ごめんなさい! ごべんなしゃい!! あたしずっと!! うわあああああああん!」


「ノエはなんで謝っているんだ?」


「リリエル、貴様ついに私の可愛いノエに手を出したか……!」


「うわあああ! 銃剣は勘弁してください! 誤解だ!!」


 夢の中だけど、彼は守ってくれた。守ってほしかったものを守り通してくれた。


「あはは! リリエル先輩ばっかみたい」


「わはははは! 逃げろ逃げろ」


「おれは逃げ切れないに賭けよう」


 もう一度、やり直してくれた。夢のように、天国のように明るい場所へ導いてくれた。


「ひっく、ぐす、メイベル、本当にごめんね。あたし、ちゃんと最後まで守ってあげられなかった」


 夢の時間は終わる。夢は夢だと気付いたとき、現実が目覚めるから。


「何言ってるんですか。私は生き返ってよかったですよ。例えもう一度死んだとしても、一緒に同じ夢を見て、これまでみんなと過ごした記憶が私の宝物でしょう」


 自分は今までなんてひどい妄想に憑りつかれていたのだろうか。


 ノエが愛した仲間たちは、ノエを愛してくれた家族のみんなは、ノエを恨むはずがない。


 気が付けば草原の向こうにも死んでいった小隊の仲間たち、総勢三十九名が笑顔でノエにエールを送ってくれていた。


「ノエ! 頑張れよ!」


「俺たちの分も楽しむんだぞ!!」


「リターンチャンス、活かせよな!」


 逃げ回っていたリリエルがノエのそばまでやって来ると、頭をぽんと軽く叩く。


「今まで楽しかったよ。それと、本気で好きだった。ありがとな」


 大笑いしていたヒッポもノエからメイベルを受け取って抱き上げ、大きな手のひらでノエの頭を撫でる。


「ノエはおっちゃんたちの大事な宝物だ。残しておくから大事にしろよ」


「ヒッポ、リリエル、あた、あたしも、うぅ、だのじかっだ! ずっと、楽しかった!!」


 涙を指先で拭ってくれたのはハスラーだ。


「おれたちもノエのことぜってぇ忘れねぇから」


「うん……! うん! 忘れない!」


 呆れ顔のメイベルの声が聞こえた。


「本当かなぁ。一瞬で私たちの性格を忘れたり、先輩ちょっと抜けてるから心配です」


「ごめんね! もう絶対、忘れたりしないよ! 絶対だよ!」


 そして、みんなが道を開けハロルド小隊長がノエのそばまで歩み寄り、

 ぎゅっと抱きしめてくれた。


「ノエ、ありがとう。私たちのために怒りを覚えてくれたこと、憎しみに駆られたこと、悲しみに涙を零してくれたこと、決して忘れない」


「ハロルド、小隊長! あたしも、ありがとうございます! 最後まで守ってくださり、ありがとうございました!」


 真実がなんであろうと構わない。ノエにとって、ハロルド小隊長は最後までノエを守ってくれた大切な家族だった。


「私の可愛いノエ。最後は笑顔を見せておくれ」


 涙を拭い、拭っても、次から次へ涙が溢れ出すが、ノエは精一杯の笑みを浮かべた。


「ありがとう……みんな……ありがとう……!」


 草原が光り輝く。リディエンハルトの力を借りて夢の中、草原の上に返り咲いたノエの家族。


 三十九名のノエの家族たちは、皆笑みを浮かべ、穏やかに、凪のように、深い森のしじまのように安らかな心のまま、すっと天へ昇っていった。


 瞼の裏に残るのは大好きな人たちの笑顔。幸福に満たされた穏やかな微笑みだった。


「みんな、本当にありがとう。あたし、幸せだったよ……!」


 気が付けば太陽がノエを暖かく照らしてくれていた。隣に立つ、深い森の気配を内包するノエの太陽が燦燦と輝く。


「立てるか?」


 差し伸べられた手を見つめて心に思う。──ありがとう優しい人──ここに居合わせた全ての人があたしは大好きなの。あなたのことも、きっとずっと前から好きだったから認めたくなくて顔を逸らし続けていた。


 そっと手を乗せて、ノエは静かに立ち上がる。


「あの、」


「良い笑顔だったな」


 リトまで嬉しそうに笑うから、ノエはもっと嬉しくなって笑った。


「はい」


 だけど、伝えなくちゃいけない。これまでのこと、これからのこと、自分の気付かされた気持ちも全部。


「あの、」


「みんなノエの大事な家族だ。家族にとってノエは大切な宝物だった」


 もちろん今なら信じられる。ノエは仲間からとても大切にされていたと。


「はい」


 信じさせてくれたのは、この人のおかげだ。だから、伝えないと。


「あの、」


「俺もノエの家族に会えてよかった。優しい中で過ごしていたんだと確かめられて安心したよ」


 だから、その優しさを取り戻してくれたのはあなたなんだってば!


「あの!」


「さっきの緊急コール聞いたか? オルバートに三度目の悪魔が現れたらしい」


「ええ!? 三度目!?」


「オルバードといえば緑の国の首都に一番近い街だ。橋頭堡を確保するならそこしかない。あのタイミングで手の空いている部隊と言えばデュオルギスに預けたズコッド大尉率いるバルシュタイン戦闘団だけだ。急がねぇとデュオルギスの部隊は偽インビジブルの旅団から集中砲火を浴びるぞ」


「デュオルギス大隊長が危ない!!」


 なんの話かと思えば最重要な話であった。


「未来を覆すためとはいえ急がせて本当に悪いと」


「あなたは気遣うタイミングと論点がズレているんです!! 急ぎましょう!!」


 白い光に包まれる。体が透けて消えていなくなったときと同様に光が弾けた。





☆☆☆

ここまで応援いただきありがとうございます!!


次回よりいよいよ最終章! 


最後までお楽しみいただけましたら幸いです<m(__)m>


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