第32話 チャンスを無駄にはしない

『曰く、一度目は神の奇跡。二度目は悪魔に魅入られる。チャンスに二度目はない。』


 死人なら誰でも知っている言葉だ。死人として蘇ったときに、まず軍の人間から聞かされる言葉だった。


 それはリターンチャンスという制度の理念ともいえる。いってみれば、一度きりのチャンスを無駄にするな、というありがたい警告だろう。


 通信局へ向かうため黒の国の街へ向かったリディエンハルト総団長をグーニーに乗って追いかけたノエはポケットの中のマテリアルを確認した。


 総団長のコートのポケットから出てきたマテリアルは全部で六つ。これを使って身勝手な復讐を果たす。


『良い顔つきだ。強者との戦いを望む者。我らは戦士の成長を喜ぶ者。約束通り、見届けよう』


 グーニーは良くも悪くも獣である。復讐なんていう人間の感情には興味を示さない。ただ種族として、魔族という強者の性質、あるいは本能で強者との戦いを好む。


 総団長たちに懐いていなかったわけではない。単にグーニーは己の成長を待っていたのだ。いずれ、総団長たちと真向から立ち向かえるほど、強くなったら戦いを挑もうと思っていた。 


 しかし、ノエと出会い、目的を知り、一度は止められた。勇気と無謀は違うと窘められたが、策を講じて挑むと言えば、人間らしい戦い方だと言われて気に入られた。


 あとは、グーニーの言葉通り、強者であるリディエンハルトに戦いを挑むノエを戦士として認め、その成長を見届けたいのだろう。


 空中で稲光が見えた。と、思ったらリディエンハルト総団長が驚いた顔で急停止する。


「ノエ!? こんなところでどうしたんだ?」


「あ、あの、任務中に不謹慎だと重々承知ですが、その……」


 用意していた言葉はあまりに荒唐無稽で冷や汗が止まらず、上手く言葉にならない。


 だが、リディエンハルト総団長は穏やかな笑みでノエの前髪をくしゃりと撫でた。


「大丈夫。用件ならわかっているよ。ハロルド小隊長のことを聞きたいんだろ」


 見透かされている。でも、今は総団長の洞察力がありがたい。


「あ、あたしとデートしませんかっ!!」


 下手くそな誘い文句に総団長は目を丸くしていたが、「いいよ」と優しく頷いてくれた。


「このまま黒の国へ飛んでいくか。ちと野暮用があるからデカめの街で通信局へ寄りてぇんだ」


「わかりました」


 こうして、総団長の当初の予定通り黒の国まで飛んで行った。


「ルヴィとはもうお付き合いしているんですか?」


 ぶほっとリディエンハルト総団長は珍しく焦ったように咳き込んでいる。


「付き合ってねぇよ! そりゃまぁ、ルヴィの気持ちは知っているけど、今はそれどころじゃねぇからなぁ」


 何かお付き合いできない事情でもあるんだろうか。

 しかし、男女の仲をあれこれと詮索するのは趣味ではない。


 ノエは、そうですか、とだけ相槌を打ち、それ以上は深く追求しなかった。


 その後、総団長が言ったように、黒の国の主要都市である大きな街にたどり着くなり、彼は本当に通信局へ直行してしまった。


 その行動には女性として純粋な怒りを覚えた。


 デートを快諾しておきながら、仕事を真っ先に片付けるとは何事なのか。


 街の背景ともよく馴染むコンクリート造りの四角四面な建物をノエは睨みつけていた。

 やがて、味もそっけもない通信局という看板が掛けられただけの四角い建物から、総団長が手紙に目を落としながら出てきた。


 読んでくるのではなく、読みながら出てくる。その行動には待たせているノエに対する誤った気遣いと、一応デート中なの考慮して急いで来ましたというすっとぼけた善意が透けて見え、ノエを余計に苛立たせた。


(気遣うならせめて仕事で来たわけではないという言い訳を用意してください!)


 これが私用の手紙のやり取りであれば、何を急いでいたのかと会話の糸口に使えただろう。

 しかし、手に抱える破いた封筒にはがっつりとイルマール空挺参謀総長のサインを刻み込んだ封緘が見て取れた。


「お待たせノエ」


「……仕事があったんですね」


「ああ、急ぎでな」


 普段は嫌味を飛ばすくせに、こちらの嫌味には気付かないのか。

 ささっと手紙をポケットに仕舞っていたが、幾分ノエの殺意は研ぎ澄まされた。


「んじゃ、ノエの好きなふわふわで瑞々しくて甘いスイーツを探しに行こう」


「リトって余計なことは覚えているのに、大事な話は完全にスルーしますよね」


 アイドルとして公表されているノエの好物だけしっかり把握している総団長に腹を立てた。


「俺はなんかノエの話をスルーしたことあったか?」


 ノエはにっこりと微笑んで告げた。


「逃げて、殺さないで、死なせないで。あたし、もう一億回言ってる」


 ひくりと顔をひきつらせた総団長は冷や汗を流しながら苦しい笑みを浮かべた。


「よ、よし、じゃあノエの意見を尊重するために色んなお店に入ってみよう。ノエの喜ぶ顔を見れるかもしれないもんなぁ!」


 しかしながら、この男はなぜ自分を𠮟りつけないのか。言葉が足りていないという意味では最初から足りていない。


 グーニーの背に揺られながら、総団長が喜色の浮かぶ表情で道端に並ぶ屋台を指差すのを見ながら、ノエはぐるぐると考えていた。

 本当にハロルド小隊長のことを覚えていて、自分が殺したと自覚しているのだろうか。


「……ねぇ、自分のところの隊員の名前と顔は覚えてる?」


 総団長は女の子が好きそうな路面のアクセサリーショップで真剣に悩みながら答えた。


「いや全く。名札ついてねぇし、ディーウェザーみたいに髪色も当てにならねぇし。店主、これくれ」


「はいよ」


 ノエはピンクと金髪のハーフハーフなヘアカラーをした副団長の姿を思い浮かべた。

 しかし、自分を魔族とのたまう、あの男を基準に出されても困る。


 何事もなく買い物を済ませる総団長は包みをポケットに仕舞いながら、また屋台を眺めて歩く。

 彼の中では基準も標準も普通も平凡も、すべて怪奇奇怪な出来事と並列に置かれるものなのだろうか。


 何人と変わらぬ仕草で買い物を済ませ、同じ手で人を救い、変わらぬ手で人を殺す。

 それが総団長の基準なのだとしたら、小隊の隊長など顔も覚えていないだろう。


 ノエの心は錆び付いたように動きが鈍くなった。死人は何も知らずに死んでいく。


「……あたしたちは何も知られないで、誰からも覚えてもらえずに死ぬために蘇ったの……?」


 総団長は振り返ることなく、真剣にポップコーンのフレーバーを選んでいた。


「そうならないように部下たちにはリターンチャンスを果たさせるんだ。俺だって最強になって自己の権利を取り戻すことを諦めたわけじゃない。それより、ノエは辛いのと甘いのどっちが食べたい?」


 本当にこれはデートなんだろうか。それともノエにとって大事な小隊の話など聞きたくないというのか。総団長の心は屋台にばかり集中しており、内情を読み取れないでいた。


「……苦いの」


 口の中が苦い。自分の抱えた怒りも憎しみも悲しみも、理解されはしない。

 リターンチャンスを果たせずに死んでいった部下たちは総団長の記憶からも消えていく。


「店主、苦いフレーバーとかあるのか?」


「苦瓜味ですね」


「あるのか……」


 伝えていないのだから感情を理解されないのは当たり前だ。誰も彼もがノエのように聞きたくない感情の声まで拾い人の心に同調するわけではない。けれど、家族の記憶は消したくない。


「それは辛いのか甘いのか?」


「苦いですね」


「需要あるのか……それ一つ」


 赤と白の縞模様のカップにポップコーンが盛られていく。屋台の屋根も赤と白の縞模様だ。

 パッケージに描かれた鉾と盾は黒と白の神だ。激情と凪のような心はマーブル模様ほど美しく調和は出来ない。


 青みがかった黒髪を風に揺らす総団長は、笑みを浮かべてノエにポップコーンを差し出す。


 一口食べてみた。


「どうだ? 美味しいか?」


「……苦い」


 思い出を噛み締めるほど口の中は苦い。実際、味も苦いのだが、この激情を伝えないまま終わることを想像すると、思った以上に苦かった。


「苦いのが好きなのか?」


「この顔に何が映ってる?」


 じっと、総団長はノエの顔を真正面から覗き込む。そうすると当然、ノエの方も総団長の顔を真正面から覗き込むことになる。


 二度目だ。リディエンハルトの顔を真正面から見たのは二度目である。


 彼は微笑んだ。くしゃりとノエの髪を優しく撫でた。


「すげー可愛い顔が見える」


 心がとくんと鳴る。きゅっと胸が痛くなる。自分ばかり優しくされることに腹が立つ。自分ばかり優しくされることに心が喜ぶ。

 二色の感情に振り回されて、心が弾けて壊れそうだった。


「あなたには、深い森以外に色はないの?」


 キョトンとした顔で総団長は首を傾げた。


「森は一色じゃ描けないだろ。水墨画でも光と影の二色がある。深い森なら、光と影と淡い光と濃い影だな。四色もあれば世界も描けるな」


 ああ、この人は黒一色で全てを包む世界なんだ。この人は黒一色で全てを破壊する世界そのものだ。理解してしまった。この人は黒一色で全てを表現してしまう。


 激情も、穏やかさも、怒りも、慈しみも、悲しみも、優しさも、時の流れ、風の匂い、水の冷たさ、草の柔さ、土の苦さも、太陽の暖かさも、月の静けさも、朝と夜の境界線も、季節の移り変わりでさえも、全て黒一色で完成された世界。


「まるであなたの方が黒の神ですね。あなたが黒なら、あたしは白になる」


 宣戦布告だった。苦い思いは一人では味合わない。同じ思いを味合わせてみせる。


 しかし、ポケットに手を伸ばした直後、甲高い雄叫びが街に響き渡った。


「生きて帰すかあああああああっ!!」

「今来るのかよ!!」


 総団長が声を張り上げたそのとき、上空から猛烈な勢いで炎を纏う打撃が放たれた。

 

 グーニーがすかさず回避の行動を取り、ノエは無事である。リディエンハルトも剣を抜き、地上で即座に炎を纏う拳を受け止めていた。


「ぶっ殺してやらあああああああっ!!!」


 目が血走り、口からよだれを垂れ流し、異様な風貌であるが、パッションピンクのうさぎの着ぐるみといいこの機械のような声といい、インビジブル本人に間違いない。


 急な襲撃には驚いたが今はこの好機を逃すわけにはいかない。


「グーニー今よ。インビジブルが五分間、時間を稼いでくれると信じてあたしたちは罠を張れる場所を探すの」


『良き判断だ。チャンスは活かさねば意味がない。行こう』

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