四章 透明

第31話 廻る悪意と終わらない後悔

 目をつぶるとハロルド小隊長や皆のことが思い出され、怪奇から解放されても悲しくて情けなくてテントの中で体を休めても眠れなかった。


 どうしてリディエンハルトという男は、ルヴィにも優しく、メイベルにも優しく、自分にも優しくしてくる仲間想いの上官なのにハロルド小隊長のことは助けてくれなかったのだろう。


 デュオルギス大隊長の前でも自分の判断ミスだったと素直に詫びていた。


 追いかけてきたニアのことも、慰めたりはしなかったが、安全な街まで送り届けると言い、同行を許可していた。


 きっとノエが見てしまった未来がニアのお父さんを殺してしまった。ノエも人殺しだ。


 それなのに、総団長はノエには責任が無いなんて言って優しくする。


 ルヴィにとって総団長は想い人だ。ルヴィを見ていればわかる。真剣に恋をしている。


 大切な友人の想い人の命を奪ってまで復讐を果たす。許されるはずがないけれど、許すこともできない。


 そんなことをノエが考えていたら、テントの周囲から人の足音が聞こえた。


 横たわっていたブランケットから上体を起こす。耳をすませば、森の方からテントを囲むように大小様々な足音が聞こえてくる。


「野盗……?」


 いや、違う気がする。明らかに子供の足音も混ざっている。だが、その手には重厚なライフルが握られていた。浅く吐き出す子供たちの呼吸音。高揚と興奮と熱くたぎる使命感にも似た明確な殺意。


「ガオオオオオオオオオオ……!」


 真っ先に動いたのはグーニーだ。遠吠えは全員を叩き起こす合図だった。


「な!? なにっ!?」


 隣で寝ていたニアも跳び起きた。しかし、そのタイミングでテントの入り口が乱暴に開けられる。


「へへ! 女じゃねぇか!」


「ガキもいるぜ! 大人しくしな!」


 無骨な男たちの手が伸ばされる。テントの中に入り込んできたのは三人の男たち。


 なぜか隣で寝ていたルヴィの姿は無かった。


「来るなっ!!」


 ショルダーバッグを掴もうとするニアに向けて伸ばされた手にノエは思い切り噛みついた。


「いでえ!! てめぇこの!!」


「逃げなさいニア!!」


 枕もとのランタンを襲い掛かってきた男の頭上に叩きつけた。パリンとガラスが割れてランタンの火が男の頭に燃え移る。


「ノエも逃げよう!!」


「ぶっ殺してやる!!」


「おい! 殺すな! 体は残しておけよ!!」


 ゲスな男たちの腕に蹴りを放ちながらノエは叫んだ。


「大隊長を呼んできて!!」


「そっか!! デュオルギスさん!!」


 今この危機を打開するにはそれしかないとニアも納得したのだろう。


 ノエは上手く計画が運べるとポケットの中に忍ばせておいた手榴弾を掴みながら口許に笑みを浮かべた。


 ニアが逃げ出せるように男たちの体に自分から体当たりした。


「今よ行って!!」


「逃がすか!!」


「待ってて!! デュオルギスさんー!!」


 じたばたと捕まえられた足を動かしてニアは脱兎のごとくテントから飛び出した。


 男たちの体を掴んでいたノエは、あっけなく次の瞬間には押し倒される。


 下卑た男は舌なめずりをして、ノエの体を見下ろした。


「へへ、こっちのねぇちゃんだけいれば十分だろ。ガキはあとで捕まえりゃいい」


 乱暴に、もう一人の男の手がノエの制服を破いて胸元を露わにさせる。


「ひゅー! こりゃ上玉だぜ!」


「早くこっちにも回せよ」


 ノエは瞳を閉じて神に感謝した。


「嗚呼、神様ありがとうございます」


「いいねぇ、お祈りしちゃったよ」


 ぎゃははははと笑う男たち。片手に掴んだままの手榴弾のピンは躊躇いもなく引き抜けた。


「こんなクズなら殺しても胸が痛まないわ」


「んな!?」


 直後、テントの中は爆発した。ディーウェザーお手製の爆裂魔法を込めた手榴弾。


 ミサイルもかくやという大爆発。体を一瞬で炭化させるほどの火力。それでいて体内の内部から爆裂炎上させる残虐性。木っ端みじんになった男たちはノエから遠く離れた森の中に焼け焦げた四肢を飛ばした。


 反転の能力を使ったノエの周りはお尻の下のブランケットすら無傷のまま残されていた。


 そして、男たちの末路など見る暇も惜しんで、ニアのショルダーバッグを漁る。

 思った通り包帯が出てきた。制服の上着を脱いで乱暴に引き裂かれたシャツの上から包帯を巻きつけていく。


 ノエが自分の上着を着こんでいると、慌てた様子の三人が駆けつけてくる。


「っは! おっぱいぼよよむぐぐー!」


「ニアは見なくていい。余計なことを言うんじゃない」


「ノエさんすみません!! ルヴィが夜這いをかけている隙にこんななことが起こるなんて!!」


 夜這い……大胆だなぁ。でも不幸の方はもはや予定調和なので安心してといったら泣かれそうだ。


 慌てて駆けつけてくれたデュオルギス大隊長はニアの目と口をふさいで辺りの様子を覗う。


「ノエ、怪我はしていないか?」


「大丈夫です。それより他のみんなは?」


「すまない。奇襲に気付いておれはすぐにこちらに向かったんだ」


 では戦いに参加しているのは総団長とディーウェザーとグーニーだけということだろう。


 ニアはこちらに向かってきていた大隊長と合流したと思われた。


 しかし、気が付けば辺り一帯の騒音が消えている。どうしたことかと周りを見渡せば、いつの間に終わらせていたのか、総団長が敵の武器を破壊して、ひとまとめに積み上げていた。


 積み上げられていたのは人間である。武器は原っぱに捨てられていた。


「待ってください! 子供もいるんです!」


 慌ててノエは総団長の方へ駆け寄った。


 しかし、総団長は近付いて来たノエの目を隠すように、手のひらを優しく瞼の上に乗せた。


「ノエとニアは気絶しているじじいの様子を見てきてくれるか?」


 まただ。深い森の気配。だけど、森の中に小さな秘密がある。それはリディエンハルト総団長の小さな嘘と気遣い。何かを隠されていると感じた。


 本当にこの男は嘘つき。でも、責める気にもならない。きっとこれも誰かのための隠し事だと思うから。森の気配はいつも優しさをはらんでいた。ノエはそっと後ろに振り返った。


「ニア、行こう」

「う、うん」


 ちらちらと後ろに振り返り、総団長たちの様子を気にするニアを連れてクローマー中将のテントに向かった。宵闇の中でリディエンハルト総団長とデュオルギス大隊長の声が聞こえていた。


 ディーウェザーのぼそぼそとした声も聞こえてくる。テントで眠ることもなく、いつの間にかクローマー中将を昏倒させて戦場にいち早く参加した第一空挺死人旅団の副団長。 

 

「……生け捕りにしてどうするのさ……?」


 ディーウェザー副団長の慈悲もない言葉が耳に刺さる。


「あの場所でお前がやりあったら森が無くなるだろ。街はいい。だが自然は大事にしろ」


 これも嘘だとわかる。総団長は自然を大事にしているわけではない。森の中で気絶している子供たちに被害が及ばないよう配慮しているのだ。


「攻め込んできた野盗やレジスタンスはその場で斬首が黄の国ではデフォルトでした!」


 ルヴィはこの状況に慣れているようだ。戦闘をメインに組まれた部隊の団長なら当然といえるけど、覚悟の違いがノエには遠く羨ましいものに感じた。


 しかし、止めるわけでもなさそうに聴こえる全員の、主に現場の指揮官であるリディエンハルト総団長の言葉に焦ってデュオルギスは飛び出した。


「待ってください! 彼らを殺すおつもりですか!?」


 どう見ても、うめき声を上げる彼らは街にいた子供たちの父親か兄弟であり、総団長の非情な判断にデュオルギスは驚いていた。


「そりゃそうだろ。この大人数の捕虜を連れて歩く余剰の車両と運転手はどこで釣れるんだ」


「彼らの戦意は喪失しております! 軍に連絡して引き取ってもらえば」


「阿呆。通信が出来るんなら、真っ先に俺がイルマールの鼓膜をぶち破ってる。今回の作戦は通信の傍受を避けるためのじじい運びだぞ。本末転倒じゃねぇか」


 それはそうだ。通信は出来ない。そもそも通信するための無線機すら持たされていないのだ。


 ちなみにルヴィの無線機は怪奇におびえたルヴィがハルバードで破壊していた。


「で、ではこのまま! このままでもすぐに問題が起きるとは思えません!」


「問題が起きてからじゃ遅い。どの道、こいつらは今回の作戦が始まったら邪魔してくるのは目に見えてるだろ」


「それは彼らにも故郷があるからで!!」


 必死に総団長を止めようと声を上げるデュオルギスに𠮟責の声がテントから響く。

 ノエとニアが揺さぶってクローマー中将を目覚めさせたからだ。


「やかましい!! 何を騒いでいるんだ!!」


 クローマー中将に気付くデュオルギス大隊長。実質的、この現場の最高指揮官はクローマー中将だ。デュオルギスは敬礼してクローマー中将に事情を説明した。しかし、


「ふん、燃やせ。一人も生かすな」


「そ、そんな! 彼らの大地を踏み荒らしたのは我々の方です!?」


 必死で止めようとしていたデュオルギス大隊長のみぞおちに、総団長は容赦なく拳をめり込ませた。


「ぐほっ!!?」


 デュオルギス大隊長の体はくの字に曲がり、苦痛に表情が歪む。


 容赦もない。激情もない。凪のように、しじまのように、人を気遣うような優しさを見せながら、総団長はデュオルギスの言葉を封じ込める。それはきっと上官に逆らってしまえば叱責を受けるのがデュオルギス大隊長の方だとわかっているからだ。


 ルヴィは総団長の上官としての行いの優しさと、デュオルギスの気持ちの間で揺れてオロオロとしている。


「燃やせディーウェザー」


「あいあいさー」


 銃弾が発砲される。崩れゆく体は抵抗の声も出ない。彼らは悲鳴を、言葉にならないうめき声を上げながら死んでいく。生きたまま、燃やされて。


 デュオルギスの瞳から涙が零れ落ちた。こんなことが正しいことなのかと彼の心は叫んでいるようだった。こんなことをするために、我々は生き返ったのかと。


 静かに、いつの間にか寄り添うように、ノエがデュオルギスの肩を抱いていた。


「あなたは戦場にいるべきじゃないわ」


 ノエにもどんな生き方をすれば正しいのかなんてわからない。


 だけど、総団長の視線は燃え盛る炎ではなく、子供たちの小さな息遣いが聞こえる森へ向けられていた。


 もしも、クローマー中将の前で大人たちを始末していなかったら子供たちはどうなっていたであろうか。眠るクローマー中将を連れてトラックで走り出しても、ニアのように彼らが追ってきてしまったら、今度は子供たちも関係なく全員殺すしか道はなくなるだろう。



「……運び屋はアイシャの願いを正確に届けている……曖昧になるのは目に映る相手が相手方と思い込むからだ……」



 ディーウェザーの独り言が聞こえた。アイシャの願い。それは「ゆるして」今この瞬間、ノエの心にもデュオルギスの心にもルヴィの心にも総団長の心にあるのも、ゆるしてゆるしてゆるしてゆるして。


 涙をぬぐうノエの指先が透明に透けて見えたようだ。デュオルギスにとって不穏な未来を予期しているかのような指先は、温もりも残さず、すっと消えていく。


 ノエは慌てて指先を隠した。デュオルギスの心の声に耳を傾けながら。


 誰かの父親であり兄弟であった彼らが灰となって消えていく。取り返しのつかない温もりだ。 炎がごうごうと燃え盛る。眩しい火の光に照らされ、デュオルギスの瞳から、また涙があふれた。ノエの心もデュオルギスに寄り添って泣いていた。


 怪奇が起こらなくても人の悪意も止められない。

 悲しみも、憎しみも、後悔も消えてなくならないのなら、せめて最後は大切な家族と共に。


 ノエの決意は静かな夜に炎の中で揺れていた。


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