第21話 参謀本部では大体切り札扱い

 赤茶色の古時計のような外観の参謀本部。中にいる人間も錆びた秒針すら正確に時を刻むようにセオリー通りの予定表以外認めない。予定外。想定外。不測の事態などあってはならないのだ。


 もしもそれが起こったとしたら、下の者の職務怠慢である。


 本日はまだ胃を痛めていないイルマール空挺参謀総長はホットコーヒーにたっぷりとミルクを注ぎ込んで会議の内容に耳を傾けていた。


 今回やり玉に挙げられているのはフェニックス作戦を立案した作戦本部補佐官、ダイナー上級大佐であった。


「我々には時間がない。既に部隊は送り出し、装甲部隊、航空部隊も準備を終えている。作戦内容を予定時刻までに届けなければ意味がない。奇襲作戦は時間との勝負だとわかっているだろう」


 縦に長い会議室のデスクの上に置かれた地図を見ながら、イルマールは脳内でフェニックス作戦の概要をざっと洗っていた。


 中立国緑の国は国土としては小さいが資源は豊富だ。黒の国から見て北西の位置、海側にほど近い山岳地帯に鉱山がある。鉄は戦争で必須とも言える資源だ。戦車も戦闘機も銃でさえも鉄が無ければ作れない。


 また黒の国から見て北東の位置。黄の国との国境沿い付近に油田がある。

 無論、石油は重要なエネルギー資源である。この二つの資源を先に抑えること。それがフェニックス作戦の概要だった。


「油田は当然、最も困難な戦線になるだろう。地形的にもな。しかし、作戦が開始されれば勝機は我らにあると確信している。だからこそ、些末な事態に足を引っ張られるわけにいかん」


 渋面を浮かべているのは作戦本部長、バルシュタイン中将である。


「偵察部隊の報告はどうなっているんだ! 港では想定の三倍以上の戦力差だと!!」


 苛立ちを隠すことなくデスクを叩く。灰皿の灰が宙に舞った。


「申し訳ございません! どうやら港で緑の国の兵士と諍いが起こったようでして」


「上陸部隊は幼稚園で理性を学んできたのか!!」


 実際、ひどい有様だなとイルマールも思う。港に上陸した部隊は確かに陽動作戦の意味もあったが、食いつくのが早すぎる。食いつくされても意味がないのだ。


 鉱山からそれほど遠くはない、地図上で見れば黒の国寄りの港。元々、海域を使っての貿易は緑の国との間で行われていたので、船での上陸はすんなりと進められた。


 港を拠点にすれば補給も楽に行える。今後の作戦で重要になってくる場所だ。

 しかし、港に停泊していた四隻の船は黄の国の駆逐艦によって沈められた。


 港に取り残された部隊は、海からの脱出も叶わない。黄の国の駆逐艦が洋上を巡回しているし、報告を受けてから運の悪いことに天候も悪化してきた。これでは航空部隊も飛ばせない。


 しばらく待機せよ、との命令は通常通りであったが、緑の国がそれを容認しなかった。


 港に部隊が滞在していたら、ここが戦地になる。黄の国と黒の国の戦争に巻き込まれるのはごめんだと言って、帰り道も友軍の援助も失った上陸部隊に徒歩で帰れと、かなり汚い言葉で罵ったらしい。


 結局それが火種となってしまった。どちらが先に撃ったのかまでは知らないが、港で上陸部隊は緑の国の部隊とゲリラ戦を繰り広げてしまう。


 しかも、精鋭部隊を送ったのが仇となったのか、港でのゲリラ戦を深刻なものと受け止めた緑の国は友軍を派遣して港を包囲した。それが今から一時間前のことだ。


 参謀本部参謀総長はあごひげを撫でながら重い口を開いた。


「バルシュタイン、そう声を荒らげることもなかろう。見方を変えれば好機だ。港に兵士を送ってくれたおかげで鉱山の戦線は手薄となった。港で引き付けてくれた方が助かる」


「しかし、第七艦隊機動部隊は海上戦でも野戦でも戦える主力部隊です。今ここで失うわけにはいきません」


 バルシュタイン中将の言うことも御尤もである。これから、緑の国との戦争を始めようというのに、実体はどうであれ、まだ作戦の口火も切っていないうちから主力部隊を失っては目も当てられない。


「それならイルマールくんが助けてやれはいいだろう」


「ふぁ?」


 思いもよらない言葉。完全に油断していたイルマールは口許についたミルクのひげも拭わず、間抜けな返答を参謀本部参謀総長に返していた。


「そろそろ宿屋に到着していることだろう。彼は早いからな。港までの距離も、彼にしてみればゼロに等しい。クローマー中将はディーウェザー副団長一人で十分守り切れる」


 周りを見渡せば、それしかないとでも言いたげに、軍の重鎮たちが揃って頷いていた。


 イルマールは震える手で懐から胃薬の瓶を取り出す。


「可及的速やかに電報を送りたまえ。内容は漏らすなよ」


 それはつまり、あの悪魔のように舌の回る男へ、単刀直入な用件だけを突きつけろ、ということ。

 通信が回復したとき、自分の命はあるだろうか。リディエンハルトに距離は関係ない。


 直接、頭髪を引き抜かれた過去が鮮やかによみがえる。

 胃薬の瓶の中身は、全てイルマールの口中へ放り込まれていた。

    

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