第17話 少年は怪奇と廻る

「僕の解説が聞きたいの? まぁいいけど、一年前とあるライブ会場で馬鹿女がマイクを通した馬鹿でかい声で作戦内容を漏らしたんだ」


「……黒の国の作戦を知っていてライブなんてやっている馬鹿女はあたししかいませんよね」


 ノエは張り付けたような笑みを浮かべているが、ぴきぴきとこめかみに青筋を浮かばせていた。


「忠告してやる。ヒトの遺伝子の50%はバナナと一致するんだ。つまり、どう足掻こうが君たちの半分はバナナさ」


「それって、あなたも半分はバナナですよね?」


「僕は完全にバナナとは違うと否定できるし、誰がどう言おうと僕は馬鹿だ」


「どうして最後まで自信満々に言い切っちゃうんですか!?」


 解説を諦めたようでディーウェザーはすたすたと歩き出し、自ら蚊帳の外に身を置いた。


「他人から見ても明らかに馬鹿だし、本人もそこだけは確たる自信があるんだろ」


 リディエンハルトは怒るノエがこのまま話題を忘れてくれればいいと思った。仲間割れは困るところだが。


「前にも言ったが忠告はあいつの独り言だ。とはいえ嘘もついていないし、怒るな」


「でも、今回は独り言を呟いていませんよ?」


「独り言なんだからあいつが無意識な時に呟くものだろ。別に忠告されたのは前フリじゃない」


「あたしの期待を返して!!」


 ぷりぷりと怒るノエもその場から離れてグーニーと遊びだした。


 しかし、話題が逸れたことにほっとしたのも束の間、ニアが包帯を巻き付けた自身の腕を押さえながら口を開いた。


「ぼくもデュオルギスさんにあの時の作戦がどうして実行されたのか聞きに来たんです」


 デュオルギスは赤い血のにじむニアの包帯を見て目を見開いた。


「ニア! 怪我をしているのか! 見せてみろ!」


「あ、ちが、これ怪我じゃないんです!」


 ニアの言葉を聞きながらも、デュオルギスは怪我の具合を確かめようと包帯を外していった。

 しかし、素肌をさらしたニアの腕には切り傷ではなく、水滴がぽたぽたと落ちて広がった痣(あざ)のような赤黒い何かが描かれているだけだった。


 リディエンハルトも腕を覗き込み、デュオルギスも首を傾げる。


「つねられてもこんな痣にはならないよな」


「まるで水滴みたいだ。ニア、これはどうしたんだい?」


 しかし、ニアもわからないと頭を振った。


「一年前、デュオルギスさんの部隊が半壊、作戦は失敗に終わったと人づてに聞いたころから、このあざが浮かび上がるようになったんです」


 それに、とニアは腰に巻き付けたショルダーバッグのポケットから虫眼鏡を取り出してデュオルギスに渡した。


「ただのあざじゃないんです。これで拡大して見ればわかります」


 虫眼鏡をニアの痣にかざしたデュオルギスは息を呑んだ。


「……これはっ」


 気になるのでリディエンハルトもデュオルギスから虫眼鏡を渡してもらいニアの痣を拡大して見てみる。そこには、


「ゆ、る、し、て……?」


 水滴のようだと思った赤黒いものは小さな文字で出来ていた。パズルのように散らばる文字だが四音しかない。拾って読むとしたらそれは、ゆるして。


 もしやと思って先ほどデュオルギスが外した包帯に滲んだ血も見てみた。何層にも重なるガーゼにゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるして──



「やっぱり、リトは何か隠しているんでしょう?」


 ビクッと顔を上げるとノエが上から包帯を覗き込んでいた。


 これは間違いなく怪奇現象だ。ただでさえ危険が及ぶとわかっているノエをさらに余計な混乱と危険の渦中に巻き込むわけにはいかなかった。


 すっと立ち上がり包帯を背中に隠したが、ノエの細い指先は逃がさないと言わんばかりにリディエンハルトの胸を突いた。


「隠しても無駄ですよ。どうせあたしが悪いんでしょう? あたしがしょっちゅう見てしまう幻のせい。だけど、理由を教えてもらわないとニアくんにも、この許してほしい人にもあたしは謝れないじゃないですか。……もしかしたらハロルド小隊長にも」


 はぁ、と深いため息が零れた。


「違うんだ。ノエは悪くない。ハロルドの件は一旦待ってくれ。ノエを守り切れたら必ず話すから」


 むすっと顔をしかめるノエだったが、一応は待ってくれるらしい。


「……じゃあ、ニアくんの件は?」


「ノエは本当に悪くないんだ。ノエは正しく忠告してくれていた。だからこれも悪いのはそれを曲解して解釈した俺なんだよ」


 しかし、そこまで言うとそれまで大人しく岩の上に腰かけていたクローマー中将が声を飛ばした。


「総団長、それ以上は軍事機密だ。大体、謝罪の必要はない。我々は戦争をしているのだ」


「わーってるよ。かいつまんで説明するだけだ。じじいは黙ってろ」


 ふんと鼻を鳴らすクローマー中将はそれ以上口を挟まなかった。


「ちょっと、話が長くなるんだけどな」


 そう前置きしてからリディエンハルトは当時の状況をかいつまんで説明した。


「黄の国との国境沿いは最も過激な前線だ。しかし、一年前大幅に黄の国を押し込む作戦が企図された。詳細は省くが、黄の国のレジスタンス部隊と連携を取り、黄の国の内部から戦線をぶっ壊す作戦だったんだ」


 ところが、とリディエンハルトは話を続ける。


「今は黄の国の領地になっている国境沿い付近には黒と白の血を濃く受け継ぐ住人たちが住む街も多くあった。彼らの街まで戦火に吞まれると、黒の国のレジスタンスたちがその作戦に猛反対してな。一方では黄の国のレジスタンスと協力し、一方では黒の国のレジスタンスたちと紛争する事態となった」


 兵士の数も無限ではない。事態の収束を急がせた政府は軍に旅団の部隊を使うよう命じた。


「最初は俺たち第一が黄の国のレジスタンスと連携を取り、前線の黄の国の部隊を押し込む作戦を企図していた。ところが信頼のおける情報から作戦はバレている。殺されたのは存在しないはずのレジスタンスだという話を聞いた」


 ノエが覚えているわけないのだが、自分の責任だと感じているようで唇を噛み締めて聞いていた。


「俺は黒の国のレジスタンスが猛攻撃を仕掛けるほどの戦力を備えて自国の兵士とやり合った末に殺される泥沼の内戦が起こったのだと思った。つまり、黒の国のレジスタンスも黄の国と連携し、こちらと同じように前線を押し込む作戦を立てているのだと予想した」


「そんなの……!」


 ノエが反論する前にリディエンハルトは最後まで聞くように手で制した。


「いいんだ。ノエは逃げろと忠告していた。進軍を命じたのは俺だ。俺は当時の第九独立空挺死人旅団の団長に黒の国のレジスタンスに接触を試みている黄の国の部隊がいないか探らせた」


 結果は頻繁にレジスタンスの拠点へ足を運ぶ黄色頭がいたという情報だ。


「情報からまだ計画は始まったばかりで黄の国の部隊は情報をすり合わしている段階だと俺が判断した。そして、作戦が実行される前に黄の国の偵察部隊を殲滅するよう第九の団長に命じた。第九の団長から実際に実行部隊として選ばれたのがデュオルギスの大隊だった」


 ところが、作戦は想定通りとはいかなかった。


「その作戦こそバレていたんだよ。待ち構えていた黄の国の部隊は想定の五倍以上。デュオルギスの大隊は半壊まで追い込まれた。黒の国のレジスタンスは黄の国の部隊に吸収され、結果として奴らの戦力を上げただけでこちらは被害が甚大。得られたものも何もない。俺は責任を取ろうと前線の黄の国の部隊を少しは押し込んだが、奴らは旅団が介入したとわかり、前線に自国の旅団を配置していた。結局泥沼の戦闘で前線は再び膠着状態。あのとき死んでいったデュオルギスの隊員たちに無駄死にだったと責められても俺は何も言えねぇんだ」


 これが過去にノエの言葉を信じず、過ちを犯した全容だった。

 俯くリディエンハルトのすねをニアは勢いよく蹴り飛ばした。


「いでっ」


「ふざけんな! パパは無駄死になんかじゃない!!」


 激昂するニアの体を抑え込むデュオルギスは困惑した表情を浮かべた。


「ニア? パパって誰のことだ?」


 涙を滲ませたニアは叫んだ。


「アイシャのことだよ!! あのときは国のくそったれな制約のせいで言えなかったけどアイシャは殺されたぼくのパパなんだ!!」

 

 ニアの口から真実が告げられた瞬間、昏い闇から無数の手が伸びるようにその場にいた全員が闇に呑まれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る