第12話 リトとディーウェザーの日常会話

「忠告って、さっきの悪魔がどう、とかいうやつですよね?」


「実際にそういう悪魔がいるわけじゃねぇんだ。これは物理学の世界での話だ」


「悪魔と一番縁が遠そうですね」


 ノエの素直な反応が好ましい。だからこんな力に好かれたのかもしれないと思った。


「理論上、この世界に存在するすべての原子の位置と運動量さえわかれば未来の状況は数式で導き出せるといわれている」


「原子って途方もない単位ですよね、あたしたち人も原子で出来ているじゃないですか」


 その通りだとリディエンハルトは頷く。


「当然、位置を観測するだけじゃなく、運動量、質量、速度ベクトルなんかを計算しなくちゃならねぇから一秒先の未来を知りたければ一秒未満で観測と計算を同時にこなすしかないな」


 ノエは非常に曖昧な笑みを浮かべた。


「……一秒待てば未来がわかりますよ?」


「実に良識的な回答だ。ズルをしようとする汚ねぇブタどもに聞かせてやりてぇな」


「リトはお口が汚いです。それで、悪魔はどこにいるんですか?」


 口汚く罵ったものの、ノエに真実を教えようとはリディエンハルトも思っていない。


「んーまぁ要するにだな、そんな芸当を一瞬で出来る奴がいれば、そいつには未来の出来事がすべてわかるってラプラスという物理学者は考えたわけだ」


 得心がいったとノエは手を合わせた。


「なるほど、人が考えた空想上の悪魔なんですね。でも、どうして悪魔にしたんだろう?」


 やはりノエは普段から祈りを欠かさないような心優しい子なのだろう。


「……天使じゃねぇさ。そんなやつ、そんなことをさせるやつは、悪魔だ」


「……?」


 ノエには不思議そうに首を傾げられたが、気を取り直して用意していたものを渡した。


「これ、ノエの新しい制服と麻酔銃だ」


「麻酔銃?」


 見た目には一般隊員に支給されている自動小銃と変わらない。使い方も同じだ。


「万が一、今回のようにノエが仲間とはぐれるようなことがあったら自分に向けて使うためだ。あんな恐怖は二度と味合わせない。怖いと思ったら引き金を引け。大丈夫だ、戦場で深く眠っていれば敵も死体と思い込む可能性は高い。ノエが眠っているうちに俺たちが全て片付けるよ」


 目をぱちくりさせるノエは一瞬、唇を嚙んだ。そのあと、すぐに俯いてしまい、ノエの表情は見えなかった。


「どうした? 怪我は擦り傷程度だと思ったが、痛いところでもあるのか?」


 上から下までじっくり見ても、土で汚れてはいるが、制服自体は破けていない。

 しかし、殴打された傷だとしたら、制服の下で内出血を起こしているかもしれない。


「見せてみろ。どこが痛むんだ?」


 俯きながら、新しい制服をぎゅっと掴むノエは絞りだすように言葉を紡ぐ。


「……あなたもどうして隠すんですか? ハロルド小隊長を殺したことに、あなたなりの理由があるんですか?」


 優しい子だと思った。例えノエにとって家族のように親しかった相手が殺されたとしても、殺した相手に正当な理由があるのか確かめる。結果だけを罪と思わず、許しを与える機会を設ける。それはまるで、教会で懺悔を聞く牧師のように。しかし、それでは優しすぎるだろう。


「……私怨だよ。昔、色々あったんだ」


 ノエは嘘を見抜くとわかっている。それでもきっとリディエンハルトを憎めるはずだ。

 肩を震わすノエは怒っているようだった。それでいいと思えた。

 ノエの怒りを許してやれる人が必要なのだとしたら、それは今生きているリディエンハルト以外にいない。


 しかし、やがてノエは顔を上げたが、その表情は恥じらうように真っ赤だった。


「なっ!?」


なんで赤面しているのか。


「……あの、あたし、」


 ヤバい。またノエは何かを観測した。


「実はあたし、女の子なんです……」


 消え入りそうな声でノエはそう言った。


「……へ?」


 頭が全く理解に追いつかない。実はとか言われても実は公式プロフィールのEカップは嘘でFカップあるんです、とか言われた方がしっくりくる。


「あなたの前で、着替えなきゃダメですか?」


 激しく現実を理解した瞬間だった。


「すすすすまん!!! すぐに出ていく!! ノエはゆっくりしてろよ!!」


 言いながら体は既に医務室から飛び出していた。


 扉を勢いよくバタンと閉めると、足元からきのこのように湿った声が聞こえてくる。


「……馬鹿じゃん?」


「うるせぇ! 危うくパワハラ&セクハラだぞ! 気付いていたなら止めろよ!!」


 リディエンハルトは足早に自室に向かって歩き出す。しかし、のんびりとした口調でやる気も感じられないディーウェザーはぴったりと背中に張り付くように追いかけてくる。


「そっちじゃないよ、ホント馬鹿だな。なんでノエに予言のこと教えてやらないのさ?」


 それこそお前が馬鹿だと言いたくなった。


「今回のようにノエ自身が危険にさらされるケースは十分考えられる。ノエに力を授けている奴がいるならそいつは本物の悪魔だ」


 ため息を一つ零してからディーウェザーに告げた。


「ノエに『あたしを殺した』って言われた。あれもノエの予言だろう。そして、予言は覆らない。俺はこの先の未来のどこかでノエを殺すんだ。まるで悪魔のように」


 だが、棒付きキャンディーをうまそうにかじるディーウェザーはなんでもないように宣う。


「にゃーでしょ、にゃー。シュレーディンガーのにゃー。やっぱ飼うならネコ科がいい」


「猫という単語を知っているならハナから猫と言えボケ」


 ラプラスの悪魔と直接関係があるわけではないが、ディーウェザーの言っていることも的外れではない。


 シュレーディンガーの猫とはざっくり言うと箱の中に生きた猫と十分おきに二分の一の確率で毒ガスが噴射される装置を同時に入れて閉めたとする。三十分後に猫は生きているのか死んでいるのかという問題だ。当然、答えは開けてみるまでわからない。


「ややこしい話だが、お前の考えは合っている。シュレーディンガーは観測するまではその存在が確定されないと言っているからな」


 ディーウェザーは満足そうに言葉を引き継ぐ。


「ノエの能力を説明するのにピッタリでしょ。ノエの場合、観測手は世界中の人間だ。世界中の人間が見た、つまり観測した情報をノエという一人の少女に送っている。ノエは集められた情報を無意識のうちに計算し、そして導き出された未来を自分の目で観測している」


 頷くリディエンハルトもノエの能力を正しく理解していた。


「ノエを知る人間が多くなるほど、情報は密度を増し、より多くの未来を観測することになる。そのため軍は世界各地の戦場でライブを開催させる。戦場の未来こそ知りたい情報だからな。だが、未来というものは観測した時点で確定された過去になってしまう」


 ため息をつくリディエンハルトは暗い気分で呟いた。


「シュレーディンガーの話は言い換えれば観測してしまえば存在が確定する。そして存在する歴史を過去と呼ぶ。数学の世界では理論上、タイムマシンが出来ていると言われているが、タイムトラベラーが未来の情報を持って過去で何をしようと過去は変えられないという結果が出ている。もちろん、数学上の話ではあるが、今のところノエの観測した未来は確定情報だ」


 ディーウェザーはにへらにへらと笑って楽しそうである。


「変えられない未来。別にいいじゃん。僕が死ぬ未来が予言されても何もしないでよ。どうやって死ぬのか、死ぬとはどういうものなのか、わくわくするじゃん」


「ノエもそう思えるならいいけどな。あの子の場合は知れば口を閉ざすだろう」


「喋らなければまだ間に合うって?」


「そう考えてもおかしくない。それになディーウェザー、ノエと喋っていて気付いただろう。あの子は至って平凡な普通の子だよ。俺たち死人はみんな記憶を失くしているが、無気力で目覚めるわけじゃない。赤子とは違って人格を最初から持っているんだ」


 楽観的な奴も悲観的な奴も戦いを好む者も逃げ出したいと怯える者も、死人旅団の中は社会と同じように多様な考えの死人たちがいる。


「わかっているよ。人の性格はそいつが生きた歴史の反映でしょ。愛を知らない子供が人を愛せないように、本当に死人の魂が何もかも忘れてしまっていたら人格も変わるよ。でも、リディエンハルト、君は昔と何も変わってない。友達のままだ」


 こういう時、昔の自分を知っているというディーウェザーは頼りになる。


「俺は神じゃない。人を憎むな、なんて言わねぇよ。自分を殺した犯人、大切な人を殺した犯人なら憎め憎め大いに憎んで恨みを晴らせ。そうじゃなきゃ、自分の感情に押し潰される」


 優しい人間ほど、自分を責めてしまう。傷付く必要のない人が傷付くのをリディエンハルトは許せなかった。


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