第10話 少女は予言を繰り返す

 リディエンハルト総団長は殺されてしまったのか。あまりにも恐ろしい姿に、ノエはその場で腰がくだけ、へなへなと床に座り込んでしまう。


 その時、どこからか赤い結晶が投げられた。ノエの足元に結晶が転がってくる。


 結晶から放たれた光が一瞬で地面に幾何学模様の魔方陣を描き、赤く光を放った。


 うさぎの着ぐるみは勢いを増してナイフを構えノエに目掛けて駆け出した。


 殺される! そう思った時には魔方陣から魚網のような赤い模様が噴き上がり、ドーム状にノエの体をすっぽり呑み込んだ。


 どのような形で殺されるのか想像もできない。しかし、予期せぬ攻撃はノエの背後から現れた。


「ガアアアアアアアアアア!!」


 奇声を発し、銃剣を突き出して突進してくるのはハロルド小隊長の姿だ。


「小隊長!!?」


 死んだと思っていた。先ほどもノエの願いが幻を見せたのだと思っていた。


 しかし今、銃剣を振りかざし、真っ直ぐに突き進んでくるのは紛れもなくハロルド小隊長の姿だ。


「っち、理性を失ったか悪魔風情が!」


 うさぎの着ぐるみは脱兎のごとき速さで踵を返すと逃げていく。


 銃剣を振りかざす気迫も勢いも強さもハロルド小隊長の方が勝ったのだと思い、ノエは口角を持ち上げた。


 こんな状況で、こんな地獄で、ハロルド小隊長はあたしを助けに来てくれた。


 母のように姉のように家族の愛を持って、仲間の一人も見捨てずに助けに来てくれたのだ。


 奇跡は正義の上に降り注ぐものだと信じられる。きっと奇跡は、神の恩恵はハロルド小隊長のような人を見捨てなかった。


 光が降り注ぐ。空から、天井から、真っ直ぐに真っ直ぐに、ハロルド小隊長の元へ降り注ぐ。


 そして、ふにゃけた笑顔のような表情を浮かべたまま、ノエはその場で凍り付いた。


 時間が止まったように感じた。それはあまりにも一瞬のことで、五感のすべてが気が付かなかった。


 上空から縦一閃! ズバアアアアアアアアアアンッ!! 斬撃の衝撃波が窓ガラスをすべて砕いた。


 上から降ってきたのは青みがかった黒髪の青年。ノエを守るために、最期まで最後まで最後の最期まで勇猛果敢に敵に突撃したハロルド小隊長の体を真っ二つに斬り裂いた。


 直後、地面にぼとりぼとりと落ちたハロルド小隊長の体は炎に呑まれて燃え盛る。


 どこから炎は来たのか。それは今までノエの体を包み込んでいた網がほぐれてハロルド小隊長の体に伸びていき、網から炎が噴き出したのだ。


 燃えていく。母であり姉であり家族であり仲間であったハロルド小隊長の美しい体が。


 四肢が跳ねて赤黒く炭になっていく。あれほど美しかった錦糸のような髪が真っ黒に、散り散りに焦げていく。


 これは反転の能力だろうか。


 ハロルド小隊長を盾に使ったうさぎの着ぐるみはノエに仕掛けた魔法の罠を放置して逃げたのだ。


 今ここで罠を解除できる人間はノエしかいない、そう思えた。


 自分はどうしたことだろう。目の前でハロルド小隊長が味方の旅団の団長と思われる青年に殺されて不器用に笑っている。


 口許がひくひくと痙攣を起こしたように、思うように動かない。


 自分はハロルド小隊長が殺される瞬間、落雷のように凄まじい斬撃の衝撃波を感じて、咄嗟に反転の能力を使ったのではないか。


 自分は、自分は、わが身可愛さでハロルド小隊長を燃やしたのではないか!


 しかし、ノエの激しい動揺を上回る青年の失意と絶望を孕んだ声が耳に聴こえた。


「ごめん……! 間に合わなかった! もっと早く駆けつけていれば、俺がこの事態を想定していれば、もっと救えた! 勝ってノエたちを守れたのに……!」


 ふわりと体に羽が生えたような軽さと暖かさを感じた。発狂寸前だった心が、なぜか我が家でくつろいでいるときのように穏やかに落ち着いてしまう。


 突然現れて怪奇現象から救い出してくれたリディエンハルト総団長。悔しさがにじみ出るかのように顔を歪めているが森の香りがした。深い森の香りが。燃え盛るわけでなく、日の光を浴びて活動的な森のざわめきではなく、静寂を好む湖畔にそっと寄り添う深い森だった。


 目を見開いて彼の顔をじっと見つめた。いつの間にか、ノエが浮かべていた不器用な笑顔も普通の表情に落ち着いていた。


 だが、その瞬間、ハッキリと目の前に恐ろしい本性を現した彼の姿が見えた。


「どうして……どうしてよ……」


 声が震えた。泣く資格などないと思っていたのに気付けば涙を零しながら叫んでいた。


「どうしてあたしを殺したのよ!! あたしもハロルド小隊長もあなたに殺される謂れはないわ!!」


「……へ?」


 青年は今目の前で起こした行いをとぼけるつもりなのか。目を丸くしていた。


 怒りで頭に血が上った。許せはしないと総団長に鋭い眼差しを向ける。


「とぼけないで!! ライブを見に来てくれたお客さんまで殺そうとしたじゃない!! あの男の子だって泣いていたわ!! 守るなんて冗談やめてよ!!」


 じっとノエの瞳を見つめていたリディエンハルト総団長はじっくりと言葉の意味を咀嚼しているようだった。


 やがて一度頷くとリディエンハルト総団長はハッキリと誓いの言葉を口にした。


「了解した。今度こそ俺は間違えない。ノエを守り抜く。例え覆せない未来だとしても──」


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