第2話 プロローグ ルヴィとノエの場合
ザザ……ビー……ザザ……ッピ!
ノイズが消えてクリアな音声が聴こえてくる。
『──つか、なんで白の国を襲うんだ? 白の兵士なんざ黄の国にとって脅威でもなんでもないだろ』
ルヴィを閉じ込める四角い箱の上部には平べったいスピーカーが付いていた。
まん丸いパンのタネをぐちゃっと潰して、フォークで表面につぶつぶの穴を空けたような、真っ黒いスピーカーから青年の声が聴こえてくる。
『理由があるんでしょ。無きゃ来ないわけでしょ。バカじゃん』
もう一人の少し高い声も聞こえた。この人は黒の国の第一独立空挺死人旅団の副団長、ディーウェザーと呼ばれている青年。
パッとルヴィの目の前が明るくなった。気分が前向きになったとか、未来の展望が明るいという意味じゃない。ルヴィの目の前にある四角いモニターに外の映像が映し出されたのだ。
黄の国の兵士が盗撮盗聴している映像と音声がルヴィの閉じ込められた箱の中に届けられる。
『バカはお前だディーウェザー。俺は今理由について考えながら話しているんだろ』
お日様の光を浴びながら空を低速で飛んでいる青年の姿を見て、ルヴィの指先はモニターの先の青年の髪をなぞる。
青みがかった黒髪。髪の色が青みがかっているのはルヴィと同じ神の血を色濃く受け継いだ純血の証。瞳は燃えるように赤い。年齢は二十代前半にも後半にも見える。
ルヴィは享年15歳。ルヴィという名前は本名だった。青みがかったプラチナブロンドは純血の金の国の国民の証である。もっといえば、金の国の教皇の娘がルヴィ。黄の国の教皇の甥っ子の元へ政治の道具として嫁がされ、初夜を迎えることなく断頭台の露と消えた大罪人がルヴィという少女だ。
死人は普通、自分の出自や自分を殺した相手を教えてもらえないけれど、ルヴィは特別だった。
もう一度、モニターに映る青年の姿を見る。彼は黒の国の死人旅団の団長格を総括する総団長リディエンハルト。黒の国の神の名前を名乗る彼はきっとみんなと同じで自分自身のことを何も知らされてはいない。
その名前からある程度、自分の正体には勘づけるかもしれないけど、本当のところは知らないと思えた。
知らされていないのか、それとも誰にも正体がわからないのかはルヴィも知らないけれど。
『今回の奇襲は単なる脅しか、パフォーマンスだろうな』
さすがは総団長さまとルヴィは感心する。それとも呼び方はリディエンハルトさまの方が気に入ってくれるかな、などと益体もない悩みに意識を飛ばしたりした。
ルヴィは彼の呼び方を考えながらため息をこぼす。
(むりむり、やだやだ。こんなに鋭い人を騙し通せるわけがない)
プラチナブロンドの長い髪を振り乱しながら頭を抱えるルヴィはなおも心の中で懺悔と後悔を繰り返す。
(だってバレてるじゃないですか。そうですよ。今回の白の国へ向けた洋上奇襲作戦は単なる脅しとパフォーマンスです。
たくさんの兵士の命を無駄に散らす派手なパフォーマンスをしてでも、このルヴィをあなた様の元へと、リディエンハルトさまの懐に届けたいという、黄の国の仕掛けた罠なのです)
そんなこと、この盗聴盗撮された箱の中で口に出せるわけがないけれど。
きっと、ルヴィを運んでいる兵士も何も聞かされてはいない。
軍の上層部とはそういうものだ。兵士たちを盤上のコマと同じだと思っている。
『……そこまでわかってて黄色頭の乱交パーティーにわざわざ僕たちが出向く必要あるの?』
副団長のディーウェザーも、外見は形容しがたいおかしな人に思えるが、洞察力に優れた戦士なのだろう。
いつもこの二人はコンビで動いているという情報を既に黄の国は手に入れており、付け加えて言うのであれば、今回の作戦はこの二人に潰されるとわかっていた。
『バカか。この状況で単騎で飛べるのは俺たちしかいねぇ。わざわざ黄の国が俺たちをご指名だぞ。行っても罠、行かなきゃ白の国へ侵攻を継続される。どっちがマシかと聞かれれば、罠と知りながら飛び込み、黄色頭をバーベキューにして憂さ晴らしだ』
黄の国が相手国の情報を利用して作戦を企図しているとしても、戦争相手の黒の国だって黄の国の動き方を把握している。
少なくとも黒の国死人旅団の総団長はバカではない。
この作戦に裏があると知りながら、それでも白の国の兵士たちを助けに飛ぶのだろう。
黒の国にとって白の国は同盟国、あるいは双子の国ともいえる仲だ。
決して見捨てるはずがないと、黄の国の作戦本部もわかっていた。
戦争など、騙し合いである。そこに正義と呼べるような大義があってはならないとルヴィは強く思う。
消費されるのは盤上のコマではなく、生きた人間の命なのだから。
(やっぱり無理です。ルヴィを運ぶパイロットの人たちも死を覚悟しながら、なぜ作戦をやめてくれないのでしょうか)
ジリリリリリ……箱の内部に備え付けられた無線機が蝉のように鳴いていた。
ガチャリ。ルヴィは緩慢な動作で受話器を持ち上げると耳に当てて息をひそめる。
「目標が本格的に動き出した。わかっていると思うが、貴様に拒否権はない。泣きつきたければ好きにしたまえ。案外その方が神騙りも同情するかもな」
ゲラゲラと下品に笑うルヴィの上官はそれだけいうと通信を切っていた。
見ればモニターには稲光だけを残して神騙りと呼ばれたリディエンハルトの姿もディーウェザーの姿も消えている。
間もなく白の国の沿岸部では黄の国に捨て駒とされた兵士たちが、リディエンハルトたちの働きによって、こんがりと魂まで焼かれたバーベキューとなるだろう。
一万の命もすべてはルヴィという爆弾を黒の国の死人旅団に仕掛けるための礎となるのだと最初から決められていたことだ。
ルヴィは何をしても、何もしなくても、いずれ爆発する時限爆弾だ。
モニター越しといえども初めて目にしたリディエンハルの姿は夏の夜空のような美しい方にルヴィには思えた。
高く、遠く、深く、どこまでも黒く、燃え上がるほどに赤い、地獄に一番近い夜空のようで、ルヴィは吸い込まれるようにモニターへ手をかざして求めてしまう。
「どうか、ルヴィを殺してください。それ以上は何も望みません。だからどうか、ルヴィの神さま。願いを叶えて」
祈りと懺悔を願いに変えて、ルヴィの魂のすべてでリディエンハルトさまに届けてみせるとルヴィは誓う。
ルヴィを運ぶ輸送機が速度を上げていく。
これが不幸でなくてなにを不幸と呼びましょう。
ルヴィは処刑されたときに、そのまま死んでいればよかった。
死人として蘇ってこなければ、こんな不幸なことに巻き込まずに済んだのに──
☆☆☆
「ノエ、りんごが届いたよ。新鮮な果実だなんて久しぶりだろう」
小隊長に呼ばれて、ノエは青みがかった真っ白なロングヘアーを揺らしながら嬉しそうにデスクへ向かった。
ここは船の中の小隊長室。木製の作りの小さな書斎のような場所だった。丸い窓枠の下に木製のデスクが置かれており、デスクの上には書類が積まれている。今はりんごも置かれていた。
船の中は暖かで優しい光に満ちた森の香りがした。かぐわしい木の香りと、果実の芳醇な甘い香り。川のせせらぎのような澄んだ空気と清涼感。ノエはこの場所が好きだった。
「うわぁい♪ 食べていいんですか?」
「もちろんだよ。ノエのためにりんごをうさぎちゃんにしてやるのもやぶさかではない」
美しいブロンドヘアーをなびかせる美人の小隊長は、子供っぽく笑うと果物ナイフをひらひらと振った。
ノエはくすくすと笑いながら、籠の中のりんごを一つ掴むと、しゃりっと音を立ててそのまま噛り付く。
「甘い蜜とみずみずしい食感! まろやかなりんごの風味と皮の渋みまで美味しいです!」
「超味覚を持つノエの目を輝かせるとは、上官殿も我々に格別なご配慮をしてくれたのだな」
ノエの嬉しそうな顔を見て小隊長は笑みを浮かべた。
ごうんごうんと外から大きな駆動音が響いてくる。この船は空を飛んでいた。
ノエが所属しているのは黒の国の第一独立空挺死人旅団第三十一偵察死人小隊。
全部で二千名からなる第一独立空挺死人旅団の中で、最も人数の少ない小隊。
全部で四十名ほどしかいない偵察死人小隊の中で、配属されて三年目の新人偵察兵。それが見た目十七歳のノエだった。
とはいえ、ノエの仕事は戦場で敵の動きを観測する文字通りの観測手でも偵察兵でもない。
きらびやかな衣装に特別に改造された旅団の制服を着てステージの上に立つ。
たくさんの観客の前でスカートを翻しながら歌って踊るアイドル。それがノエに与えられた仕事内容だ。
なぜ? という疑問は当然ノエは目覚めたばかりの頃から抱いていた。
しかし、軍のお偉いさんは質問自体を受け付けない。それが任務だと言われたら死人は従うしかなかった。
『死人(しびと)』というのは書類上、死んだ人物。あるいは書類上、存在しない人物のことを指す。
ノエも『死人』だ。というより、第一から第十一まで独立空挺死人旅団に属する人間は全員『死人』である。
彼らは例外なく生き返る前の記憶を、死ぬ寸前のことしか覚えていない。
自分の名前も、生まれ故郷も、家族の名前すら忘れている。
唯一、覚えているのは自分を殺した犯人の名前、そして殺されたときの状況だけだ。
自殺者、病死、老衰では死人として蘇らない。犯人のいる状況だけが死人を生み出す。
故に『死人』たちは全員自分を殺した犯人の名前を名乗る。男が女の名前を名乗ることもあり、また逆も多くありえた。
「ハロルド小隊長。今日も書類がてんこ盛りですね。開戦から二年になりますけど、まだ我が国は安泰とは縁遠いのでしょうか」
しょんぼりと俯くノエのピンクパープルの大きな瞳は潤んでいる。
男の名前を名乗る小隊長は苦笑いを浮かべてノエの頬に触れた。
「お前は気にしなくていい。我々は軍人ではないのだ。言ってしまえば善意と善意の助け合い。国は我々に『リターンチャンス』を与え、我らは微力ながら軍事に加勢するだけだ」
ノエたち『死人』は書類上、存在していないため、厳密には軍籍していない。戦時下で命を落とそうが、戦死者として名前が残ることもなく、ドッグプレートも身に着けていない。
しかし、『死人』たちは軍の命令で戦闘に参加する。理由はどの国でも共通のルール『リターンチャンス』があるからだ。
「あたしたち死人に関して定められた法律ですね。曰く『権利の上に眠る者は保護しない』ただし、『権利の上に起き上がった者にだけ全ての権利を認める』」
その通りだとハロルド小隊長は頷く。
「簡単に言ってしまえば自分を殺した犯人を見つけ出して殺してもいいという制度を定めた法律だな。ようは犯人に乗っ取り、正式に住民権を得られる制度がリターンチャンス。住民権を獲得したら、当然旅団に属する義務もない。民間人に戻れるのだ」
殺人を犯した犯人に対する刑罰の意味でもあるので、『リターンチャンス』での復讐は合法である。
しかし、ノエは自分に『リターンチャンス』は無理だなと考えていた。
もちろん、ノエという名前は自分を殺した犯人の名前だ。幸いなことにノエを殺した犯人はノエと同じ女性だった。冷たい冬の日に、首を絞められて殺されたことだけ覚えている。
子猫のようにするりと小隊長の手に頬をこすりつけたノエは安心しきって微笑んだ。
「あたしを拾ってくれたのがハロルド小隊長で良かったです」
目を覚ましてみれば軍の医療施設のベッドの上だった。入隊に伴うあらゆる検査の結果、ノエには超感覚と反転という能力が備わっていることが判明した。
「配属先がたまたま私のところだっただけだよ。だがまぁ、第一独立空挺死人旅団に配属されたのはお互い僥倖なことだな。団長も副団長も英雄級だ。強い上官は頼もしい」
小隊長は報復を考えているのだろうか。しかし、いくら『死人』が能力者といえども、全員が攻撃力に長けた能力とは限らない。
「英雄級。類まれな攻撃力を備えた死人に贈られる称号ですね」
「そうだ。戦場で負け知らずの彼らは百万の兵士より強いとされ、英雄級と呼ばれている」
自分も英雄級と呼ばれるほど強ければ仲間たちをみんな守れるのにとノエは残念に思った。
「また戦場に呼ばれますかね」
「それは間違いなく。慰安活動も戦地においては重要だからな」
前線に配置されることはないが、戦火が去った後の被災地でノエはライブすることが多かった。慰めるくらいなら戦わないでほしい。とは思うが、実際癒されるという人も多くいるので、ノエとしても歌うことを嫌だと言えない。
しかし、被災地といえども世界の多くが戦場であるのは間違いなかった。
「攻撃されたら逃げるが勝ちですよハロルド小隊長」
りんごを掴むノエの手に力が入る。
「ははは、わかっているさ。ノエがいれば接敵されることもないだろうけどな」
照れくさくノエははにかんだ。しかし、ノエの超感覚という能力は完ぺきとは言えない。
「でも、あたしは心配なんです。もし、前のように、あたしが地雷に気付かないとか、不手際でみんなを危ない目にあわせたらと思うと」
心が今度こそ凍り付くのではないか。そういうノエの心配にハロルド小隊長も気付いている。
「ノエが気にする必要はない。ノエも気絶しただけ済んだだろう。みんなも無事だったんだ」
そうは言われても、ノエは胸の前で拳を握りしめた。
「でも、ハロルド小隊長もみんなの心音も異常なほど跳ね上がっていました。あたしが地雷に気付かなかったばかりに」
被災地でライブ会場の下見をしていた時のことだ。敵が仕掛けた地雷に気が付くことが出来ず、踏み抜いてしまったノエは咄嗟に反転の能力を行使したものの、大きく吹き飛ばされたノエの体は地面に強く叩きつけられ気を失った。
目覚めたとき、ノエを囲む仲間の顔は死者を見るかのように青ざめており、そのときのことを思い出し、ノエの声は震えていた。
だが、そんなノエを安心させるように、ハロルド小隊長はもう一度、ノエの頭を優しくなでる。
「いつか人は死ぬ。『死人』も二度目は死ぬのだ。しかし、何度死が訪れようとも、死んだ責任を犯人以外に向けるつもりはない。私が地雷を踏みぬこうが、間違ってもノエのせいだと言わないでおくれ」
そんな風に優しさを向けられたら、ノエは黙って頷くしかなかった。
大昔とは違って魔族が地上で暴れることはないが、たまに魔獣は見かけるので、神と魔族の時代が完全に終わったわけではない。
しかし、文明は完全に人間が主導権を握った科学の時代になった。
現代の世において、魔法と呼ばれる能力は『死人』にしか発現しない。
戦いにおいても主力となるのは性能の良い科学兵器。『死人』の力は切り札のようなものだ。
りんごをしゃくしゃくとかじるノエは思い出したように顔を上げた。
「これアップルパイにしてみんなに配ったらいいかも」
「それはいいな。特にメイベルは大喜びしそうだ。ノエに頼んでもいいか?」
もちろん、と答えようとした。デスクに置かれた電話がジリリリと音を立てて鳴るまでは。
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