一章 予言

第3話 参謀本部は胃と肺に優しくない

 黒の国の参謀本部が置かれているのは、首都の神殿に隣接する四階建ての建物だ。

ワインレッドと茶色いレンガが調和した落ち着きのある外観。丸みを帯びた天井と縦に細長い窓が等間隔に並ぶ姿は古い柱時計を彷彿とさせる形をしていた。


 街全体はどこの国でもそうであるように、地面にはコンクリートが敷かれ、建ち並ぶ建物もモルタルやコンクリート造りが主流であった。

 時折建ち並ぶ屋台からは白い蒸気と共に香ばしい肉の匂いや甘い香りを街へ放つ。匂いにつられた通行人は饅頭や肉串を食べ歩き、思い思いの建物の中へ消えて行った。戦争中であっても戦場から遠い街は平和そのものだ。


 大きなデパートは城のような豪華絢爛な造りで民衆を誘う。路面列車はカランカランと音を立てて民衆を運び行く。住民の誰もが日常を営んでいた。

 道路の設備も最近では小さな農村にまで繋がってきており、一昔前は列車での移動が当たり前だった時代も、今や軍事車両が道路を走るなど近代化は加速的に進められていた。


 しかし、その一方で敬虔な信者たち──ここで指す敬虔とは牧師のように神に生活のすべてを傾倒するようなものではなく、新年に行われる巡礼や縁起担ぎのように信仰深く献身的で敬虔な信者が国民の大多数を占めていた。

 黒の国の主神である黒の神「リディエンハルト」は殺されたとはいえ、人々から信仰が無くなったわけではない。


 神話では十二柱の神々の中で最も強い鉾が黒の神であり、最も堅牢な盾が白の神であったと語り継がれている。

 魔王との戦いに一騎打ちで挑んだ黒の神は魔王と共に倒れた。

 しかし、最後の命の光を使って魔界とこの世界を隔てる封印の扉を設けたとされている。

 世界の平和を守った黒の神の威光を黒と白の民衆は感謝と共に忘れたりしない。


 中には黒の神の復活を願う真に敬虔な信者も多く、黄の国のように神がいないと黒の国を侮蔑されることを国民全体が反発していると言っていい。


 それは隣国の白の国でも同じだった。

 元々、白の神「ジーヴァ」と黒の神「リディエンハルト」は双子の姉弟であったと記述された歴史書も多い。

 そのためか、黒の国と白の国は古くから同盟関係にあり、国交間の往来も自由である。


 また、神の気配は人々の髪の色にも色濃く受け継がれている。黒の国の人々の髪は皆黒い。

 純血であればあるほど青みがかった黒になる。

 そして、白の国の人々の髪は皆白い。純血であればあるほど青みがかった白髪になる。混血になると茶髪や金髪になるのが黒と白の国民の特徴だ。

 他の国にも同様のことが言える。黄の国の人々は皆黄色い、あるいはオレンジの髪だ。

 髪の色のおかげでスパイはすぐに見つけられる。例え髪を染めても、染色剤を溶かせば元の髪色が現れるからだ。

 とはいえ、裏切り者が出ない保証はない。そして、軍事と神事は畑違いの分野だ。


 二階の会議室に集まった参謀本部の面々は四角四面の長机を囲んで一様に暗い表情で葉巻をふかしていた。

 会議室には疑似的な雲が浮かんでいると揶揄されるほど、煙たい場所である。

 もっとも、煙たい思いで皆一様に顔をしかめているのは、煙草の煙ではなく、重く圧し掛かる重責という心情面であったのは間違いない。


 第一から第十一独立空挺死人旅団を統括するイルマール空挺参謀総長は、言わば黒の国の全『死人』たちを管理統率する人物である。

 恰幅の良い体に軍服をぴちぴちに着こみ、じゃらじゃらと胸に歴任の数多さをひけらかしていた。イルマールは没落貴族の出身でありながら、上司にすり寄る手腕は周囲の人間から、手段を択ばない切れ者と評されるほど、卓越している。

 さらには前線勤務時代に軽い被弾で靱帯を損傷。大した大怪我でもないのに以来後方勤務となり、あまり現場を知らないままあらゆる部隊に腰かけた顔の広さでもって順調に昇進を続け、四十手前という若さで空挺参謀総長の座に就いた。


 だが、彼の輝かしい軍歴も、とある一人の『死人』によって空挺参謀総長の座に就くということは絞首台に乗せられたのと同義であると囁かれるまで地に落ちた。

 就任当初は若さの象徴でもある、ふさふさだった黒髪も、今や額から首筋まで禿げ上がり、ささやかな毛がサイドに残るのみとなった。


 汗が止まらないため、ハンカチーフは会議開始の三十分で絞れるほど汗を含む。

 つまり、拭く意味がない。汗の上に汗を乗せるだけの行為を繰り返し、参謀本部に集まる強面の大臣たち、各部隊長、作戦本部の面々から渋い視線を集めていた。

 重たい口火を切ったのは、今回の作戦を立案した作戦本部補佐官、ダイナー上級大佐だ。


「黄の国と戦争が始まって二年。二年間の膠着状態で損失したものは多く、長引く戦争が国民の不安を煽り、経済に悪影響を及ぼすことは、幼児にでも理解できることだと思いますが」


 資源は有限である。人材、武器、弾薬、燃料、食料、水、衣類諸々、そして勝利を確信し、更に一層国のために尽力しようと士気を高めているのは兵士のみならず、国民が士気を保てる時間も有限である。


 というより、時間に関しては時限爆弾ともいえる。不満が爆発すれば政治への不信、果ては内部分裂、最悪内戦まで同時進行で勃発することだろう。

 皆が皆同じ敵を見ていられる時間はそれほど長くないのだ。


「ええもう、仰る通りでございます」


 階級よりも役職の方が重い。汗を塗りたくりながら、イルマールが言えたのはそれだけだった。

 しかし、参謀本部が求めているのは打てば響く同意ではなく、現状を打開する明確な答えである。

 しびれを切らした作戦本部長、バルシュタイン中将は葉巻の先端をイルマールへ向けた。


「なぜこうも『死人』は不手際ばかりを引き起こすんだね?」


 暗に手綱を握れないのはイルマールの力不足だと責められているのだが、イルマールは内心、悪魔につける手綱など存在しないと吐き捨てていた。

 返答を待たずにバルシュタインは続ける。


「本作戦は二年間で失った資金資源諸々を回収し、黄の国に決定打を打ち込む前段階。我らが勝利の前座であり、失敗は許されない起死回生のフェニックス作戦であると君も理解していると思うが」


 まさにその通りでございます、とイルマールは相槌しか打てないでいる。


「作戦内容は最重要機密。いついかなる時に通信を傍受、暗号の解読をされるかもしれない不安要素はすべて取り除き、前線の司令部には上級将校が自ら赴き、機密文書を手渡す手筈だった」


 まるで馬鹿にでもわかるように、とでも言いたげにイルマールに課された役割を復唱していくバルシュタインの言葉は鉛よりも重く頭上にのしかかる。

 心なしか就任以来、背も縮んだ気がした。


「君のところの旅団は子供のお使いすら出来ないのかね?」


 沈黙は肯定と捉えられる。普段から『死人』たちのことは悪魔か化け物と自分自身、蔑む存在であるが、部下が使えないのは全て上官の責任。それはなんとしても避けたかった。


「お言葉ではありますが、国境沿いのレジスタンス如き、威力偵察でもって鎮圧可能と判断した東部前線司令官の判断ミスも大いに影響しているかと」


 だが、問題の東部前線を預かる陸軍参謀総長が唾を飛ばした。


「『死人』の大隊が護衛を務めたのだろう! 普段から『死人』の力は百万の兵士より勝ると豪語しておきながら、たかが普通の人間で構成された素人部隊に包囲される失態はイルマール空挺参謀総長の明らかな人選ミスと言えましょう!」


 同じ階級同じ役職の者に言わせるだけのイルマールではなかった。


「英雄級の『死人』であれば、百万、いや、一千万の軍勢でも地獄に送り返すでしょう! しかし我が国の『死人』の中で英雄級と称されるのは、たったの十三名! 二万人の中で十三名しかおらんのですよ! さらに彼らは全員団長格であり! その全員が!!」


 息を吸い込み、真っ赤な顔で立ち上がったイルマールは脂ぎった拳を机に叩きつけた。


「リディエンハルトの命令しか聞かない悪魔だ!!!」


 第一独立空挺死人旅団の団長、あるいは旅団の団長格全てを統括する総団長リディエンハルトの名前が出ると参謀本部の面々は皆一様に顔を青くさせた。


☆☆☆

こちらの作品、元々電撃の応募用に書いていたため、一話分という区切りがありません(;^ω^)

なので、一章を何分割かに分けて次回より毎日20時ころ更新予定です。


真面目な話とおっさんたちの脳内ビジュアルで頭が痛くなった方は、ぜひ同時連載中の「ごちそうシスター♡」を覗きにいってください(*´ω`)


向こうは萌えと微エロに満たされて、脳みそ空っぽになること間違いなしの恋愛ファンタジーです笑


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