異界駅にて

晴牧アヤ

異界駅にて

 電車が到着した。駅のホームにある椅子に座りながら、私はそれをじっと見ていた。かぶっている帽子が風で飛ばされないよう手で抑えながら。

 ドアが開くと、一人の女の子が降りてくる。けれど明らかに狼狽していて、直前まで降りていいのか迷っていたのだとすぐにわかった。仕方がない。ここは”そういう“駅だ。彼女は何も悪くない。

 彼女も私のことに気がついたのか、焦りと不安の色を見せながらこちらに駆け寄ってくる。そして、予想通りの言葉を発した。


「あのっ、ここってどこなんですか!?」


 中学生くらいの、綺麗で可愛い子だった。銀色の長い髪に黒いカチューシャをつけた姿は、おとぎ話に出てくるような少女を彷彿とさせた。

 そんな迷子の少女に、私は落ち着いた調子で応える。


「ここはね、君が住む世界とは異なる世界の駅。異界駅、っていうのかな。君はそんな場所に、たまたま迷い込んじゃったわけだ」


 異界駅。普通なら来ることない異界の中の無人の駅。電車は一日一本のペースで来るけど、人が乗ってくることは滅多にない。

 辺りは木々に囲まれていて、今は夜だから真っ暗だけど、晴れた日の昼でも薄暗い。霊感があろうがなかろうが、誰もがここにいてはいけないと感じるはずだ。


「えっ、それじゃあ私、もしかして帰れないんじゃ……」

「ううん、大丈夫。私が君をちゃんと帰すよ。ま、とりあえず落ち着きなさいな。隣に座ってさ」

「は、はい……」


 彼女はおずおずと隣の椅子に腰掛ける。それを確認して、私は気さくに問いかけた。


「ね、何から聞きたい?」

「え、えぇっと……」

「なんでもいいよ。私の好きなものとかでも」

「いや、そういうのは別に……」


 まあ、そういう反応になるよねぇ。何を聞けばいいのかわからないんじゃなくて、どこから聞いていけばいいかわからないんだろうね。それはそれとして、ちょっとしょんぼりした顔をしてみせる。


「ああ、ごめんなさい! お姉さんに興味がないとかそういうわけじゃなくて……」

「あはは、それは嬉しいね。それなら、私のどういうところに興味があるのかな?」

「えっと、あなたは……。

 ――あなたは、何なんですか?」


 なるほど、そういう聞き方をするのか。良いよ、なんでも話したげる。それが私の役目だからね。


「私はね、ここに迷い込んできた人を元の世界に帰す人。言ったでしょ? 君をちゃんと家に帰してあげるって。案内人って言えばわかりやすいかな」

「それじゃあ、あの、お名前とかって……」

「ん? ああ、呼び方ね。今言った通り『案内人』って呼んでくれればいいよ。まあ、なんでもいいけど」


 そう私は答えたものの、なんだか納得がいっていない様子の彼女。ふむ、そしたら、彼女には一から説明した方がよさそうだ。


「私はね、名前をなくしちゃったんだ。私もそれを忘れて思い出せないし、それにもう、ここから出られない」

「え? それってどういう……」

「実は私、君達と同じ世界から来た人なんだ。君みたいに、かつてこの駅に連れてこられたの。そして、私はここに残ることを選んだ。そしたら、いつの間にか私もこの世界の一人になっちゃったみたい。名前もなくなって、ただこの駅に残り続ける存在になったみたいなんだ」


 思い出すのは、ここに着た瞬間に感じた怨念の数々。たまたま一緒に連れてこられたサラリーマンが錯乱して、狂いながら森の中へ走っていく様子。私は元々強めの霊感があったから、なんとか正気を保てた。けれど、一緒にいたサラリーマンは耐えられなかったようだった。彼がどうなったのかは、私にはもうわからない。


「ここにいる怨念たちも、正気を保てなくて死んでいった人達なんだと思うんだ。だから私は、ここに残って人々を助けることにした。この駅に来た人を落ち着かせて、安全に家に帰す役目を受け持ったの。おかげで年を取ることもなくなったし、死ぬこともなくなったんだ。不老不死だよ、すごいよね!」

「あなたは、どうして……」


 この話をすると、いつも同じような反応が返ってくる。私を憐れむような目をして、慰めようとする。別に、それについて特段文句があるわけじゃない。けれども、この選択を後悔しているわけでもない。死んだわけでもないしね。


「これが、私の正体。案外呆気ないものでしょ?」

「そんなこと、ないです。むしろ私が変わってあげたいくらいで……」

「あはは、みんなそう言う。でも、無闇にそういうこと言うもんじゃないよ。本当にそうなっちゃうかもしれないからね」


 そう返すと、押し黙ってしまう彼女。同情するだけなら構わないけど、同情だけで引き受けるものじゃないからね。

 話が一区切りつくと、私は立ち上がる。そして帽子をかぶり直し、未だ納得いかなそうな顔をした彼女に声を掛けた。


「――さて、そろそろ行こうか」


≪≫


 駅のホームから線路に降り立ち、それに沿うように歩いていく。先導する私の後ろに、彼女がついてくる形だ。閑散な森の中を、私達は黙って進んでいた。

 一度だけ彼女から、線路の上なんて歩いていいのかと聞かれた。それに対して、私は駅の出口から出られないから、明確な境界線を持たない線路を使って移動していると答えた。まあ、それでも行ける場所は限られるんだけど。それにここは異界なんだから、元の世界の秩序なんか守ってちゃダメだよね。


 なんだか重苦しい空気が続いてしまう。どうにか茶化そうにも、彼女が笑ってくれることはなかった。

 そうやって気まずい雰囲気を感じていると、唐突に彼女から声が掛かった。


「あ、あのっ、そういえば名前、教えてなかったですよね?」

「え、名前? ああ、君の名前か。いや、教えてなくても大丈夫だよ」

「いや、でも、なんて呼んだらいいかわからなくなりませんか?」


 続けて問う彼女に、私は振り向くことなく、変わらぬ調子で答える。


「そうでもないよ。私は君のことを君って呼ぶし、君も私のことは好きなように呼んだらいい。どうせ私達以外の人はここにはいないからね。それにここでの出来事は、今後の君の人生において一切影響することはない。気に留める必要は――」

「だから、そういうことじゃなくて!!」


 その時、彼女が初めて大声で叫んだ。流石に驚いた私は、思わず歩みを止めて振り向いた。彼女は目尻に涙を浮かべていて、私はその時、初めて何か間違ってしまったのだと勘づいた。


「あなたはさっきから、どうしてそう淋しいことばっかり言うんですか! 一人でこんな世界に閉じ込められて、悲しくないんですか? 辛くないんですか? 出会った人の名前くらい、知りたいとか思わないんですか!?」


 次の瞬間、私は頭を抱えた。彼女が慌てて駆け寄ってくる。私は、自分が恐ろしくなった。

 悲しくなんかない。辛くなんかない。だって、そんな感情はとうになくなっていたから。忘れたのはなにも名前だけじゃない。個としての私が、徐々に薄れていくのを実感した。

 それでも、心配そうな彼女の顔を見て、私はなんとか笑顔を保った。いつの間にか落ちていた帽子を拾い上げて、心配させまいと彼女に語り掛ける。


「名前を聞かないのはね、君がこの世界にいた痕跡をなるべく残したくないからなんだ」

「痕跡を、残したくない、から」

「そ。でないと、またここに戻ってきてしまうかもしれないからね。一回なら戻してあげられるけど、二度も三度も来られたら流石にどうなるかわかんないもの。

 特に名前っていうのは、特に大事にしなきゃいけないものなの。異界で易々と口に出していいものじゃない。代わりに別の名前をつけるなんてもってのほか。だから私は、ここにやってきた人に対して特定の名前で呼ばないことにしてるの。ホントはさ、君の事だってもっといっぱい知りたいんだから」

「お姉さん……」


 出会い方が違えば、私達はもっと自由に自分の事を語り合えたんだと思う。けれども、現実はこうだった。今更たらればを考えるのは実に滑稽なことだろう。だって、これが私達の運命だったんだ。


「――お姉さんをここから出すのは、本当に不可能なんですか?」

「うん、無理だね。どうやっても物理的に弾かれちゃう」

「でも、もっとお姉さんと一緒にいたいんですよ!」

「我儘言っちゃいけないよ。そういうものなんだから」


 そう言って、私は再度歩みを進めた。彼女の気持ちを無視していることは承知している。同時に、私が如何に冷めきってしまっているかも理解できた。私の心には、迷い込んだ人を元の世界に帰すという使命だけがある。

 ……そうだ。私の役目は、彼女を家に帰すことだ。他に何も考えることはない。


 気付けば、私達はトンネルの前まで来ていた。このトンネルをくぐれば、元の世界に帰ることができる。そして、ここまで連れてくるのが私の役目だ。後は彼女を見送るだけ。簡単なお仕事だ。


「さ、ここを抜ければ元の世界だ。気をつけて行くんだよ」

「ここを、抜ければ……」


 この時の反応は、大体二つに分かれる。一つは構わずトンネルをくぐるか。もしくは私をここに残すことを案じてなのか、その場で少しの間躊躇うか。彼女は当然後者だ。

 ちなみに、ここが本当に出口なのかと疑う人はいない。そういう人は、そもそもここまで私についてくることはないから。

 また、私はこのトンネルが出口なのは間違いないと思っている。それは長い間『案内人』として色々調べた結果だ。まあ、時間は有り余ってるしね。


「ほら、早く行きなよ。制限とか特にないけど、君だって早く家に帰りたいでしょ?」

「……」


 彼女は何も言わず、ただ俯いて拳を握りしめている。それを見て、私は気付いた。

 彼女のそれは、以前までに迷い込んだ人は違ったものだった。躊躇というよりも、葛藤といったほうが正しいんだと思う。いや、もう既に彼女の心は決まっているのかもしれない。


「私、あなたを見捨てて行きたくないです。私もここに残ります」

「だからダメなんだって! どうしてそこまで私に固執するの?」


 厄介なことになったと思う。流石に自分のことを話しすぎた。正直、ここまで彼女が同情的になるとは思っていなかった。いや、本当は心の何処かで、可哀想な人だと思われたかったのかもしれない。そんな卑しい感情のせいで、いらない同情を誘うような言動をしていたのかもしれないけれど、実際のところはよくわからない。


「あなたの話を聞いて、私が隣にいてあげればいいかなって思ったんです。お姉さん、あなたは自分で思っているより辛そうな顔をしてますよ。独りでこんな所に縛られるなんて、誰だって嫌なんです。でも、二人ならきっと淋しくない」

「二度と家族とか友達とかに会えなくなるんだよ? なんにもない所に閉じ込められることになるんだよ? 私の為だけに、こんなこと付き合わせたくないよ!」

「その言葉、そのまま返したいくらいですよ。きっとあなたも、家に帰りたいと思った時があるはずです。それでも案内人を続けたんですよね? またここに来る誰かの為を思って。私がその気持ちと同じだってわかりませんか?」


 本当に、面倒なことになったと思う。さっさとトンネルをくぐって帰ればいいのに。彼女にとって、帰らないという選択はきっと後悔する。対してここを去ってしまえば、元の生活を送れるのだ。私とのやり取りなんて、きっと風化していくだろう。私という存在も、時が経てば彼女にとって希薄なものになっていく。そんなものの為に、これからの生活を投げ出す必要なんかない。

 このままじゃ埒が明かない。言葉だけじゃどうにもならないと気付いた私は、妥協案として、彼女の目の前にかぶっていた帽子を捨て置いた。そうして彼女に言い放つ。


「ここに残ることは絶対に許さない。だから、妥協案だよ。その帽子、欲しかったら持って帰ればいい。拾うかほっとくかは、君の自由」

「い、いいんですか……?

 あっ、いやっ、私が望んでるのはこういうことじゃなくて――」

「でも、それを持って帰るってことがどういうことか、ちゃんと理解してね。要は、私やこの世界と縁を持つということ。名前の話をしたと思うけど、その逆だよ。元の世界に戻っても多かれ少なかれ影響は出るはずだし、最悪ここに戻ってくることになるかもね。その場合、私はもう君を助けない」

「……」


 正直、妥協案ですらないだろう。結局彼女の望みは叶えられていないから。むしろ彼女が帽子を持ち帰った場合、元の世界に異物を持ち込んだことになる。妥協案ではない、嫌がらせだ。

 私は踵を返して、駅の方に歩き出す。すぐに背中から声が聞こえた。


「私、すぐに戻ってきますから! あの駅のホームで待っていてください!!」

「……私は、ここで最後の別れにしたいよ。さよなら」


 そうして私達は、帰るべき所へと戻っていった。


≪≫


 待つことは、案外嫌いじゃない。ホントは期待していいことじゃないけど、どんな人が来るのかちょっぴり楽しみなのだ。

 これまで色んな人に出会ってきた。私を信じてついてきてくれた人や、拒否して何処かへ行ってしまう人。出口に着くなり走り去ってしまう人や、私が寂しくないようできるだけ長く話に付き合ってくれた人。そしてあの彼女のように、役目を代わってあげたいと言う人。その想いが一番大きかったのが、あの子だった。

 ……いや、でも、その『あの子』もただの一つの凡例に過ぎない。特別扱いしてしまった気は否めないが、きっとそう思えてしまっているだけだ。こんなことは今後もあり得ると考えていいだろう。


 それでも、心の隅っこで、『あの子』が来るのを待っていた自分がいた。いつかまた電車が来た時に、私の帽子も持ってひょこっと現れてくるのではないか、と。

 ――ああ、それは、役目を遂行する『私』にとって不要な感情であり、同時に『私』がまだ感情を持っていることの証でもあるのだった。

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