第43話 聖女と悪妻
「――下がれ!」
レイヴィスの声が響くと同時、光の防護壁が展開して政務室にいるリリアーナと使用人たちた包み込まれる。
その瞬間、エリナの魔力が障壁に衝突し、激しい音を立てて両方とも弾け飛んだ。
強い風が巻き起こり、書類が舞い上がる。それでも、誰も傷ついてはいない。そしてすぐまた防壁が生まれる。
「死ね、死ね、死ね……」
エリナは狂気に満ちた瞳で壁越しにこちらを見据え、さらに魔力を膨れ上がらせていく。
その身体を包む紫の波動はますます荒れ狂い、周囲の空気を歪ませていく。
暴走する魔力と、光の障壁の間で拮抗する圧力が激しくぶつかり合って、政務室の空間全体が揺れるようだった。
「……なるほど、体内で生み出したマナに、自己の二種の魔力を共鳴させているのか……」
レイヴィスはどこか高揚を抑えきれない声で、エリナの魔力を分析していた。
「聖女という部分は妄言ではなかったようだが――」
エリナの魔力を見極めながら、防護壁をさらに強化する。
しかし、金色の瞳にはどこか失望の色が浮かんでいた。
「――この程度か……」
――次第に、光の障壁が圧されていく。エリナの魔力の圧力に抗いながら、レイヴィスの眉間には少しだけ緊張の影が浮かんでいた。
その姿に、リリアーナは息を呑む。
レイヴィスは皆を守ろうと命を懸けている。
自分には、何ができるのか――
(私にも、魔力はある……)
レイヴィスと同等の魔力が眠っている。
――守りたい。
いままでは、ただ守られるばかりだった。
ずっと――ずっと――守られてきていた。
今度は自分が守りたい。
何もできないまま死にたくない。死に行く姿を見たくない。力に、なりたい――
「――レイヴィス様!」
リリアーナは決意と共に駆け出した。吹き荒れる悪意の嵐の中、床を蹴って、レイヴィスの元へ。
「リリアーナ? 下がれ――!」
レイヴィスが叫ぶが、足を止めない。
その手がレイヴィスの肩に触れた瞬間――
あたたかく穏やかな力が、二人の間を流れた。
――魔力共鳴。
リリアーナの身体の中で眠っていた魔力が、レイヴィスの魔力と響き合うようにして絡み合い、二人の間に力強い光の奔流を生み出した。
そして、光はエリナの暴走する魔力を一瞬で押し返していく。
「――――ッ?! ありえない……ありえないよ、こんなの……!」
エリナの魔力が荒れ狂い、凶暴な波動が膨れ上がっていく。その圧力で、壁は軋み、床には細かな亀裂が走る。
――そして、悪意が流れ込んでくる。
それは彼女の悪意か、それとも自分自身の心の奥底からの声か。世界の声か。
お前なんか――私なんて――悪妻――主人公の引き立て役……
存在してはならないもの――『物語』の異物――……
消えろ。消えろ。消えてしまえ。跡形もなく。
戻れ。あるべき姿に。
(暗い……)
目の前が闇に覆われたかのように暗くなる。
しかしリリアーナは恐れなかった。
光が――太陽が、自分の中にあるから。
ずっと寄り添ってくれる熱が、心が凍てつくような風の中でもあたたかく照らしてくれているから。
「私は、『悪妻』なんかじゃない……」
リリアーナの中にある、自分の魔力とレイヴィスの魔力が、共鳴して力強く脈動していく。
「私は、私だもの!」
その瞬間、リリアーナの心に入り込もうとしていた悪意が跡形もなく霧散する。
そしてエリナの魔力を一瞬押し戻した。
「リリアーナ――」
「こんなもの、全然平気です。レイヴィス様の魔力の方が、ずっと大きくてすごいですから!」
力を込めて言い放つと、レイヴィスの金色の瞳がわずかに揺れた。
「――そうか」
一瞬、彼の瞳が柔らかく細められる。その冷徹な顔立ちに僅かな温もりが滲み、力強い頷きと共にリリアーナの手をしっかりと握り締めた。
レイヴィスは一瞬目を細める。その表情には微かな柔らかさが滲んでいた。
小さく頷き、リリアーナの手をしっかりと握り締めた。
レイヴィスが杖を握り直し、リリアーナの瞳をしっかりと捉えた。
「リリアーナ、いつものように――」
「はい、レイヴィス様――」
リリアーナは深く息を吸い、頷く。
その瞬間、レイヴィスの魔力が流れ込んでくる。
穏やかであたたかく、それでいて圧倒的な力を持つ波――リリアーナはその魔力に導かれるように、自分の中の魔力を解き放つ。
二人の魔力が互いに響き合い、絡み合う。
紫と金色の輝きが部屋中を満たし、エリナの放つ暴走した魔力を押し返していく。その光景は、まるで夜明け前の空が黄金色に染まっていくようだった。
「こ、こんなこと、あっていいわけないよぉ……! 悪役が、主人公に逆らうなあ!!」
エリナが叫び、最後の力を振り絞るように魔力を高めていく。
しかしその奔流は、共鳴するリリアーナとレイヴィスの魔力には到底敵わなかった。
「――いや……いやああああ……!!」
エリナは攻撃を諦め、防御のために自らを包む魔力の殻を作り始めた。
強固な自己の檻――しかしそれが生まれたのも一瞬のことで。
レイヴィスがリリアーナの手を離し、一気にエリナに詰め寄る。
高く掲げた杖を振り下ろし、防御壁を貫く。
エリナの身体が衝撃に弾き飛ばされ、床に倒れ込む。
レイヴィスの杖先が、エリナの喉に勢いをもって迫る。
エリナは身を震わせ、瞳は恐怖に見開かれる。
レイヴィスが杖を突き下ろすと共に、床の上でエリナの身体が跳ねた。
深い亀裂が床に広がる。
――杖は喉元ではなく、そのすぐ横の床へとわずかに逸れていた。
「歪んだ自己愛の成れの果て」
レイヴィスの声が冷たく響き渡る。
「お前などの力はいらない」
その一言と共に、エリナの意識が失われていった。
「――エリナ、お前はエルスディーン家の当主と妻を殺そうとした罪で王に処断を委ねる。最低でも一生陽の光を浴びることはないだろう」
気絶して床に横たわるエリナを見下ろしながら、レイヴィスは告げる。もちろん反応はない。
レイヴィスは振り返り、サイモンを見つめた。
「サイモン。お前は降格だ」
「……はい」
「たとえリリアーナの指示があろうと、私情で帳簿を改ざんするな。補佐からやり直せ」
「……御恩情ありがとうございます。一からやり直します」
震える声でサイモンが応じる。
レイヴィスはわずかに眉を上げ、さらに厳しい声を続けた。
「お前の家族の病気とやらについては、俺が援助する。詳しく調べさせてもらうぞ」
サイモンの目が大きく見開かれ、唇がわずかに震えた。
「二度と期待を裏切るなよ」
「……はい。ありがとうございます……」
サイモンは深く頭を下げた。
その姿に、リリアーナもそっと安堵した。
――こうして、裁きが終わりを告げる。
長い夜が、ようやく明けようとしていた。
◆◆◆
――その後。
エリナは侯爵と侯爵夫人を殺そうとした重罪人として捕らえられ、魔封じの処置を受けて城内の塔に幽閉されることが決定した。
命を奪われずに済んだのは、彼女の魔力が実際に非常に高く――聖女となる可能性があるからだという。
――魔力の高い人間は貴重なのだ。
貴き血のものは魔力が高いものが多く、魔力の高い人間は、同じく魔力の高い相手としか子が作れないのだから――……
次の更新予定
捨てられるはずの悪妻なのに冷徹侯爵様に溺愛されています 朝月アサ @asazuki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。捨てられるはずの悪妻なのに冷徹侯爵様に溺愛されていますの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます