第29話 やべー奴とやべー奴 下
「催眠……アプリ?」
言いながら脳裏にフラッシュバックする。
人付き合いが苦手な後輩に面白半分心配半分でインストールさせた、適当に見付けた催眠アプリの事が。
「……その感じだと、既に何か心当たりがある感じかな?」
「いやないないそんなの。何言ってんだコイツって思っただけで」
嘘だ。
……とは思ったが、果たしてあの一件を心当たりと言っても良いのだろうか?
普通に考えれば冗談みたいな話で、図らずも真面目な空気になった今考えるような事では無い筈だ。
柴崎のような経歴持ちがピンポイントにその単語を出してくると、どうしても嫌な感じはする訳だが、流石にあの件はただの冗談で終わっている。
そしてそもそもきっと柴崎が始めたこの話題も、適当な冗談を言う流れを作っているだけだ。
心当たりが有ろうが無かろうが、真面目に考えるだけ馬鹿らしい。
……だが。
「そうかい。キミならあり得る話だと思ったが……無いならそれに越した事は無いね」
安堵するようにそう言う柴崎のあまりの似合わなさに、どこかこれから話そうとする事柄の真実性を感じ取ってしまう。
(……いやいや落ち着け。これじゃ私がコイツに乗せられてるみたいだ)
そう思いながらも、どうしても頭からその単語が離れていかなくて、柴崎が話し始める前にこちらから問いかける。
「で、その催眠アプリってのがどうかした? そもそも何それ」
「言葉の通りだよ。催眠術をかけるスマートフォン専用アプリ」
「催眠術かけるって……そういう遊びをする為の玩具みたいなもんでしょ。こんな妙に重い空気演出して話す事?」
「話す事だよ。何せ今、本物が出回っているという噂だ」
「本物って……それソースどこ?」
「人権掌握研究会のコミュニティ内だね」
「怪しさ満点じゃん……ていうか本物って、んな事ある訳……」
「ある訳無い。それを僕の前で言えるかい?」
「……」
「そして僕がやっていた事は僕しかできない事でもない。悪質な宗教団体もそうだし……かつで僕らにとって身近だった話をすると、あの雲を見る会も果たして真っ当なプロセスを踏んで出来た物かどうかは怪しいだろう」
「いやアレに関しては真っ当なプロセスでおかしな事をやってるんじゃない? 設立した時の生徒も教師ももういない訳で、それでも潰れてない訳だから」
「まあその辺の真相は闇の中さ」
(その辺は光だと思うけど)
「と、まあそんな風に人は人の意思決定をある程度操る術を確立させている。そして最近は様々な分野で機械が人に取って変わる時代だ。最初は補助程度でしか使えなかった技術が、物凄い成長速度で人の領域を超えていく」
「だからボタン一つで人操れるようなアプリがあってもおかしくないって事? 馬鹿馬鹿しい」
「僕らからしても根も葉もない噂であって欲しいさ。だけど現状それを虚偽だと断定はできない。何せそれらしい実害が出ている」
「実害?」
全然関係ないと考えながらも、弟が野球を辞めると言い出した時の事がフラッシュバックしてくる。
そしてそんな美琴の内心を知ってか知らずか、柴崎は言葉を紡ぐ。
「最近海外でサイレンススティールと呼ばれる事件が起きてね。大体言葉の通り静かな強盗って感じだ」
「言葉の通りって言われても意味分かんないんだけど」
「店の中に入って来た男は店員にスマートフォンの画面を見せたそうだ。それだけで店員はなんの抵抗も無くレジの現金を手渡した」
「画面に脅迫文でも書かれてたんじゃない? それこそ大人しく金出さないといけないような。で、そもそも強盗相手に抵抗しないでしょ。ウチも危ないからそういう輩には抵抗するなってマニュアルになってるでしょ」
「……キミは抵抗しそうだけど」
しない筈。多分。
「まあキミの言いたい事も分かるけどこの一件の不可解な所は同様の手口が近隣で何件も起きている中で、その全てにおいて警察に通報もせずに通常通りの業務を平気な顔して続けていた事にある」
「そんな事が有ったのに?」
「ああ。そして金を奪われたという事実を、第三者に強く指摘され、映像を見せられた上でも正しく認識しなかった……まるで一瞬にして強盗犯に洗脳されたみたいにね」
……確かに普通ではない。
まるで柴崎の言わんとしている通り、催眠アプリで洗脳でもされたかのようだ。
「……それでその事件、最終的にどうなったの?」
「犯人は無事逮捕。それぞれ少し時間が経ってから同僚や客という第三者が異変に気付いて通報してね。そして犯人は監視カメラにしっかり顔が映っているという大ポカをしでかした訳だから。間抜けだよ本当に」
そう言って小さく笑う柴崎は続ける。
「それで現地警察の長い尋問の末に犯人から語られたのはスマートフォンアプリで催眠をかけたという供述だそうだ」
「薬でもやってるみたいな話ね」
「実際そういう風に判断されて真相は闇の中。少なくとも外部から得られる情報としてはね。ただ彼が語った証拠隠滅の為にアプリを削除した時間に、おかしくなっていた人達は元に戻っているらしい。これは本当にただの偶然かな?」
「……」
とても偶然には思えない。
偶然でなければおかしい程に現実離れしている話だとは思うけど、それでも。
そしてそれを偶然として処理できなかった時点で、どうしてもこの確認はしなければならない。
「ちなみにそのアプリってのはまだ入手できるの?」
陽向のスマホにインストールした催眠アプリがどういった名前でどんなアイコンをしていたかは覚えていない。
それでもいざ現物を見せられれば、それと一致しているかどうか位は分かる筈だ。
分からなければならない。
……当然、疑っている訳ではない。
そのつもりだ。その筈だ。
自分はただ証明したいだけなのだ。
弟の件と陽向が歪な形で関係していない事を。
弟の選択も、先程も見せていた二人の満更でもない幸せそうな光景も、真っ当な形で作られたものだと。
証明したいだけだ。
だけど柴崎は小さく首を横に振る。
「さっきも言っただろう? あくまで本物かもしれないという噂が流れているだけに過ぎない。故に該当するアプリの名前も分からないわけだ。だから答えは分からないと言うべきかな」
「……」
そういえばそうだった。
それを聞いて苦虫を噛み潰すような表情を浮かべる美琴に柴崎は言う。
「だけどもう配布されていないと言っている人間の事は知っている。彼の発言を鵜呑みにするなら、もう入手不可だ」
「……ちょっと待て」
柴崎は噂段階だから詳しい事は分からないようだった。
だけどその先を知っている人間が居るのだとすれば。
「じゃあそいつ、噂以上の事を知っているって事にならない?」
噂以上となれば、その先にあるのは実体だ。
「鋭いね。そう……僕は催眠アプリを実際に入手したと話す男の事を知っている」
そんな嘘臭い事を話す柴崎からは、どうも嘘を付いているような様子は感じ取れない。
つまり彼と関係のある人間の中に、実際にそういう事を言っている奴が居るのだろう。
「私的にはお前がどうなろうと別にどうでもいいんだけど、そんな奴とはさっさと縁を切ったほうが良いと思うけど」
「真偽がどうであれその方が良いだろうね。特に本当の事を言っているのだとしたら尚更。少なくとも絶対にオフで会ってはならない人間だ」
「催眠をかけられる可能性があると」
「そういう事。だから情報を抜けるだけ抜いて縁を切る……自慢する割に妙にガードが硬いからうまくはいってないけど」
「こんな事言いたくないけど、変な詮索も危ないから止めとけば?」
「でも詮索したからこそ、得た情報もあるよ。その男の発言が全て妄言と虚言の塊なら話は別だけど」
そう言って柴崎は一拍空けてから言う。
「まずアプリが出回っていたのは、丁度僕らの卒業式が有った日だけだ。それも僅か1、2時間程度。僕らが式後に在校生と最後のコミュニケーションを取っていたタイミングだね」
「……」
「だから無名のそのアプリをダウンロードできた人数は世界的に見ても極めて少ないと言える」
だけどあまりにもピッタリとそのタイミングだ。
自分が陽向と会話を交わし、冗談みたいな流れで適当な催眠アプリをインストールしたタイミングと。
「そして自分自身に暗示をかけるような使い方はできず効果は他人相手のみ。使い方は画面を見せてさせたい行動を言葉にする、だそうだ」
そして弟曰く陽向にはなんの効果も与えられなかった。
自己暗示をかけても、そこにはコミュニケーションが苦手なままの陽向がいる。
「だからもしキミの前にそうした類いの怪しい輩が現れたら、とにかく画面を見ない事だ。それさえ見なければ暗示には掛からない」
「仮に事実だとして、私の前に都合よく現れるかよ」
言いながら、すぐそこでパフェを食べている後輩の姿を思い浮かべる。
……関係ない。
「どうだろうか。キミはそういうおかしな何かを引き寄せるからね」
「おかしな奴が言うなよ」
……関係ない。
「ま、もし本当にそんな物騒な物使う奴が近くに現れたら警戒するよ」
あの時の催眠アプリは関係無い。
……本当にそうか?
此処までタイミングが有っていて、実際不可思議な事が起きていて。
そして否定しながらも陽向の事を考えていたら、自然と一つの可能性に行き着く。
陽向はコミュニケーションが苦手だ。
それも初対面の男子ともなれば、想定外の動きをするかもしれない。
もしかして、自分の想定外の流れで。
あくまで歪な形のコミュニケーションの一環で、冗談みたいな存在である催眠アプリを使ったとしたら。
……嫌な形で仮説が積み上がっていく。
白井陽向に限ってそれが無い訳じゃない。
白井陽向であるが故に、起こり得る事故が起きたのかもしれない。
そして柴崎はこちらの眼を見て呟く。
「僕の方から踏み込んだりはしないさ」
「何の話だよ。なに、まさか私が既に関わってるとでも言いたいわけ?」
「さ、どうだろうね。ただキミさえ良ければこの件、今後とも情報は流そうか?」
「……いらない」
そうだ、そんなのはいらない。
全部偶然な筈だから。
「というかなんだよ今日のアンタの距離感。私らどっちかと言えば因縁の仲みたいなもんでしょ。どうしたほんと」
「ま、折角同じバイト先になったんだ。やべー奴同士仲良くしようと思ってね」
「嫌だ」
「そりゃ残念」
本当に柴崎は碌な事をしない。
……これでどう事を転がすにせよ、何も考えない訳には行かなくなった。
眼を逸らそうとしていたおかしな事を真正面から見ないといけなくなった。
だってそうだ。
これだけ情報が入った上で、事の中心に居るのが大事な弟と後輩なのだから。
これで全部に眼を瞑って、何も考えず生きていけるような人生は積み重ねていない。
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