第8話 陰キャ先輩とご機嫌な放課後

 白井陽向は今日という日を迎える事が不安で仕方が無かった。


 良くも悪くも文芸部には沢山の思い出が詰まっていて、間違いなく大切な居場所で。

 流石にそのまま引き継ぐのではなく、ある程度落ち着いた形にはしたいとは思っていたが、とにかくそんな思い出の詰まった文芸部を守れるかどうかの大切な一日だった。


 だけどそんな一日を戦い抜くにはあまりに自分は弱くて。

 冗談半分どころか、ほぼほぼ冗談みたいに託された催眠アプリに縋り付いてしまう程に弱くて。


 そんな訳だから、笑って帰れる気がしなかったのだ。

 だけど。


「姉ちゃん機嫌いいじゃん」


「そんな事無いよ。昨日までと変わらない」


「昨日までこの世の終わりみたいな顔してなかったっけ?」


 自宅のリビングで顔を合わせた二つ下の弟にそう指摘される位には、明るい気持ちで一日を終えようとしている。

 そして弟の朝陽は意地悪な笑みを浮かべて言う。


「彼氏でもできたか?」


「ふぇ!? か、彼氏とか、そ、そそそ、そういうのと違う……」


 まあ黙っていれば美人だった姉と同じように弟のほうも顔は良い。

 自分が所謂面食いという部類の人間だったら、コロっと落ちてたかもしれない。

 でも違うから違う。


「まあアルティメット内弁慶の姉ちゃんに限ってそれは無いかー」


「し、失礼な」


 自然な流れでアームロックを仕掛ける。

 それに対して全然平気といった様子で朝陽は言う。


「姉ちゃん昔はこういう時ポカポカ叩いてくる感じだったのに、ここ一年で随分とアグレッシブに……いや、全然痛くないんだけども」


「お、温情だ。身内だから。その気になればもっと上手くやれる……部活で護身術習ったから」


「姉ちゃん本当に文芸部かよ」


 文芸部の筈だ。


「そんな訳で実は結構強い。柔道部のフルパワーが100だとしたら、30ぐらいはある」


「それ一般女性以下じゃねえかな……」


 ちなみに赤羽先輩は200位はある。

 なんであの人文芸部入ったんだろう。


「……で、姉ちゃんが機嫌良いのアレか? 来たのか新入部員」


 アームロックを振りほどきながらそう問いかけてくる朝陽に対し首を縦に振る。


「まだ入ってくれるか分からないけど……前向きに考えるって」


 まだ前向きに検討するというだけ。

 何も決まってはいない。

 明日になったら全部ひっくり返るかもしれない。


 それでも……それでも。


 心が暖かい気持ちで一杯になる。


「良かったじゃん」


「うん……部長らしく、頑張らないと」


「部長らしく、ね。俺もキャプテンやってるから、アドバイスしようか?」


 朝陽は地元の硬式野球チームでキャプテンをやっていて、エースらしい。らしいというのは場の空気が苦手で試合を観に行ったりとかをしてないからだ。

 陰キャ中の陰キャの自分が立ち入るのはなんだか気が引ける。


 そしてそんな集団のトップの先輩である弟の申し出に対し、陽向は首を横に降った。


「大丈夫……尊敬できる先輩の、尊敬できるところだけ引き継ぐから」


「尊敬できねえところも一杯ありそうな言い方だな」


「先輩は文芸部部長と文芸部のやべー奴を併せ持つから」


「アームロック習得の経緯がなんとなく分かるぞ……」


 朝陽は呆れたようにそう呟いた後、一拍空けてから言う。


「まあ尊敬できる先輩がいて、リスペクトするところが見えてるなら外野から何か言う事もねえな。俺だって尊敬する先輩みたいになりたくて頑張ってるから。外野からどうこう言われたくねえ」


「たまに晩御飯の時に話してる人?」


 何度か名前を聞いたが覚えていないが、不定期に憧れの先輩の話をしていたのは覚えている。


「ほんと怪物みてえな人でさ。投げたら140キロ超えの直球と馬鹿みたいに遅いスローカーブを正確に投げるし、バッティングも一級品。なんならキャッチャー以外どこでもやれて足も速い。完璧野球超人みてえな人でさ」


 そう言って朝陽は小さく拳を握って言う。


「俺はあの人みたいになりてえ」


「……そっか」


 その人の事は何も知らないが、今レギュラーで頑張っているらしい朝陽がそう言うのなら、きっと凄い人なんだろうなと思う。

 そしてその憧れの先輩の話題はもう少しだけ続く。


「そういやその先輩、姉ちゃんと同じ学校に進学したぜ」


「そ、そうなんだ」


 クラスメイトと話す機会も殆ど無いから当然かも知れないが、野球部が強いみたいな話は聞かない。

 普通はそこまで凄い人なら、甲子園の常連校などに進学するのではないだろうか?


「推薦を蹴ったんだよ。本人は家から近いほうがいいとか、生活が野球一色になるのもヤダとか言ってたけど、絶対強いところと戦いたいみたいなチャレンジャー精神みたいなのもあると思うんだよ。やっぱあの人はすげーよ」


「ち、ちなみに名前なんだっけ?」


 おそらく自分と関わる事が無いようなタイプの人間ではあるけれど、そこまで熱弁する人が入学してきているのなら、多少なりとも興味は湧く。


「なんだよ。今まで何度も言ってるのに覚えてねえのかよ」


 呆れたようにそう言う朝陽は言う。


「圭一郎先輩だよ」


「…………圭一郎?」


 今日部活見学をしてくれた赤羽先輩の弟と同じ名前である。


(……い、いやいや。まさか……偶然……の筈)


 少々困惑する陽向に朝陽は言う。


「あー名前言ってもこの先ピンとくる事なさそうだな。赤羽さんだよ。赤羽圭一郎」


「…………!?」


 流石に同姓同名は無い。

 間違いなく、自分が今日知りあった赤羽圭一郎と弟の憧れの先輩の赤羽圭一郎は同一人物だ。


「いやー弱小校からプロ野球選手の誕生も夢じゃないぜほんと」


 自分の事のように誇らしげに語る朝陽の姿を見て思う。


(な、なんでそんな人が……文芸部入部に前向きに……?)


 一瞬催眠アプリの事が脳裏によぎったが、それはすぐに掻き消した。


 あれはあくまで玩具だ。

 第一、本当に効果があるのなら自分はもっと立派な先輩らしく振る舞えた筈で。


 だから真面目な話を考える今、ノイズにしかならない冗談みたいな玩具の事は頭から外した。


(本当に……なんで……?)


 赤羽先輩の弟という時点で考えるだけ無駄な気がしなくもないが、その考え方は姉弟どちらにも失礼な気はするから流石にそれも思考から除外して。


 だとすれば本当に謎でしかなくて。

 結局その日、その答えが出る事は無かった。

 無かったけれど。


 そんな人が本を好きになって、自分が好きな文芸部に興味を持ってくれている。

 選んでくれるかもしれない。

 その事に優越感を感じた。


 ……仮に本当に入部を希望してきたとして、それを受け入れて良いのかという罪悪感も多少はあるわけだけど。


 それでも、とにかく。

 今までの彼の歩みがどうであれ。


 自分が所属する部活動の後輩ができるかもしれない事は、純粋に嬉しい事だった。

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