闇よりも深い夜に響くノイズを表現したいもの
榊琉那@Cat on the Roof
それはあまりにも無謀な挑戦
(ここは何処だ?今、何をしている?)
眼を開けてみたが、辺り周辺は何も見えない。どこまでも暗い、真っ暗な暗黒の世界。そして響き渡る壮絶なノイズ。雑像あるいは噪音というべきか。考える事を拒否するような凶悪な音の塊。ヒロシに対して襲い掛かるそれは、まるで鋭い牙を持つ猛獣のようなものだ。
(ここは海の底なのか?それとも異空間を彷徨っているのか?)
再びヒロシは眼を開けてみる。今度は眩しいばかりのフラッシュの洪水だ。激しく点滅する光の所為で、眼が潰れそうだ。この狂おしいばかり点滅は、永遠に続くが如く、終わる気配はない。激しい音と眩しい光は、ヒロシの思考を停止させる。まるで考えがまとまらない。今はただ、この訳の分からない空間に身を任せるしかないのだ。頭の中が真っ白になっていく。そして少しづつ意識が遠ざかっていく。この轟音と閃光の世界と一体になるかのようだった。
そして今、気づいたのだが、ヒロシの周りには、お香のような香りが漂っていた。これも意識をトリップさせようとする要因なのかもしれない。まるで浄化されるような気分だ。これをどのような表現で現わしたらいいのか、皆目見当が付かない。意識は薄れつつあるが、痛みは感じている。あまりの音量で鼓膜が破れそうな耳の痛み。そればかりか音圧も高すぎるくらいだ。例えるのなら、上空を舞う飛竜が咆哮し、炎を吐くような容赦のない攻撃で、鼓膜が悲鳴を上げているようだ。そして迷宮へと誘うかのような香りに包まれ、ヒロシの意識は消えていくようだった……。
(ハッ!?)
ヒロシは現実世界へと戻って来た。ヘッドホンから爆音で流れていたのは、『The Last One』。長年、愛聴している『裸のラリーズ』というグループのライブアルバム。そのオリジナル盤のラストを飾るナンバーだ。余程疲れていたのだろうか?これを聴きながらパソコンで文章を入力しているうちに、不覚にも寝落ちしてしまったらしい。
(夢の中でも流れてくるとはな。どれだけ自分の身に沁みついているんだよ)
ヒロシと『裸のラリーズ』との付き合いは長い。名前だけなら聞いた事はあったのだが、真面な音源を発表する事はなかったので、どんな音楽かは長年不明のままだった。まだSNSやYouTubeどころか、連絡を取るのに駅の掲示板を利用しているような、携帯電話すら普及していなかった時代の事だ。情報を得るためには書籍類を読んでいくしかなかった。それでもラリーズの名前を知っていたのは、ヒロシが音楽マニアだったからで、一般人がその名前を目にする機会はないだろう。アンダーグラウンドの中で生息していたグループなのだから、それは仕方のない事だ。
『裸のラリーズ』は、1960年代末期に結成されたグループだ。いやグループというより、水谷孝さんによるワンマンバンドと言っていい。水谷さんの縦横無尽に響き渡るギターを他のメンバーがサポートする感じだ。決して表舞台に現れるような音楽ではない。彼らは暗い闇の中でしか生きる事が出来なかったのだ。彼らは音源を発表する事はなかった。いや唯一の例外は、あるライブハウスの閉店を惜しんで制作されたライブアルバムに収録されたものだ。まぁ大手ではなく自主制作での流通だったので、一般には殆ど知られる事はなかったのだが。
それが突然、90年代の初頭にアルバムが発売されたのだ。それも3種類同時に。結成から20数年、頑なに音源を出す事を拒んでいたグループの唐突な出来事。一部のマニアの間では騒然となったのは言うまでもない。もっとも、これもインディーズからの発売だったので、一般人には知られる事はなかったが、それでもマニア向けの音楽誌では特集記事が作られたものだ。
しかしその時、ヒロシは迷っていた。そのCDの単価は、普通に店頭で売られているようなものと比べたら少々高い。頑張れば買える値段だったとはいえ、そしていくら伝説のグループとはいえ、高い金額を出すのには躊躇していた。当時、他に欲しいものがあったりして、ヒロシは迷走することになった。結局、この迷走が仇となり、全て買おうと決意した時には、入手が不可能となっていた。ただ運がいいことに、その中の2枚組のライブ盤だけは、中古で入手する事が出来たのだった。それが以後、ヒロシの愛聴盤となる『'77 LIVE』である。
初めて聴いた時の事は、ヒロシにとっては忘れられない衝撃だった。CDの帯に書いてあるOVER REVELの文字の大群から、最初からノイズの嵐かと思っていたのだが、静かでメロディアスなメロディが聴こえてくる。暫くして奏でられたボーカルは、歪んだような処理をしているが、演奏と合った感じとなっていた。決して上手いとは言えないし、意図的に歪められた処理の影響で詞の内容が聞こえづらいけれど、音の世界へと入り込んでしまったかのように感じていた。今までに聴いてきたヒット曲とは全く異なるのは当然として、マニアが喜んで聴くようなロックとも違う。同じような匂いではないが、『ヴェルヴェット・アンダーグラウンド』という海外の伝説的なグループが雰囲気が近いと思ったのだった。
そして2曲目もポップなイントロから始まったので聴いてみたら、ここからが本領発揮だった。曲の途中から炸裂する、水谷さんのギターから発せられるノイズの様なギター。想定外の音量の為、所々レベルオーバーで音が歪んでいる。本来なら耳を塞ぎたくなるような音なのだが、不思議とそれを肯定して受け止めている自分がいた。もしかして、自分はラリーズに選ばれたと言っていいのだろうか?そして気が付いたら歪なはずの音楽に夢中になっている自分がいた。これは必然なんだろうか?
CD2枚組で合計100分弱の記録。そのまま聴き通したヒロシはぐったりとしていた。日本にもこんなグループがいたとはと、感心もしていたが。それ以降、ヒロシにとって好きなグループとなったわけだ。
それから数年後、『裸のラリーズ』がライブを行う事を知った。当時は忙しい身であったヒロシだが、そんな事は言ってられない、是が非でもライブに行かねばと決意したのは当然の事であった。
ライブの当日、道に迷いながらも会場へと向かい、一癖も二癖もありそうな人に囲まれて開演時間を待つ。開場時間も過ぎて、ライブの会場へと入っていく。席は自由席だが、もうすでに良さそうな席はあらかた埋まっていた。それでも中央のやや後方の席を確保は出来た。後は開演を待つだけであるが……。
もう開演予定時間をとっくに過ぎているのに、始まる気配はない。ヒロシは事前情報として、『裸のラリーズ』のライブは、時間通りに始まる事はないという事を知っていた。どのくらい待たされるか、それはわからないという事だが、1時間以上遅れたこともあったという。
そして待つ。ひたすら待つ。天井のミラーボールは、そんな事は関係ないと言いたげに回り続けている。そろそろイライラしてきそうな時に、メンバーらしき人がようやくステージに現れた。機材の調整もあり、更に待たされたが、この時点では、やっとライブが観れるという期待の気持ちの方が上回っていた。そしてようやくライブが始まった。ヒロシにとって、今後も特別な一夜となる夜が始まったのだ。
……………………
(ヤバいものを観てしまった……)
ヒロシはライブを見終わり、半ば呆然としながら帰りの電車に乗っていた。
『夜、暗殺者の夜』から始まったライブは、ヒロシの想像を遥かに超えていたものだった。最初のフレーズこそ、音が食い違っている感じだったが、それ以降は、耳が千切れるのではないかと思われる位の爆音のギターが鳴り響いた。更には、眼が潰れかねないようなフラッシュの嵐。真面に目を開けられない程だ。もしその場に幼い子供がいたなら、確実にひきつけを起こすレベルだ。
裸のラリーズの曲は、長い曲が多い。時には30~40分にわたる演奏がされる事もあった。今回のライブも、30分クラスの演奏もあった。何と言うか、その間、轟音が鳴り響くのだ。脳味噌が痺れるような感覚、他のアーチストのライブでは考えられないものだ。最後の『The Last One』が終わるまで、MCは一切なし。アンコールも無し。これがラリーズのスタイルだ。このライブ以降、ヒロシは『裸のラリーズ』のライブはこれからずっと追いかけようと心に誓ったのだった。
『裸のラリーズ』はそれ以後は5~6回程度、不定期にライブを行ってきたが、ある時を境にライブを行わなくなってしまった。ヒロシは情報誌や音楽専門誌をチェックしていたが、何の情報も得ることは出来なかった。
いつの間にか、最後のライブが行われてから20年以上の月日が流れていた。そんな中、 ヒロシが愛読している音楽専門誌の表紙に久方ぶりに『裸のラリーズ』の文字を見つけることが出来たのだった。しかしながら掲載されていた記事には、残酷な事実が記されていた。
「水谷孝は死んだ」
正確には、すでに亡くなっていたという事だ。その事実は、何の前触れもなく突如現れた公式サイトに記されていたという。その事実に、ヒロシは呆然とするだけだった。
(もう一度、ライブ見たかったのになぁ……)
こればかりは、どうしようもない事だ。事実を受け入れるしかないのだ。
しかしながら悲観するばかりの記事ではなかった。入手困難なタイトルを音質向上、または別マスターの未発表部分も含めて再発する計画があると。入手出来ずに後悔の日々が続く事30年余り。再発は無理だと諦めていたものとの邂逅。ヒロシにとっては嬉しい事だ。そしてオムニバス盤の未発表の部分の音源の発売。これはこれで嬉しいと思った事も事実だ。しかしながら、もうライブを体験する事は出来ない。これもまた事実だ。
順風満帆とは言えなかったかもしれないけれど、『裸のラリーズ』の復刻計画は進んでいった。グループの元メンバーによるリマスタリングで甦った3種の公式アルバム、別マスターから新たに作製されたオムニバス盤、そして90年代に復活した際のライブ盤……。特にヒロシが初めて体験したラリーズのライブが30年の時を経てCD化されたのは、本当に喜ばしいと思っていた。残念ながら、マスターの関係で前半部分のみの作品化であったが。それでも当日の映像を使って編集したDVDも付属していたので、まぁこれで我慢する事にした。
30年ぶりにライブを追体験したヒロシは、この時に体験した感動を伝えたいと思いたち、自分のブログにこの時のライブの回想録を載せたのだった。CDでは伝わり切れないライブの凄味を曖昧な記憶を辿りながら書いてみたものだ。ただ自分の拙い表現力には限界があったのもわかっていた。少しでも反応があればいいとは思っていたが、自分のブログが扱うものは、マニアが好むものばかりだ。普段から反応が乏しいので、感想が書かれる事は期待はしていない。
結局のところ、書かれた感想は1件だけ。それも期待していたものではない、少々的外れのものだった。
「ラリーズは70年代が至高。後は山口冨士夫さんがいた頃の80年代初めのものもいい。90年代の音源は、それらに比べると劣るから」
確かに、ヒロシは70年代のラリーズのライブを生で体験した事はない。『村八分』というグループにおいて活躍し、インパクトのあるギターとキャラで熱狂的なファンを持つ山口冨士夫さんが在籍した時の音源も、マニアの間で出回っている音源は聴いているが、当然、生でのライブは経験がない。確かに凄いだろうという事はわかるのだが、決して90年代のライブは駄作ではないと、実際に体験した者がそう思っているのだ。90年代のライブだって負けず劣らず凄かったのだ。それをわかってもらえない。やはり自分の思いは伝わらないのだろうか?
ヒロシは、それ以降、ラリーズの凄さをどう表現し伝えていくか、そんな事を考えている。はっきり言って『裸のラリーズ』の音楽は、一般の人には受け入れられないものだ。100人が聴いたら95人は拒絶するタイプの音楽。しかし残りの5人は、それなしでは生きていけなくなるような中毒となってしまう、そんな特異なものだったりする。果たしてそんな音楽の事を書いて、普通の人に受け入れられるだろうか?答えは当然ながら否だろう。下手すれば、マニアの人にさえソッポを向かれるのかもしれない。何故ヒロシは、限りなく無駄と思えるような行為に力を注いでいるのだろう?そしてヒロシがその場に居たら、こう答えるだろう。
「そりゃあ、一度吹き出た情熱は、自分が納得するまで収まらないからな」
残念ながら、ヒロシは小説を書く才能には恵まれていなかった。幼い頃から空想よりも現実を重んじているかのような言動があったからなのか、創造力には欠けている感があった。どちらかというと、自分の目で見つめてきたものを書きとめるライブレポートの方が性に合っていたし、長年、ブログで文を書いてきたので、文の書き方をしっかりと学んできたわけではないけれど、ある程度の文は書く事が出来る自負はある。しかしながら素材となるのは、プロの物書きでも表現に困る事がありそうな『裸のラリーズ』だ。それをどう料理していくのか腕の見せ所であるが、万人が絶賛するようなものを作るのが不可能なくらい、扱いが難しい素材なのだ。
ヒロシは、もう一度、初めて見たラリーズのライブについて、ドキュメント風のエッセイにまとめてみた。ラリーズの歴史や当日のライブに至るまでのエピソードも含めて1万字程度のものが出来た。ただし公開してみても、殆ど目にしてもらえなかった。一般人にとっては未知の存在、そういうものを見てみようとするような奇特な人など、そういるもんじゃない事は分かっていた。そんな中でもラリーズを知っているという人がいて、それだけでも嬉しく感じたものだった。音楽評論家の阿木譲さんとラリーズの関係の話等を含めた感想を書いてもらい、それはまた興味深かった。実は阿木さんは、『裸のラリーズ』をヴァージンレコード(第一弾のアルバムでマイク・オールドフィールドの『チューブラーベルズ』を発売した事で有名)から発売しようと動いていた事もあり、デモテープも製作されたというが、残念ながら自然消滅したらしい。これが実現していたら、日本のロック史が変わっていたのかもしれない。
それは置いておいて、ラリーズのライブの凄さが伝わっていたのかは、ヒロシにとっても疑問だった。やはりまだ伝わり切れていないのだろう。
現在ヒロシは、もう一度ラリーズのライブについての記事を書こうと考えている。今回は、ラリーズのライブがCDや映像だけでは真価がわからないという事を強調したものにするつもりだ。ラリーズの神髄は、ライブの中でしか存在しない。単なる音だけではダメなのだ。ラリーズのライブは、ライブ会場に着いた時からすでに始まっているのだ。会場に入り、椅子に座ってじっとしている間の緊張感も、天井で回り続けるミラーボールも、独特の雰囲気を持つファン達が放ち続けるオーラのようなものも、会場内を漂い続けるお香のような香りも、開演時間になっても始まらない、いつライブが始まるのかとソワソワしながら待つ時間もライブの一部なのだ。
そしてメンバーが集まりライブが始まる。水谷さんの『玉音』とも称される独特なボーカル、そして時には闇を切り裂き、時には荒ぶった魂を鎮めるようなギター、バックをサポートするメンバーたち、病的なまでに光り続けるフラッシュ、演奏が最高潮になる頃には、人間の聴力の限界を軽く超えるだろう爆音が鳴り響いている。それらが一緒くたとなって聴く者に襲い掛かって来る。それらが揃った時にのみ、そんな人知を超えた体験をもたらしてくれる、それが『裸のラリーズ』なのだ。
いつか文学的な表現でラリーズを表現出来たらと、ヒロシは暗中模索の日を続けている。もう二度と体験出来ないライブの凄さを伝え、残していくために。
○○○○
余談ですが、実は日本国内よりも海外の方がラリーズの評価が高いと言われています。数えきれないほどの海賊盤が出回っているという事実もあります。あのレディー・ガガが、自分の〇ェイスブックに『Les Rallizes Denudes』と大きく書かれたTシャツを着ている自分の姿のフォトを上げていて、ごく一部の間で騒ぎになった事もあったりしました。
音楽性よりもヒットするかどうか、商売になるかどうかを重視する日本の音楽業界より、忖度の関係もない海外の方が真っ当な評価がされるという現状、如何なものかと思います。
闇よりも深い夜に響くノイズを表現したいもの 榊琉那@Cat on the Roof @4574
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