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1970年大阪万博の黒歴史のようなもの

2025年の関西大阪万博は、どうも見に行きたいという気持ちになれないです。

幾つかの理由があると思われるけれど、大きな理由は、万博を盛り上げようという空気が希薄な事。恐らく、現場から電通が離れている事もあるでしょうね。癒着とか、様々な問題を抱えていた電通がいない事で、舵を誰も取っていない状況にあるのは皮肉なものです。寄りたい放題だった電通がいなくなれば解決というわけではなかったのですね。

そして理由として考えられるのが、現在の技術の進歩。情報に乏しかった昔は、海外の他の国の事は、よくわからなかった為、世界中から数えきれない国が参加している万博を、楽しみにしていた人も多かっただろうし。そして最先端の技術を間近で見られるとあって、ワクワク感に満ちていたんだなと思ってます。

しかしながら現在では、スマホをちょっといじるだけで、世界の色々な情報を手に入れる事が誰にでも出来る。技術の進歩も、かなり進んでいるため、余程の事では驚かないし、興味も持てない。そういった意味では、万博は岐路に立っているのかもしれませんね。いや進歩するのはいいんですけどね、入場券を買うプロセスも面倒だし、会場内ではキャッシュレス仕様ともいいますし、進歩がそのままいいとは限らないってのが、何だかおかしな話と思っているのは自分だけですかね?
70年の万博では、月の石を見る為に5時間並んだといいますが、今度の万博で再展示される月の石には、それ程並ぶことはないかなと思ったりします。

そしてコンプライアンスがどうのこうのと五月蠅い、現在の世情。冒険する事も出来なくなっているので、結果としてつまらないものに。冒険しようとすると、ちょっとした事でも叩かれるから、そういった事もつまらなくする原因でしょうね。
女の子がカップ麺のうどんを啜るアニメのCMでさえ叩かれて炎上するような世の中ですからね。生活がいくら便利になっても、満足出来ないような世の中は暮らしにくいです。

70年の万博は体験していないから、どれだけ盛り上がっていたのかは実感が湧きませんが、今思えば、何でこんなとんでもない様な催し物があったんだろう?というようなものが多々あったと思います。

その中の一つが、日本のロックの伝説的存在の、フラワートラヴェリンバンドが行ったというパフォーマンス。万博に出演して、それを見たカナダのライトハウスというグループが声を掛けて、フラワートラヴェリンバンドのメンバーが、カナダに行って暫く活動したいう話は聞いた事がありますが、実際には、どんなパフォーマンスを行ったのかは知りませんでした。
(余談ですが、ライトハウスが、『カナダに来たら声を掛けてね』と言った社交辞令を内田裕也さんが本気にして無理やりカナダに押し掛けたというのが真相のようです)

そのパフォーマンスというのが、フラワートラヴェリンバンドの演奏に、50台のオートバイが走り回ってクラクションが鳴らす騒音が混じり、更には電子音とサーチライトが加わってカオスな状況を作り出すという、通称「ビームで貫通」。
正式名称が、「ビームで貫通&マッド・コンピューター+ミニマル・サウンド・オブ・ライダー」という、前衛芸術家の吉村益信さんがプロデュースしたという企画です。何言っているかわからないような、クレイジーな企画です。こんなの令和の世の中では、実現は不可能ですね。まさにその時代にしか存在しないようなものかと。

そんな大阪万博の黒歴史みたいなものが、まさか保存されていてそれを販売するとは、何とも凄い事です。

https://diskunion.net/avant/ct/detail/1009024105

実は1年程前にすでに発売されていて、今回は万博を記念して再発売されるという事です。(若干仕様は変更されますが中身は同じです)
マニアしか買わないようなものでしょうが、日本のロック史にも語られる事のない様な貴重な音源ですので、手に入れたいけれど、流石に金額的には厳しいなと。中古も出回る事は期待出来ないし、迷うなぁ。

今の時代と比較したら決して便利とは言えないけれど、時には、アッと驚くようなものが生まれてきた昭和の時代と、圧倒的に生活には便利になっているけれど、何か押さえつけられている感じがする令和の時代。どちらがいい時代なんでしょうね?

4件のコメント

  • 失礼します。私が大阪万博を許せないのは、未完成にも関わらずオープンした事や学生等一生の思い出になるにも関わらず教師や生徒や親御さんなどの関係者が誰も望んでいないのに行き先にされた事。跡地が外国のカジノ誘致になる計画である事。爆発事故があったにも関わらず隠蔽しようとした事などなどです。

    更には、税金を無駄に投じ。周辺地域の観光よりも飲食にお金がかかります。物価高の今、負担や心労を考えればこそ、子供が望んでいる場所に行かせてやりたいのが親心と言うものではないでしょうか。

    正に、関西万博は黒歴史であります。

    子供達が心から行きたいのならまだしも、行きたくないと嘆願署名を集めるクラスもあったのですから。(›´A`‹ )

  • めいき~さん、コメントありがとうございます。

    自分は、70年の大阪万博の全てを肯定するわけではないですが、それでも日本がまだ成長期で活気があり、特に地方で娯楽が少ない人たちにとっては、楽しみだったとは思います。無理やり招待は、愛知万博でも近隣の学生達を対象にやっていたのを知っていますが、いらぬお節介と言うべきですかね。必ずしもみんな行きたいと思っているわけではないですし。

    今回の万博には、イマイチ熱気を感じないのですが、70年の大阪万博は、手塚治虫さんや星新一さんといった人たちが自主的に集まってより良い方向にいこうと努力した事は聞いています。成功に導こうとしている熱意は、今の時代にかけているものなのでしょうね。今回紹介した『ビームで貫通』も、その時代だから実現したのでしょうね。

    もっとも、未来とは対極と言える『太陽の塔』を設置した岡本太郎さんは、『万博の価値観なんて信じるな!』との意見を持っていたようで。そんな万博否定の塊のような『太陽の塔』が壊されずにいるのは、何だか皮肉なものです。
  • 愛知万博数回と、つくば万博へ行ったことがあります。その頃の私は若かったから、万博そのものや、最先端の技術を駆使したパビリオン(特に国内企業のそれ)に対して、わくわく感がありましたが─今の万博には、わくわく感が持てません。私が歳を取り、人混みへ行くリスクや、高い交通費と入場料を考えると、とんでもなく敷居が高いように感じてしまって。TV番組でしばしば取り上げたりもしているので、それで充分になってしまったような。

    70年万博へは行っていませんが(親は行った)、家にあった万博のガイドブックを何度も何度も絵本のように眺めては、未来ってすごい…と感じてしまった、こどもでした。
  • つくば万博は、確か友達と一緒に行ったはずだけど、殆ど記憶がないとう。混んでいて殆ど見なかったから勿体ない。

    別にマンモスには興味なかったけれど、愛知万博は、何度か行っている。もっとも目的は、J.Aシーザーが関わっていた、瀬戸日本館で毎日上演されていた、群読叙事詩劇「一粒の種」だったりする。
    群読という手法を用い、はっきりとしたストーリーは無いものの、日本人にさえ忘れ去られようとしている日本の情景を表現している感じか。そのエネルギーは凄かったと思っていたのは自分だけじゃなかったようで。
    未来の事も大切だろうけれど、忘れ去られていく運命の日本の情景も表現してほしいなと。

    https://www.youtube.com/watch?v=9JBMRYyZ7fM&t=3s

    万博を楽しむような世代は高年齢層なんだろうけれど、今回の万博、入場券を購入するだけでも、高年齢層にはお手上げじゃないのかなと思ってみたり。
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