第3話 動く二宮金次郎③
「出たって、どういうことですか……?」
前振りが長くなったからだろう。麦太郎の話を聞くよりも冷製パスタを口に運ぶことに集中していた日向葵が、俄然興味を持ったように尋ねてくる。
「気づいたら、すぐそばまで来てたんだ。殴り合いになりそうなやつらをなだめて必死に引き剥がそうとしてたら、視界の端から突然現れて……気づいたひとりが『逃げろ!』って叫んで一斉に逃げ出したけど、石像のくせにめちゃくちゃ俊敏で」
話しながら、当時のことを思い出して麦太郎は心拍数が上がるのを感じていた。
無我夢中で走り出したはいいものの、どこに行けばいいのかわからない。所詮小学生の集団なのだから統率が取れているはずもなく、走り続けるにしても限度があった。
「ぐるりと回ってまた植え込みのところに戻るのだと体力が尽きるって気づいて、誰かが叫んだんだ。『裏門から出よう』って。別に門があるわけじゃなく、ただ正門の反対側だからそう呼ばれてるだけの場所なんだけど、日頃は車が入ってくるから開いてる場所なんだ。でも、夜だから閉まっていて、俺たちはそこまで走ったのに、フェンスを登らなくちゃいけなくなった」
運動神経がいいやつは、息を切らしながらでもフェンスを上って敷地から出られた。だが、みんながそうではなかった。特に、麦太郎の親友は走っている途中で足を痛めたらしく、途中から片足を引きずるようにしてどうにか走っていた。
「俺もどうにか引っかかるようにしてフェンスを乗り越えたあと、まだフェンスのところまで到達できてないやつを助けてやりたかったんだ。怪談を語れば怪異を封じられる──そう思ってたから、どうにか動きを止められないかと現在進行系で起きてる出来事を即興で語った……語ったつもりだった」
恐怖に声は震えていて、焦りからひどく早口になっていた。
何より、文章の組み立てもぐちゃぐちゃで、どう考えても怪談と呼べるものではなかった。
「あと少しで適当にオチをつけられる、オチさえつけられれば二宮金次郎を止められるってところで、どうにかフェンスのそばまで足引きずって来た友達が言ったんだ。『麦太郎、引き上げてくれ』って。でも、俺は一瞬迷って、語り切ることを選んだ。人ひとり引き上げながら怪談を語り切る自信がなかったんだ。……語り切ってから友達の手を引いてフェンスの向こうに引き上げたけど、友達の目には俺がブツブツしゃべることを優先して自分を見捨てようとしたっていうふうに映っただろうな」
あのとき友人に向けられた眼差しが、恐怖とともに心にこびりついて離れない。
そのせいなのか、今でも時々夢に見るのだ。夢の中では現実よりもっとひどくて、二宮金次郎に追いつかれた友人が石にされたり、どこか異空間に飛ばされたり、散々だ。
目覚めてそれが夢だとわかってほっとするも、胸の中にザラッとしたものは残り続けている。高二になってまでもずっとだ。
「みんな敷地から出られて、そのあとどうなったんですか?」
「どうなった、というほどのこともなく、二宮金次郎像は引き返していったよ。それを見て、俺たちは改めて震え上がって、散り散りに帰宅した」
「へぇ……」
ヤマもオチもなかったからか、日向葵の反応は薄かった。百合香に至ってはパスタを食べ終わり、ジュースを飲んでいる。
「まあ、そんな反応になるよな……怪談師デビュー戦というにはあまりにお粗末だし、二宮金次郎像の何が怖いんだよと思うよな。でも、実際に追いかけられたらマジで怖いんだからな」
「いや、ちゃんと怖いと思いましたよ」
「……フォローありがと」
百合香が顔色も変えず言うから、つまらない話をして後輩にフォローさせてしまった気分になった。
だが、本当に間違いなく怖かったのだ。あのとき感じた恐怖の欠片でも伝わってくれたらいいのにと思うが、今の語りではそれも難しいのは自覚している。
小説家が未熟なときに書き上げたものをあとからどれだけいじり回してもなかなか良作にできないように、一度うまくいかなかった怪談をいじり回したところで変わりはしないということだろう。
そういうときは文章の細かいところをいじり回すのではなく、骨子は使いつつも文章は一新するほうがいいと聞いたことがある。
「……ああ、そうか」
気乗りがしないものの日向葵たちに失敗談として話したことで、麦太郎はひらめいた。
「今、語り直せばいいのか」
そんな独り言を聞いて、日向葵の目がキラッと輝く。
「……二人に頼みたいんだけど、二宮金次郎像の怪異に、一緒に挑んでくれないか?」
ためらいながら、麦太郎は言った。
本当ならば、カーブミラーの怪異から百合香を助けたお礼と称して、今後も怪異じまいを手伝わせる気でいた。
だが、それについてはこの前ファミレスでお礼として昼食をご馳走になってしまっている。だから、協力をしてもらいたいなら頼まなければならないわけだ。
しかも、現在進行系で誰かが巻き込まれているわけではない。個人的に麦太郎が片をつけたいだけの話だ。個人的なことを頼むのは、やはり少し気が引けた。
だが、日向葵はそんな麦太郎の葛藤に気づいた様子もなくニッコリ言う。
「じゃあ夜まで待ちましょうよ」
「え、いいの? てか、武田さんも?」
日向葵が何も考えずに返事をしたとしても百合香が止めそうなのに、彼女は特に口を開く様子はない。
「日向葵が行くなら私も行きますけど?」
「そうなんだ……」
「この子がしたいって言い出したらまあ、止めても無駄だし。ひとりで行動させてるより付き添ってたほうがいいかなって」
「それはそうなんだろうけど、親御さんには何て言うの?」
ついてきてもらえるのはありがたいが、百合香はそれこそカーブミラーの怪異のせいで四日間も所在不明となっていた。普通に考えればそんな子は門限が厳しくなったり親の干渉が増していたりするものだろう。
しかし、そういった心配はいらないらしい。
「UFO探しに行ってると思われてるから大丈夫です」
「まさか、あのときの設定、生きてるんだ……」
自分が適当にこしらえた言い訳が採用されたうえ、それで親と話が済んでいるというのが驚きで、麦太郎は心配になった。
「いや、親も信じてるわけじゃなくて何か、『もうそれでいいから、無断外泊はやめて。遅くなるなら連絡して』みたいな感じになってて」
「ああ、そういうタイプの親御さん……」
「あとうちの親、日向葵に対する絶大な信頼があるので」
「え? 武田さんの親御さん、『子供は元気が一番!』みたいな主義主張の人?」
麦太郎が思わずツッコむと、再びメニュー表を開いていた日向葵がムッとした顔をしていた。
「先輩、失礼ですね。私が元気だけが取り柄だと思ってるんですか? 運動もめちゃくちゃできますし、実は知恵の輪が得意なんですよ」
えっへんと胸をそらして自慢気にいうのを聞いて、麦太郎はもうツッコむのを諦めた。
「……知恵もあるのか、すごいな」
日向葵については常人とは少し違うなと感心することもあるが、今は協力者として大丈夫なのかという不安しかない。
だが、だからといってやめる気にはならなかった。
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