第3話 動く二宮金次郎➀
夏の容赦ない日差しが照りつける下で、麦太郎は土を耕していた。
夏の土作りに重要なのは、水はけをよくすることと、夏バテしにくい肥料を選ぶことらしい。
今日は土曜日だというのに、後輩女子にこき使われて、朝から手押し車に袋に入った土を載せて運ばせられた。園芸部顧問の中野が屋敷の前まで車で運んでくれたからよかったものの、そこから庭への何往復かはすべて麦太郎がさせられた。
そのあとは、二種類の土を混ぜ、肥料を混ぜ、ふかふかになるように混ぜさせられている。
「何で俺がこんなこと……」
額から滴る汗を手の甲で拭って、思わず愚痴をこぼした。
どこの部活にも所属せず、学業と家業ともいえない活動に専念しようと思っていたのに、高二になってまさか園芸部の活動をさせられるなんて。
怪異じまいをきっかけに知り合った後輩の阿部日向葵に、半ば強引に入部させられてしまった。
期末テストが終わるまではちょっと……などと言い訳をしていたら、本当に期末テストの最終日の放課後にわざわざ教室まで迎えに来たのだ。美少女として名高い武田百合香を伴って。
下の学年の生徒が上の学年の教室に現れるのもなかなかないことなのに、女子二人が、しかも有名人がやってくるなんてそうないことだ。
逃げ出そうかと思ったが、ただでさえ注目されている中でそんなことはできるわけがない。
麦太郎は別に人目を避けて教室の隅にいるようなタイプでもないが、注目されるのも好まない。
だから、教室まで来た二人を何でもない顔で迎え、促されるままファミレスに向かい、「二度も助けてもらったお礼です」と言れて昼食をご馳走になってしまった。
二人が高校近くのファミレスを選んだ理由は、何となく察していた。
期末テスト最終日。時期的にも夏休み直前とあって、みんな気持ちが浮かれている。放課後、このファミレスにやってくる同じ高校の生徒は多い。
麦太郎と日向葵と百合香の組み合わせは目立つのだろう。というより、百合香が。周囲からチラチラうかがうような視線をずっと感じていた。
大勢の同じ高校の生徒たちに見られている中、めったなことはできない。だから、ここで頼みごとをされても麦太郎が断りにくいとわかっていたに違いない。
食事を終え、ドリンクバーにジュースをおかわりして戻ってきた日向葵に、ピカピカの笑顔で言われたのだ。「次の週末、あのお屋敷に花壇の手入れに行くので空けておいてくださいね」と。
お誘いでもスケジュールの確認でもなく、決定事項として伝えられ、麦太郎は少し悩んでから頷いた。
ここで断れば、二人が騒いで周囲の注目を集めてしまうかもしれないと思ったのがまずひとつめの理由だ。ふたつめは、百合香の目が怖かったから。みっつめは、怪異じまいに協力してもらうのなら一緒にいたほうがいいと思ったから。
協力してもらおうと思いながら、〝カーブミラーの怪〟も〝お茶会のお知らせ〟も、日向葵たち自ら引き寄せている。つまり、彼女たちと一緒にいると怪異との遭遇率はぐっと上がる可能性があるということだ。
世の中にはたまにいるらしい。危ない場所に首をつっこむわけでもないのに、巻き込まれやすい体質の人間が。
というわけでメリットがないわけでもなさそうと考えて部活動に参加してみたはいいものの、想定以上のきつさにへばりかけていた。
何より、暑さがいけない。
「先輩、お疲れ様です。土、そんな感じでいいですよ。これ、中野先生からの差し入れ。凍らせてあるからまだ冷たいです」
内心で不満を覚えつつ土をスコップで混ぜていると、背後から声がかかった。振り返ると、スポーツドリンクのペットボトルを手に日向葵が立っていた。
「……ありがとう」
手渡されたペットボトルを受け取ってひとくち飲むと、冷たさが喉に心地よかった。何でもないときに飲むと感じるかすかな塩味を感じないということは、それだけ汗で体内の塩分が失われていたのだろう。
「『何で俺がこんなことを……』って顔してますね。先輩も名前に植物が入ってるので、園芸部から逃げられませんよ」
「ひどい理由だな。……そういえば、田中くんは?」
同じ学年の田中も園芸部だったはずだと思い、麦太郎は尋ねた。とはいえ、いたとしても仲良く一緒に活動というタイプでもなさそうだが。
「田中先輩は、このお屋敷には近づきたくないみたいです。その代わり、学校の花壇は結構頑張って世話してくれてますけど」
「あー、なるほどね……」
〝お茶会のお知らせ〟を受け何度もこの屋敷に足を運んでいたらしい彼は、正気に戻ってここが怖くなってしまったのだろう。それが普通の感覚だとは思うから、二度と関わり合いたくないという気持ちは理解できる。
目の前の後輩女子が、精神的にタフすぎるのだ。
「そういえば、先輩の麦太郎って名前はどうしてつけられたんですか? 何だか、古風な感じがしますよね」
精神的にタフすぎる後輩こと日向葵が、言葉を選んだように言う。
麦太郎という名前が今時ではないことも変わっていることも自覚があるため、今さら特に思うことはない。
「うち、代々こういう感じなんだ。祖父は
「あ、先輩の代で一旦米作りから離れた感じですね」
「別に我が家は米農家じゃないよ。なぜか名前の漢字に米とか麦とか入れたがるだけ」
いつものことだが、この後輩は軽さとノリで話すなぁと、麦太郎は呆れと感心半々で思った。相手を軽んじているわけではないが、あとに残らないスナック菓子のような軽い会話をする子だ。
「へえ。そういえば先輩の家は怪談師? でしたっけ。どうやって生計立ててるんです?」
かと思えば、こんなふうに突然切り込んでくる。
この日向葵という人物は、基本的に好奇心の塊だ。頭が悪いわけではなく、むしろ回転は早い。
彼女の質問に、どう答えたものかと麦太郎は悩んだ。
都賀家が代々取り組んできた怪異じまいは、厳密にいうと別に家業というわけではない。それで生計を立てているわけではないからだ。
大昔、江戸の頃のご先祖は物語を書く傍らで怪異を封じていたというが、この能力の性質上、怪異を封じた怪談については語ることができないわけだから、相性がいい商業だったとはいえないだろう。きっと、怪異とは関係のないジャンルの話を書いていたはずだ。
「怪談師は……家業というか使命みたいなもので、みんな別で仕事はしてきた。じいちゃんは書道の先生だったし」
麦太郎が語れるのは祖父のことくらいだ。
一瞬、日向葵の顔に不思議そうな表情が浮かんだ。おそらく父について聞きたかったのだろう。
だが、彼女は聞かなかった。瞬間的に麦太郎が語らなかったのには何か理由があったと悟ったのだろう。
バカに見えるがものすごいバランス感覚なのだなと、麦太郎は感心した。
「先輩は、いつから怪異じまいしてるんですか?」
話題転換なのか純粋な興味なのか。日向葵は今度はそんなことを尋ねてきた。
「初めてやったのは、小五のとき……でもあれは全然、成功したとは言えなくて……」
できれば話したくないと思い、苦笑い混じりに言った。
すると途端に彼女の目がキラッとして、麦太郎はしまったと思った。
おそらく、動揺を気取られたのだろう。その顔には「先輩の失敗談、聞きたい」と書いてある。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます