第2話 お茶会のお知らせ⑧
「今日からここを園芸部の拠点とする! ここを花いっぱいにするために次回は苗を持って集合! 今日は解散! 開けゴマ!」
半ばヤケクソになって叫び、日向葵はドアノブをひねった。
すると、信じられないことに本当に扉が開いたのだ。
びっくりして振り返ると、百合香も田中も口をポカンと開けて見ていた。だが、事態を飲み込むと何の気まぐれでまた扉が閉まるかわからないから、焦って三人揃って雪崩れるように外へ出る。
「来訪者たる園芸部員たちの拠点となることになり、屋敷の主の未練は晴らされた。──これにて、おしまい」
日向葵たちが無事に屋敷から出られたのを見届けて、麦太郎はそう怪談を締めくくった。
その顔には面白がるような表情が浮かんでいて、日向葵は何だか無性にムカッときてしまった。笑われている理由は何となくわかるのだ。だからこそ腹が立つ。
「……都賀先輩、私のこと馬鹿だとか思ってません?」
「いや……面白いなと思ったけど……馬鹿とかは、思ってない……」
「声小さくなってるし肩震えてるじゃないですか? いいんですよ? 別に思ってても。私も自分で今のはかなり馬鹿っぽいなって思いましたもん」
「ふふっ……いや、名案だったって。常人じゃ絶対に思いつかない……才能あるよ」
笑っているのを日向葵に指摘され、麦太郎は何とか誤魔化そうとしていた。だが、手で口元を覆っても笑い声は漏れているし、体はずっと小刻みに震えている。
笑われているのだと思うと、屋敷にいたときに感じていた感謝の念など吹き飛んでいく。
「まあ、ひとまずみんな無事に出られてよかった」
そう言って、麦太郎はほっとしたように微笑んだ。
その顔を見たら、彼も彼なりに心配していたのだろうと思う。
だが、それがわかると腹も立ってきた。
「都賀先輩、この前連絡先交換したときに、こうなるってわかってて止めなかったでしょ? ひどくないですか? 注意くらいしてくれてもよかったのに」
日向葵がジトッとした目で麦太郎を睨んで言うと、彼は心外だというように肩をすくめた。
「注意はしたさ。『持参したもの以外は口にするな』って。おかげで、変なものを食べずには済んだはずだけど」
「あ……」
種明かしのように告げられて、ようやく日向葵は理解した。手土産を持参してそれを食べるのがお茶会のマナーだなんて何だか変だと思っていたが、そういうことだったのかと。
「あの、先輩……それってヨモツへグイってやつですか?」
「さすがは武田さん、賢いな。確かにそれもある」
遠慮がちに百合香がした質問に、麦太郎は頷く。
単語の意味がわからなかった日向葵は、こっそり百合香に尋ねた。「死者の国のものを食べるともとの世界に帰れなくなるんだよ」と教えられ、なるほどと納得する。
「でも、今回の場合は単純に得体の知れないものを食べないようにと思って。だって嫌だろ? 泥とか砂とか賞味期限切れのもんを食べさせられるのは……田中くん、何回かここに来てるんだろ? 早めに病院に行ったほうがいい。あと寺も」
「は、はぁ?」
急に話題の矛先を向けられて、田中は戸惑ったような声を上げた。コミュニケーションが苦手らしく、とりあえず受け答えが喧嘩腰なくせに声が小さいなぁと日向葵は呆れる。
「自分がおかしな目に遭ってたことはわかるよね? 君は魅入られてたんだ。しかも複数回ここに来てることでおかしなものとの縁は深まってる。一度お祓いを受けたほうがいいって言ってるんだ。まあ、お祓いが抵抗あるっていうんなら〝厄落とし〟だ」
「おかしいこと……そうか。おかしいことだな」
田中は屋敷で何かを口にしていたのか、気持ち悪そうに口を拭うような仕草をして去っていった。
残された日向葵たちは改めて顔を見合わせる。
このまま帰るのは何となく嫌で、もう少し麦太郎に詳しく聞きたいところだが、もうその余裕は日向葵にはなかった。
「都賀先輩、今回もありがとうございました! 本当は今からお礼も兼ねて一緒にファミレスとか行きません? って言いたいんですけど、ちょっと、野暮用ができましたのでっ」
「え、うん」
「じゃあ、また!」
日向葵はそれだけ言って麦太郎に頭を下げると、百合香の手を引いて急いで屋敷の敷地を出た。
それから、訳がわからないという顔をしている彼女に耳打ちする。
「百合香、このへんで一番近い公衆トイレってどこだと思う?」
「そういうことか……何だかんだこのへんの土地勘ないから、駅まで戻るのが無難じゃない?」
「だよね……二十分、膀胱もつかなぁ……」
気弱に呟く日向葵を百合香が励まして、それから二人は走ることもできず早足で駅まで向かい、どうにか事なきを得たのだった。
屋敷で得体の知れないものを口にしたわけではなかったのだが、緊張で持参したミネラルウォーターを一本飲みきっていたためか、日向葵は突然の尿意に襲われていたのだった。
トイレに行きたい、屋敷から出たい一心であんな〝妙案〟を思いついてしまったが、尊厳のほうが大事だったのだから仕方がない。
あの屋敷を園芸部の拠点とすると宣言したのはいいものの、どうすればいいのかはまだ何も思いついていなかった。
だが、どうしたらいいのかという悩みの答えは、向こうからやってきた。
お茶会から数日後、放課後に日向葵と百合香は園芸部の顧問・中野から呼び出されていた。
生物の教師なのになぜか白衣を羽織っている、やる気のない先生だ。
中野は何とも腑に落ちないという顔で、東高校園芸部宛に入った連絡について二人に伝えた。
「何かな、坂の上のあのお屋敷あるだろ? そこの屋敷の持ち主からうちの高校の園芸部に、屋敷と庭の手入れを任せるって連絡来たんだ。何でも夢のお告げらしい……」
「あぁ……」
中野の話を聞いて、日向葵と百合香は納得していた。そういうふうにしてきたか……と、怪異の現実的な落としどころというものに感心していた。
だが、顧問にとっては突然降って湧いた話で、気味が悪いからか苦いものでも食べたかのような話をしている。おそらく、面倒だなと思っているのだろう。
「キモいよな。でも、あのお屋敷の今の持ち主は結構偉い人みたいで、しかもOB生らしくて、学校側も断れんかったらしい……まあ、好きにしたらどうだ」
中野は関わり合いになりたくないといった様子で、「ほらよ」と屋敷の鍵と思しきものを渡してきた。
「二年の田中にも一応は声かけてるが、お前らのほうが熱心に活動してるだろ。鍵の管理だけはしっかりしろ。あと、いつ活動してるのかの報告だけは……んー、月イチで提出しろ。何かな、部費としていくらかいただいたらしいから、花の苗とか買ったらいいんじゃねぇのか? そこは相談してくれ」
「あ、はい……ありがとうございます」
話はそれだけだと言われて、二人は職員室を出ようとした。
だが、ふと気になることを思い出して足を止める。
「あの、中野先生。今、園芸部って何人いるんですか?」
「あー……お前ら二人と田中と、あとなぜか籍だけ置いてるやつらを入れれば七、八人ってとこか。活動してるのは三人だけだろ」
何となく、わかってはいたことだった。だが、それをはっきり言葉にされると居心地が悪い。
日向葵と百合香は会釈をして、今度こそ職員室を出た。
「……私たちのこと勧誘した人、一体誰だったんだろうね」
「屋敷の関係者かとも思ったけど、だったら何でお茶会にいなかったんだって話になるもんね……」
日向葵と百合香は顔を見合わせて、自分たちに起きたことを思って震えた。
屋敷とは別件の怪異がいる──屋敷の件が片付いたことで、そのことに気づいてしまったのだ。
「あー、もう! この際だから都賀先輩も入部させよう! ただでさえ部員足りないのに屋敷の世話まで活動に加わっちゃったし!」
「だね! あの人も下の名前〝麦太郎〟だから植物の感じが入ってるから巻き込んでしまえ!」
「よし! そうと決まれば呼び出すぞ! 連絡先交換しといてよかった」
怖さを拭うため、それから日向葵はすでに下校していた麦太郎を呼び戻して花の世話をさせたのだった。
そうしなければ何となく、またあの先輩に声をかけられてしまう気がしたから。
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