第1話 カーブミラーの怪⑨

「これはね……都賀先輩っていう、怪談師の語りなの。先輩は、怪談を語ることで怪異を封じることができる。だから、私と一緒に百合香を助けに来た」

「そっか……」


 日向葵の手短な説明に、百合香は黙った。納得したのかどうかはわからないが、おそらくそれどころではなくなったのだろう。

 目の前の光景のほうが気になったから。

 日向葵たちと同じ制服をまとった女子生徒の日常は、あまりにも気の毒だった。

 彼女が暮らすのは、彼女の本当の家族ではない。

 両親を亡くし、ほかに頼れる身内もなかったのか、どうやら親戚に引き取られたらしい。

 親戚一家は彼女を虐げることはないが、優しく家族の一員として迎えることもなかった。

 いつまでも〝お客様〟で、よそ者で、異物だ。

 彼女に与えられるのは最低限の衣食住だけで、優しさもぬくもりも、人としてのつながりも、その家の中では無縁だった。

 それなのに、その家の両親たちが彼らの子どもに愛情や何かを与える姿は、彼女が自分の両親から与えてほしかったものだ。もう一生叶うことがないものを日々目の前で見せられて、その上いないもののように扱われ、彼女は次第に遠慮がちになり、小さくなって生きるようになった。

 だから、家の中で身だしなみを整えることなどできなかったのだろう。


『彼女は毎朝、家を出てこのカーブミラーの前で身だしなみを整えるのが日課になった。そこしか、彼女が自分の全身を映せる場所はなかったから。おそらく、彼女の暮らす家にも姿見くらいはあっただろう。だが、それは彼女が自由に使えるものではなかったに違いない。彼女は居候の身だから』


 麦太郎の語りに合わせ、目の前の光景は進んでいった。

 居心地の悪い彼女の日常を映し出したあと、場面はある日の夕暮れの光景に変わる。


『彼女はあるとき、急いで家に帰っていた。部活か委員会か、何か学校の用事で遅くなったのだろう。そして急いでいたのは、おそらく門限があったから』


 麦太郎の語りを聞いて、日向葵は「ああ……」と納得した。子どもが邪魔で無理解な親ほど門限に厳しいと聞いたことがあったからだ。あまり遅くまで出歩いていると外聞が悪いから──ようは世間体のために早く帰ってくるよう言っているのだ。

 この女子生徒に門限があり、それを過ぎれば彼女が親戚一家に何かを言われたに違いないというのは、想像できた。


『急いで帰っていた彼女は、自分の身なりが乱れていることに気がついた。このまま帰宅するとおじさんおばさんに叱られる……そう思ったのかもしれない。だから、いつものようにカーブミラーの前で立ち止まって、身だしなみを整えていた──そこに、スピードを出しすぎた一台の車がやってきた』


 車が女子生徒を跳ねるのを日向葵たちは見た。あっという間の出来事だった。

 彼女の首や手足はありえない方向に曲がり、大変なことになっているのがわかる。

 運転手は車から降り、彼女が動かないのを確認すると、慌てて車に乗り込んで走り去っていった。音を聞きつけた近所の人間が駆けつけて救急車を呼んでくれたものの、彼女は助からなかった。


「それで、オバケになっちゃったんだ……」


 彼女の非業の死を目の当たりにして、百合香がポツリと言った。

 こんな死に方をしたら成仏なんてできないよなと、日向葵も思う。


『死にきれず、人ならざる者になった彼女は、それからもカーブミラーの前で立ち止まって身だしなみを整え続けた。死者というのは、最期に残っていたものに、意識していたものに縛られてしまうものだから。来る日も来る日も、彼女は動かない時間の中で身だしなみを整えていたのだろう。──そんなあるとき、自分と同じようにカーブミラーに自身を映して身だしなみを整えている高校生を見つけたんだ』


 場面は、百合香がカーブミラーの前で立ち止まっているところに移る。

 そして、女子生徒の感情が流れ込んできた。

 危ない、車が来る、轢かれてしまう──そんな彼女の感情が流れ込んできたあと、カーブミラーから腕を伸ばして百合香を引っ張りこむのが見えた。


「そうなんだ……百合香のこと、私のことも助けてくれようとして……」


 恐ろしい怪異が現れてさらわれたとばかり思っていたのに、実際は違っていたのだ。


「そう、みたいだね……だって、私はここに連れてこられただけで、何もされてないし。ただ、ここから一歩も動けなくて景色も時間も変わんなくて嫌になってたけど……少しも危害は加えられてない」


 百合香も複雑そうな顔をしていた。

 人ならざるものにさらわれて異空間に連れて来られたのは恐ろしいことなのだが、彼女の事情や思いを知ってしまうと、怖いという気持ちだけではなくなった。


『彼女は、身だしなみを整えながら、見守り続けている。自分と同じようにカーブミラーの前で立ち止まっている人間がいないかを。もしいれば、守ってやらなくてはいけないから』


 麦太郎が語ると、薄幕に映像が映し出されるのが終わり、その向こうからゆらりと女子生徒が現れた。

 相変わらず首や手足はおかしな方向に曲がり、額からは血が滴っていて悍ましい姿をしている。

 この子は、このままここに立ち続けるのだろうと考えると、日向葵は恐ろしいと思うと同時に胸が痛んだ。

 だから放っておけなくて、恐る恐る彼女に近づく。

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