第1話 カーブミラーの怪⑧
日向葵は呆然としながらも、地面に転がっているカーブミラーをひとつひとつ見つめた。
だが、そのどれもが同じに見える。それぞれ形状は異なるものの、こんなふうに並んでいると、あの怪異が出てきたのがどのカーブミラーかなのかなんてわからない。
「……どうしよう」
日向葵が泣きそうになって麦太郎を見ると、彼はノートを開いていた。
「これから俺が語る。君が行動を起こせば、それは事実になる」
「え、あ……はい!」
唐突に麦太郎に言われ、日向葵は戸惑った。だが、すぐに何を言われたのか理解した。
先ほど怪異を退けたときのように、語る通りに動けというのだろう。
こんなことをいきなり言われても普通なら理解できないだろうが、日向葵は先ほど彼の語りの力を目の当たりにしている。彼がそう語ったことで、怪異は一時撤退せざるを得なかったのだから。
「──ある町の住宅街に、カーブミラーがある。そのカーブミラーの前で身だしなみを整えてはいけない。なぜなら、鏡の中に引き込まれてしまうから」
麦太郎が語るのを聞いて、そうだったのかと納得する。
条件もなしに人が前を通りかかったらカーブミラーの中に引き込んでいるのなら、被害者はもっとたくさんいるだろう。だが、そうはなっていないということは、条件なり仕掛けなりがあったということだ。
「ひとりの少女が、帰り道にそのカーブミラーの前で立ち止まった。なぜ立ち止まったのか……おそらく、そのカーブミラーの中に何かが横切ったのを視界の端にとらえたからか、もしくは自身の身なりが乱れていたのに気づいたからか。とにかく、そこで立ち止まり、身なりを整えてしまった──そして、怪異に襲われた」
「百合香!」
麦太郎が百合香について語ったとき、カーブミラーのひとつにブレザー姿の少女が映った。肩上で切りそろえられた黒髪ボブは、間違いなく百合香だ。
「少女はカーブミラーから現れた怪異に連れ去られ、鏡の中へと引きずりこまれてしまった。そしてそのまま、四日が経過した。
年頃の娘が四日くらいいなくなったところで誰も不思議に思わないのか、特に騒ぎになることはなかった。だが、その少女の友人は違う。少女がいなくなったことを心配し、現場であるカーブミラーがある場所に赴いた。そして、ひとつの鏡の中に少女を見つけた」
「百合香!」
近寄って呼びかけると、鏡の中の百合香と目があった。彼女は驚いた顔をしてこちらを見ている。向こうにも声が届いているか、こちらが見えているということだ。
「鏡の中の少女は手を伸ばす。鏡の向こうの友人も手を伸ばす。二人の指先が触れ合ったとき、彼女たちを隔てていた境界は溶け合い、なくなった」
「え、あっ……百合香、しっかり握って」
日向葵は自分の手が鏡の中に入っているのに気づいて、指先に触れた百合香の手を握った。彼女も握り返してくれた。
だからこのまま引っ張り上げたらいいと思ったのだが、日向葵の予想に反して体は、ぐっと鏡の中に引っ張られてしまう。
鏡の中の百合香は、困った顔をして首を振った。つまり、彼女がしているのではないということだ。
何か強烈な力が──怪異が、彼女を鏡の中に留めておこうとしているのだろう。
それがわかっても、日向葵は百合香の手を離せるはずがない。
だから、そのまま引っ張られるままに、鏡の中に呑み込まれていった。
「……った、た」
視界がぐにゃりと歪んだかと思うと、次の瞬間には地面の上に放り出されていた。咄嗟のことで受け身が取れず、思いきり膝を打ちつけてしまう。
「日向葵!」
「百合香……わっ」
擦りむいた膝を擦っていると、近くにいたらしい百合香が駆け寄ってきた。そして、思いきり日向葵を抱きしめる。
「助けにきてくれたの?」
「当たり前でしょ!」
「あんたまでここに来ちゃうなんて……でも、ありがと」
百合香は日向葵を見て困った顔をしていたが、ほっとしているのも伝わってきた。当然だ。こんなところに四日間もひとりでいたのだから、心細かったに決まっている。
百合香の無事を確認して日向葵も安堵したが、周囲を見回して不安になる。
「ねえ、ここって……」
「そう、帰宅途中の道。あのカーブミラーがある近くだよ。ここでずっと、見せられてたんだ」
「何を?」
「あの女の子が事故に遭うところ──ほら、始まる」
日向葵が自分たちのいる場所を認識すると、百合香はある一点を指差した。
指差す先は、寺田さん宅があるところだ。つまり、あのカーブミラーのある場所。
そこに、ひとりの少女がやってくるのが見えた。
日向葵たちと同じ東高校の制服を身に着けている。
少女が現れたと同時に、麦太郎の声が聞こえてきた。
『昔、この場所で事故があった。ひとりの女子生徒が、スピードを出しすぎた車に跳ねられるという痛ましい事故だ。なぜその女子生徒は跳ねられてしまったかというと、カーブミラーに自身を映して、身だしなみを整えていたからだ』
麦太郎の語りに合わせるかのように、少女はカーブミラーの前で髪や制服を整えていた。その様子から、朝の登校途中なのだとうかがえる。
『女子生徒がなぜそんな場所で身なりを整えていたかというと、そこ以外に彼女が落ち着いて自分の姿を見られる場所がなかったからだ。それは、彼女の家庭環境に起因していた』
「え、何これ」
目の前の景色が変わり、どこかの家庭が映し出される。
両親に、年頃の兄弟が三人。そして女子生徒。どこにでもいる普通の家族が、普通の家で生活している様子だ。
そんなありふれた光景をまるで薄幕に映した映画のように見せられる。
それは百合香も初めて目にするものだったようで、驚いた声を上げた。
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