第1話 カーブミラーの怪⑤

「え……怪談師って、なんですか……?」


 麦太郎が困った様子で言うのを、日向葵も戸惑いながら受け入れた。

 〝怪談師〟という言葉は聞いたことがあったが、それが彼の言っているものと同じなのかわからなかった。


「怪談師ってあの、怖い話をする人ですよね? 『こわいなー、こわいなー』ってやつ」

「そう、稲川翁ね……あの方は確かに怪談界のレジェンド。あと、そのセリフはご本人はあまり言わない。モノマネする人が言うだけ」

「『こいつ、生きてる人間じゃないな』でしたっけ。あと『背筋がゾクーッとした』ですよね? あまり知らないんですけど……」

「いや、結構知ってるじゃん……って、そうじゃなくて、俺の言う怪談と世間一般の怪談は少し違っててさ」


 日向葵の発言にツッコミを入れてから、麦太郎が何といったものかと悩む様子を見せた。



「俺は怪異を〝語ること〟で怪談の中に封じることができる。そういう家系みたいなもん。で、じいちゃんが封じてきた怪談がなぜか散逸してしまったから、それらを集めてる最中なんだけど」

「封じる? 集めてる……?」


 日向葵がどうにかなけなしの知識で麦太郎の言う〝怪談師〟について理解しようとしたのに、彼の話はさらに難しいものになっていった。

 というより、荒唐無稽だ。

 もしかしたら自分は陰キャな中二病の妄想に付き合わされているのかと思い、日向葵は少し冷静になった。

 それが伝わったのか、麦太郎は困ったように頭をかいた。


「……こんなこと、いきなり言われたって信じられないよな。普通だったら信じなくていいんだよ。でも、今の君の置かれている状況は普通じゃないだろ? 〝おかしいものがある〟ってもう、知ってしまっているだろ?」


 重たい前髪の向こうから、鋭い目が見つめてきていた。あ、この人は一重瞼なんだ……とどうでもいいことを日向葵は思う。

 だが、自分がそんなことを考えて現実逃避しようとしていることにも気がついていた。


「武田百合香はさっきの怪異に連れ去られた。君はそれを見た。そして、ついさっき君自身も拐われそうになった。──非現実的なことがこの世に存在するのは、身をもって理解したな?」


 麦太郎に尋ねられ、日向葵は考えた。

 麦太郎の言葉を否定するということは、自分や百合香の身に起きたことを否定することになる。そんなことはできない。

 非現実的であることは理解しているが、あんなものがこの世にいるのが現実なのだ。

 つまり、語ることで怪異を封じられる怪談師なる者もいるのだろう。

 そう認めるしかなかった。

 そしてそれは、希望でもある。


「……先輩は、百合香を助けられますか?」


 日向葵が尋ねると、麦太郎はゆるく頷く。ここは力強く頷いてくれよと思うのだが、そういう性分なのだろう。


「もちろん、そのつもりで来た。でも、俺ひとりではできない。なぜなら、怪談には体験者が必要だからだ」

「そっか……『これはA子さんの話です』みたいに始まらなきゃいけないからですね」

「そう。怪談は語る俺だけでは成立しない。そのために協力者が必要で、君に声をかけるつもりだったんだ」


 そういうことだったのかと、ようやく日向葵は理解した。


「協力……したいとは思うんですけれど、それってつまり……私が怖い体験をしないといけないってことですよね?」


 麦太郎の言葉を理解しても、まるっと呑み込むことは難しかった。先ほどまで対峙していた恐怖が蘇ると、あれをまた体験する覚悟はすぐにはできない。


「まあ、それはそう。でも、ひとりきりでやれってわけじゃないから」


 なだめるように麦太郎に言われて、日向葵ははたと気がつく。


「そっか! 先輩が『怪異は少女の目の前で爆散した』とか言えば解決するんですね!」

「いや、それは無理。そんな怪談、許されるはずないだろ」

「えー……」


 せっかく納得しかけたのに、すぐに否定されてしまった。

 怪談って、怪談師って、何なんだよと日向葵は思う。


「怪異は怪談師の語る怪談に縛られるが、怪談師も納得性のある怪談を語らなければならないという制約があるんだ。ネットとかに流布する与太話と怪談に差があるとすれば、その部分だろ」

「ああ……ネットで見かける怖い話はオチも根拠もなかったりするから、ってことですか?」

「そう。基本的に噂話の類はみんなそうだけど。で、怪談師たちは語る上で怪談を納得性のある筋の通ったものにするために、実地調査をしたり裏取りをしたりする。そして、それでも筋が通らない部分に関しては推測──こうなんじゃないかっていう想像で補完する。そこが怪談師それぞれの腕の見せどころだと俺は思ってる」


 麦太郎が今言っているのは、稲川淳二をはじめとしたエンタメとしての怪談師のことなのか、それとも麦太郎の家系だという怪異を封じる怪談師のことなのかはわからなかった。だが、怪談がある程度の筋を通さなければ成立しないことは理解した。


「俺は先週金曜に君が職員室で騒いでいるのをたまたま聞いて、すぐに理解した。あのカーブミラーの怪談のことだと。じいちゃんは、怪異を封じた怪談は人目に触れないところにしまっていたけど、目次も別につけてて、その目次の中で見たことがあって知ってたんだ」


 それで声をかけてきたのかと、ようやく納得する。

 だが、それよりも気になることがあった。


「目次で見たことがあるって……つまり、先輩もこの怪異の話の全容を知らないってことですか?」


 先ほど彼がスラスラ語ったから、てっきり内容が頭に入っているのだと思っていた。怪談師として語るべき内容を把握しているのだと。即興で語る部分もあるだろうが、まさか全部とは思っていなかったのだ。


「そうだな。でも、さっき言った裏取りはもう済ませてある。でも、実地調査に来て、結構まずいことにも気がついてる」

「ま、まずいこと……?」


 麦太郎はスッとある一点を指差した。その指先を日向葵も追う。

 そして、彼が何を言っているのか理解した。

 彼が指差しているのは先ほどまで日向葵が怪異と対峙していた場所、つまりカーブミラーの前だ。

 しかし、そこにカーブミラーはなかった。


 

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