マルタの独白 2

 ステンレス製の四角いシンクの下が、とりあえず僕の住処となった。

 どうやらそれは業務用の流しらしく、なにを洗っているのか、時折けたたましい水音がしばしば頭上で響いた。またその度に僕が身を寄せているパイプホースの中を勢いよく排水が流れていった。

 また歩いたり駆けたりする靴音がひっきりなしにあたりから聞こえた。

 蚊の羽音のような電子音や小さなモーター音があちこちでずっと鳴っていた。

 目を閉じると、なにか粗雑なものを大量に作っている工場にいるような錯覚に陥った。あまりの騒々しさに幽体が身を潜めておく場所としては相応わしくないように思えたが、僕はとりあえずそこに居座ることにした。幽体が居心地の良い場所を探して彷徨うなど、なにか本当にただの幽霊に成り下がるような気がして心が塞いだ。


 靴音から察すると、ここには昼間、主に三人の人間がいるようだった。

 それはあのとき僕が頭上に見上げた四人のうちの三人だろうと声で推測できた。

 また動物病院らしく彼らの会話の中には、手術や治療に関すると思われる聞きなれない専門的な用語が多く混じっていた。

 おおむね真剣なやり取りの中に笑い声もよく上がった。

 セリさん、ナズナちゃんと呼び合う女性たちが空いた時間に談笑したり、院長と呼ばれる男性が下手なジョークを言って失笑を買ったりしていた。

 会話の中にゴクラクという名前が度々聞こえた。

 それがあの黒猫の名前であり、どうやらこの病院で飼われている猫だと判明した。

 そのゴクラクは院内を勝手気儘に歩き回る猫のようで、隙間から黒い猫足が近くを通り過ぎていくのが何度も見えた。

 時折、その足がすぐそばで立ち止まった。そしてしばらくの間、なにかを逡巡するように辺りの匂いを嗅ぎ取っている気配があった。

 おそらく僕に話しかけようかどうかと迷っているに違いなかった。

 僕はその度に目をつぶり眠っている振りをした。声を掛けられても無視をしようと決めていた。

 彼はきっと根掘り葉掘り僕の素性などを尋ねるのだろう。

 それを考えるだけでうんざりした。

 なにより聞かれたところで僕はほとんどの答えを持ち合わせていない。

 幸いなことにその日、ゴクラクが僕に話しかけてくることはなかった。


 夜になると、昼間の騒々しさが信じられないほどに院内はシンと静まり返った。

 時々、天井から足音が響き、時折、思い出したように冷蔵庫がうなり、どこか遠くで車が走り去る音が聞こえたが、それだけだった。

 僕はその緩慢な静けさの中でぼんやりといくつかのことを考えていた。

 僕の生前のこと。

 いまの僕の存在について。

 僕がここにいる理由。

 そして僕のこれからについて。

 もちろん明確な答えなどひとつとしてなかった。

 けれど僕にはそれらのことを考えずにはいられなかった。

 たとえ解答はもとより、その意義さえなくともである。

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