朝の院内パトロール 3

 朝飯を平らげると吾輩は日課として階下に降り、病院の中をひと通り見回ることにしている。

 階段を降りると病院はまず細長い物置のような部屋になっている。

 そこはただでさえ狭い通路のような空間であるのに、さらに両側から三段の棚が張り出していて、在庫のフードや薬がギュウギュウに詰め入れられているから人間はカニのように体を横にして歩かなければ通り抜けることができない。

 もちろん吾輩はそのような理不尽な苦労をしなくても易々と通れるわけだが、のんびり歩いている最中に地震でもあって、棚の上から落ちてきたフードに押しつぶされたりしてはかなわないからやや小走りで通り抜けることにしている。


 その倉庫代わりの通路を過ぎると右側に勝手口がある。

 窓もないそのアルミ製のドアを使うのは主にセリとナズナだ。

 この病院の看護師である彼女たちは出勤してくるとこのドアを開け、向かいにあるカーテンで仕切られた小部屋に入る。そこが彼女たちのロッカールームというわけである。吾輩はそのカーテンの隙間から中に入ると、とりあえず部屋の中央に置かれた天板の丸いスタンドテーブルに上がり、室内を見渡すことにしている。

 

 注意するのは二つ並んだスチールロッカーの上だ。

 そこは以前、厄介者が占拠して難儀したことがあるいわくつきの場所なのである。

 あれはたしかボールパイソンとかいう名の種類の蛇だったか。それはタカトシと付き合いのあるペットショップの店長が連れてきた蛇だった。

 爬虫類の知識などほとんど持ち合わせていないタカトシが、止せばいいのに様子を見てみるからといって預かった体長1メートルほどのそいつは、夜中にケージの隙間から逃げ出してそのスチールロッカーの天板に昇りそこで一息ついていたのである。


 第一発見者はセリだった。

 もちろん彼女は蛇を見つけようとしたわけではない。

 いつものようにロッカーを開けるとあろうことかトグロを巻いた蛇が頭の上から降ってきてマフラーのように彼女の首に巻きついたのだという。

 セリは事後、あの瞬間に自分は死んだと公言している。

 本当に死んでいてくれていればそれでたいして被害はなかったのだが、ただ現実は違った。

 まずはこの世のものとは思えないような奇声を発した。

 その大声に驚いた吾輩とタカトシが駆けつけると彼女は首に巻きついたボールパイソンを鷲掴みにして引き剥がし、焦点の合わない夜叉のような恐ろしい形相でまるで牛飼いの鞭のように蛇を振り回しているところだった。

 そして我々を目にした彼女は何を思ったか、たちどころに手にしていた蛇を投げつけたのだ。

 この時ばかりは吾輩に運がなかった。

 テーブルでワンバウンドした蛇がスローモーションで吾輩の方に飛んできたのだ。

 そして結局、吾輩も死んだ。

 タカトシは死ななかったらしい。

 事の顛末は後から聞いた。

 タカトシがいうには蛇は吾輩の前に落ち、その鎌首を持ち上げて吾輩に向けてチロチロと舌を出したのだという。

 吾輩は瞬時に全身の毛を逆立て、そのままパタリと倒れてしまった。

 そして蛇は横たわる吾輩の上を悠々と這ってドア口まで逃走したが、ちょうどそこに出勤してきたナズナに平然と摘み上げられてケージへと送還されたということだ。

 生き返ったとき、吾輩は診察台の上で真剣な顔をしたタカトシに聴診器を当てられていた。

 セリがそばでゴメンなさいを連呼しながら泣いていた。

 ナズナが吾輩の背中にそっと手を当てていた。

 思い返すも忌々しい事件だったが、なぜかその瞬間だけは身体中に奇妙な温もりが行き渡っていて心地よかった。

 ちなみに奇跡的に蛇に怪我はなく、後に冷凍ピンクマウスを一匹たいらげて、その日のうちに帰って行った。

 もしかするとショック療法が功を奏したのかもしれない。

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