第22話

 結局夜のことは一旦諦め、押し入れからなんとか使えそうなものがないか掘り出していると、かりんがぼそりと呟いた。


「なんか、こうしてのんびりするの、久し振りですね」

「……そうだな」


 そう答えておきながら、自分で疑問を覚えた。考えてみると、かりんと再会してから、あまりのんびりしていた記憶はないからだ。

 夕飯を作って食べるとさっさと帰るし、休日も作り置きとか買い物とか、何かしらの用事を済ませることはあれど、家で特にやることなくのんびり過ごしてはいなかった。


 そうこうしてるうちにダンスレッスンが始まって、もうそこからは家で料理している暇なんてなかったから毎日外食していたし。

 となると、かりんが言ったのは最近の話でなく、もっと昔の話なのかなと、ふと、手を止めて天井を見上げた。


 ――ボロい、いつ雨漏りするかも分からない天井だ。

 否が応でも、団地に暮らしていた日のことを思い出してしまう。


 高齢者が多く、子供はあまり居なかった。

 団地の中心にはそれなりに大きな公園はあれど、十年以上、特に新しい遊具が取り付けられたことはなく、整備された様子もなく錆びっ錆び。

 きっと、作られた当時は子供が沢山住んでいたのだろう。時が止まってしまったようなあの世界。


 そこに居た、寂しそうな一人の少女と。

 ただ自らの罪悪感を解消するため、少女に食事と雨風を防げる場所を提供した、何も知らない子供時代の自分。


 今だったら、どうしただろう。

 ――同じように、動けるだろうか。


「先輩って私と一緒の時、あんまりゲームしないですよね。昔は結構してたのに」

「んー? いやまぁ飯作って貰ってる時に一人遊んでるのもな」


 あまり意識していなかったが、そう言われてみるとそうだな。

 何にも手が付けられないくらい面白いゲームをしていたわけではなく、ただ手が寂しいからゲームしていたようなものだ。話し相手がいれば別に時間を潰すのは難しくないし、かりんが料理しているところを眺めているのは楽しかった。

 魔法のような手際で料理が進んでいくのだ。目が2つで腕が2本、頭が一つしかない人間とは思えないその手際は、長年染み付いたものであるとすぐに分かった。

 料理なんて、一体いつ覚えたのだろう。――それを聞くことは、未だに出来ていない。


「気にしないで頂いても良いんですけど、こっちもお料理中割と暇ですし、話し相手になってもらえるのは助かります」

「暇? ……あれでか?」

「作るものだけ決めたらほとんど無意識に作ってるので、手は動いても頭は暇なんですよ。そういうのありません?」

「……あるな、割と」


 惰性でゲームの周回してる時とか、指はちゃんと動くのに頭は暇なんだよな。それと同じか。


「お家でお弁当作ってる時とか、暇だからみゆちゃんに話しかけても塩対応されますし……。あれでも先輩には結構心開いてる方だと思いますよ?」

「…………あれでか?」

「あれで、です。友達とか家に連れてきてる様子もないですし、友達の話聞いたこともなくて。中学ではちゃんとできてるのかなぁ……」


 心配そうな声が後ろから聞こえて、ふふ、と笑ってしまう。


「あー先輩、何笑ってるんですかー」

「いや、ちゃんとお姉ちゃんしてるじゃねえのと思ってな」

「……そうですか? でもやっぱ、あれが普通とはとても思えないんですけど」

「かりん自身が妹になったのは……、鬼瓦先輩の時だけか? 思い返してみて、どうだったんだ? ちょうど今の美優と同じ頃だろ。反抗期とかなかったのか?」

「うーん、鬼瓦先輩の家、もう一人上にお姉ちゃんが居たんですけど……」

「……なんか怖い家だな」

「そのお姉ちゃんも、大学でレスリングしてたみたいです。お父さんも元選手だったとかで。私一人だけ細身で小柄なのもあってかなり可愛がられたので、反抗期っぽいのは特に来なかったですね」


 それは、反抗しても勝てないと心のどこかで感じていたからでは――、そのツッコミは心の中に留めておいた。

 結局反抗期なんて、相手を舐めてるか、世間を舐めてるかのどちらかだ。圧倒的強者を相手に反抗は出来ないし、反抗期を迎えていない俺のように、その場に反抗する相手が居なければ当然反抗期など来ない。


「新しい親とか向こうの連れ子のこと嫌いになったとか、そういう経験はないのか?」

「ないですねぇ」

「……そうか。でも美優の方は再婚慣れてるわけじゃないんだよな」

「初めてみたいですよ。離婚してすぐ再婚したとか」

「…………そりゃ嫌われるわ」

「仕方ないですよねぇ」


 軽く笑って返される。

 完全に男を奪われたやつじゃねえか。美優が反抗期迎えたのも当然だよ。

 本当の母親が居なくなったと思ったらすぐに新しい母親がやって来たら、誰でも両親やあちらの連れ子に嫌悪感を抱くものだ。

 俺やかりんはに慣れてしまっているけれど、美優の立場では複雑だろう。

 いいとこに生まれ、将来安泰かと思ってたらいきなり知らない女が母親を名乗りだして、更には血の繋がらない姉まで増えちゃったら――

 ……ちょっと美優が可哀そうに思えてきたな。


「先輩は、どうなんですか?」

「俺? 反抗期とか来てないが」

「あ、いえ、反抗期でなく、」

「じゃあ何の話だ?」

「今のお父さんのこと、どう思ってますか?」

「うーん、まぁ、大人……だな」

「大人」


 何を当たり前のことを、と言いたげなジト目で見られ、慌てて訂正する。


「言葉足りなかったな。知らん男の子供なんて育てたくもないだろうに、表立って冷たい態度取るでもなく、金だけ渡して遠ざけるだけで済ませてるんだ。これが大人の対応なんだな、って思ったんだよ」

「なぁるほど」


 その答えに納得出来たか、うんうんと頷かれる。


「……まぁ、どうせならもうちょっとマシな家に住ませてくれよとは思うが」


 思わず、ポロリと本音が漏れた。

 だってこんな、台風の度に飛んできそうな家、流石に怖いんだよ。前空室が出た時に調べたけど、築60年超えてんだぞここ。もうお爺ちゃんじゃねえか。まぁその分家賃も安くて、生活費として振り込まれてる額より安かったが。

 かりんは「ふぅん?」と首を傾げ、何かに閃いたかにやり、と笑って聞いてくる。


「先輩がこれから引っ越すとしたら、どういう家が良いですか?」

「…………一軒家かな」

「その心は?」

「一軒家なら周りの音を気にせず生活出来るだろ。ほらこのアパートも――」

「よく他の部屋の生活音聞こえてきますもんね」

「あぁ。まぁそういう家にしか住んでなかったんだが、話し声とかも外に聞こえるとなると、ちょっとな」

「そうですねぇ……」


 他の部屋から赤子の鳴き声が聞こえたり、夜中に音楽を鳴らされてるとどこに居ても聞こえたり――、まぁ、ボロいのでしょうがないが、やっぱり気になる時は気になるのだ。

 かりんはこの家の夜を知らんからまだ他人事でいられるが、今日からきっと気が変わるだろう。毎夜深夜バイトを終えたバンドマンの彼が帰ってきたらな……! 毎日聞いてると分かるんだけど結構上手くなってきてるんだよな。相変わらず売れてはないみたいだが。


「でも一軒家ともなると、やっぱお家賃結構しますよね」

「だろうなぁ。引っ越したいから金出してくれとは流石に言いづらいし」

「あ、それなら」

「ん?」

「前話しましたっけ。私、一人暮らししたいならいつでも言ってって言われてるんですよ」

「あー……そういえばそんな話してたっけな」


 再会したばっかの頃だったか。確かそんな話を聞いた気がする。

 年頃の女を一人暮らしさせるなんて、と老婆心ながらそんなことを考えてしまうが、それでも本人の意志を優先するというのだろう。

 まぁ、あの両親の雰囲気からして、そこまで束縛タイプってわけでもなさそうだしな。両親どちらにとっても血の繋がりはない娘だから、家族になって1年経っても距離感掴めてない様子だし。まぁかりんが心を開いてないだけの可能性もあるが――


「一軒家借りて、一緒に住みますか?」

「…………いや、待て。それは願望の話か? それとも近い将来の話か?」

「どっちでもー?」


 にやにやと笑いながら言われ、うぐ、と胸を抑える。

 しかし、この家にかりんを通わせるのは確かに申し訳がないのは事実。レンジとかもないし、コンロも一口だ。

 てっきり飽きたら終わると思っていたのに、どうやら知らない間に50万円分の貸しを作っていたようだし、たぶん簡単には気持ちを返し終わらない。

 1日500円程度であれば、恐らく、俺が卒業してもまだ貸しは残っているだろう。そうなると、こんな高校に近いというだけのボロ屋に住み続ける理由は確かになくて――


「……引っ越すか」

「はいっ! 明日物件見にいきましょう!」

「気が! 早いッ!!」


 おでこにチョップ。「あでっ」なんて声も可愛い。


 これはもう、逃げられないよな。だけど、逃げる必要も、ないか。

 かりんにこれからも料理を作って貰うつもりなら、もう少しマシな環境で作って貰いたいし、土日に通わせることまで考えると、一緒に住んでいた方が圧倒的に効率が良い。

 そう考えてしまうのも、無理はない。


(……まぁ、捨てられたら捨てられただ)


 俺はまだギリギリ、かりん無しでも生活できるはずだ。

 本人には言わなかったけど、スタジオ近くのファミレスとかで夕飯食べてる期間、なんか物悲しかったんだよな。

 それまで2週間程度とはいえ、しばらくかりんの手料理を出来立てのうちに食べていたのが大きかったのだろう。

 学祭を終え、また暖かい手料理を食べられるようになり、ずっとこれを食べたいなんて思ってしまったのも事実で。


 人は、一度手に入れたものを失うことを恐れる生物だ。

 もし、かりんが俺の傍から居なくなったら――

 その時俺は、耐えられるのだろうか。


 すぐに気を取り直して、寂しい独身男性を貫けるだろうか。

 ――今はまだ、分からない。


 だから、この関係を言葉で表すことには、きっと意味がある。


「なぁ、かりん」


 この空気なら、或いは――

 強風でガタガタ震える家の中、外に出たくても出られないこの状況で、言うことではないかもしれない。

 けれど、今言いたくなったのだ。この機会を逃すと、また何カ月も待たせるかもしれない。だから決意を固めると、かりんが先に口を開く。


「いつからですか?」

「……お前実は心読めたりしない?」

「先輩が考えることくらい、お見通しですよ」


 へへんと胸を張って言われるので、思わず苦笑が漏れた。


「今日から――は、まぁこの状況で言うのは卑怯だよな。だからまぁ、明日から」

「はい」

「付き合うか」

「はいっ!」


 ようやくか、といった、満足げな顔をしたかりんは、ぴょんと椅子から飛び跳ねると、俺のすぐ前にやってくる。


「もうちょっと、ちゃんと言ってください」


 お行儀よく、手を前に重ね。

 目を瞑り、かりんは立つ。


 深呼吸。素数は――まぁいいや。


「……好きだ。付き合ってくれ」

「はいっ、私も大好きです!!」


 俺を、抱き締めるようにして。

 ――薄い布越しに柔らかい胸を押し付けられた俺は、恥ずかしさを堪えて抱き返した。


 500円で繋がった不可解な関係に、

 意味が生まれた、瞬間だった。

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500円で繋がる彼女との関係 衣太@第37回ファンタジア大賞ほか @knm

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