第21話

「「えっ」」


 風呂上り、昼食用の弁当を二人で食べていると、二人のスマホから同時にメールの着信音が鳴る。それを見た瞬間、思わず声が漏れた。


「なんかすごいことになってるな……」

「怪我人も出てるみたいですね」


 校舎の窓ガラスが飛翔物の直撃により飛散、クラスで待機していた生徒の数名が怪我――なんていうメールが、学校の事務局から送られてきた。


「みゆちゃんの学校は朝から休校だったので、あっちは大丈夫そうですが」

「うちはどうして登校させようと思ったんだろうなぁ……」


 とはいえ、家に居れば安全というわけでもない。なにせ築何十年かも分からんボロアパートだ。

 一応朝雨戸は全部閉めたけど、さっきからずっと家全体が揺れている。まるで地震のようだなと考えながら、未だ停まらない電気に感謝して食事を進める。

 台風の中無理矢理登校させて怪我人出たなんて、PTAが大騒ぎするだろうなぁと他人事のように感じながらも、「そういえば、」と話題を変える。


「かりん、妹と仲悪いって言ってたけど、俺にはあんまりそうは見えなかったな」

「……そうですか?」

「思春期の妹なんて、誰相手でもあんな感じじゃないか? そんな時に両親離婚して再婚したら、誰でもあんな感じになるだろ。浦部の妹――たしか小6とかだが、ゴミムシ見るような目で浦部のこと見てるし」

「…………そうなんですか?」

「俺には妹も弟も居ないからそのへんは分からんけどな。そこまで嫌われてるようには見えなかったぞ」


 そう伝えると、かりんは少しだけ嬉しそうに表情を緩ませた。


 ダンスレッスンの前後にかりんの家にお邪魔する機会は多かったが、何故か美優とエンカウントする機会は多かった。自分の部屋はあるらしいが、普段からよく居間でくつろいでいるらしい。

 流石にかりんの部屋に入る勇気はなかったので、土日は毎度居間でダンスの動画見たりその日の復習をしており、そのたびに何度も顔を見合わせた。

 最初は会う度毎度毎度塩対応や罵倒されたが、最終的には「こんにちは」くらいは言い合えるようになっていた。成長したぜ、俺。


 食事を終え、かりんが以前家から持ってきた急須で暖かいお茶を淹れてくれたので飲んでいると、ふと、キッチンに立つかりんの後ろ姿を直視してしまった。

 ワイシャツ1枚に、体育のハーフパンツを履いた――


「お、おま――!?」

「どうしました?」

「下!!」


 ハーフパンツ、履いてなくねえか? 普通にシャツ1枚にしか見えないのだが。


「えっ、いえ履いてますよ、ほら」


 ちらりと裾を捲ると、中から――見慣れたハーフパンツが。


「見せるなッ!!」

「見たいって言ったの先輩じゃないですかー」

「言ってねえ!!」

「減るものでもないですし……」

「俺の中の何かがゴリゴリ削れんだよ……ッ!」


 ノーパンのように見えたが、ハーフパンツの裾をくるくると捲ってショートパンツのようにしているだけだった。

 にやぁ、と笑うかりんを見てると、あぁたぶんこの反応が見たくてずっとこうしてたんだろうな、と確信する。たぶん風呂出てすぐだ。俺が気付かないからって思春期の少年を弄びやがって……。いやだって、裸の上にワイシャツだぞ。これってさぁ……。


「彼シャツってこういうことですよね?」

「…………」


 ちょうど考えていたことを当てられて、目を背ける。というか単純に見てられない。

 一応インナーも渡してたはずだけど、着てるようには見えねえんだよなぁ……。なんか浮いてる気がするし。あれ何がだろうなぁ、分かんねえなぁ。

 直接見るまでインナーを着てる世界と着ていない両立している、シュレーディンガーの乳首ってか。こんな時のために女性下着も置いとくべきだったか? いや馬鹿か。普通の男子高校生の家にそんなもんはねえ。母さんちょっとくらい残しといてくれよ……。


「……かりん、さっきのポーチの中身なんだったんだ?」

「え? あぁシャンプーとか化粧水です。先輩の、男性もののぴりぴりするやつしかないじゃないですか。私ちょっと頭皮弱くて乾燥しがちなので、いつもと同じの使いたくて」

「ふぅん……で、それいつ持ってきたんだ?」


 意識してなかったから全然知らないんだよな。隠されるように置いてあったし。


「んーと、……2日目ですかね?」

「準備すんの早くねぇ!?」

「いつこんな機会があるか分からなかったですし」

「にしてもさぁ……。いや、いや待て」

「はい?」


 とりあえず、そういうのは肌に合う合わないあるし、持ってくるのは分かるよ。でも、でもさぁ、俺気付いちゃったんだよね。


「なんでシャンプー置いてあんのに着替え置いてねえの……!?」

「…………ほら、その、男子の家にそういうの置くの恥ずかしくないですか?」

「シャンプーは良いのに!? あといつの間にか歯ブラシも置いてあるし!!」

「それは、ほら、」

「なんだ」

「…………えっちなことに使えないですし?」

「使ってやろうかァ……?」


 男子高校生の性欲舐めんなよ。猿だぞ猿。流石に声優のシャンプー飲むみたいなインターネット奇人の物真似する気はねえが、美少女の私物なんてどれも何に使われるか分かったもんじゃねえ。歯ブラシあるしな。口の中ってエロいしな。そんなもの男の部屋に置くな。口の中って、エロいよな……。そこを貪るように舐め回すのが仕事の歯ブラシなんて……エロいことにしか使えねえよなぁ……?


「先輩はそんなことしませんよね」

「しないと思うなら着替えも置いとけよ……」


 それはそう、といった顔でうんうん頷くかりん見て、確信する。こいつ確信犯だ。今日の行動だって計画性あったし、持ってくる気あったら家から持ってきたよな。

 だって再会2日目にシャンプー持ってくる女だぞ。しばらく使う機会なかったけど、それはダンスレッスンに直行するためこの家に帰らなかったってのが大きいだろうし。


「そもそも、こっからどうやって帰る気なんだ?」

「どう、とは」

「迎え、呼ぶ気あんのか? ほら家に専属の運転手居たろ」

「あー……あの人、片道30分以内しか乗せてくれないんですよ」

「嘘だろ」

「まぁ嘘ですけど」

「…………」


 さらっととんでもないこと言い出すなこの女は。いや俺が突っ込むの分かって言ったんだろうけど。本人半笑いだったし。


「流石にそんな格好で帰らせるわけにもいかねえし、コインランドリー行きたくてもこの雨じゃなぁ……」

「ですねぇ」


 何他人事みたいな反応してんの? 自分の話なんですよ?

 天気予報を見ても、今日の夜まで暴風雨は続くらしい。ホントなんで登校させたん?

 となると明日の学校が、まぁたぶんあるだろうから、それまでには一度かりんを帰らせないといけないと思うのだが。


 ところで当然だが、男子高校生が一人暮らしする安アパートに洗濯機や乾燥機なんて高級品はないので、定期的に自転車で5分くらいのコインランドリーを利用している。

 流石に台風の中行くところではないので、びしょぬれになった二人の服はビニール袋にぶちこんでそのままだ。

 暴風がやんで普通に外出れるようになって、んでそっから乾燥機ぶちこんで――


「……相当遅くなりそうだな」

「ですねぇ、あ、大丈夫ですよ。今あるもので夕飯くらいは作れますし」

「そうか。いや心配してるのはそこじゃなくてだな、」

「他にありますか?」

「かりんを帰らせる手段を考えてんだよ」


 率直に伝えると、かりんは「ん?」といった顔で首を傾げる。あれ、俺がおかしいの?


「流石にこの状況、泊めてもらえるもんだと思ってたんですけど……」

「ダレガ」

「先輩が」

「ドコニ」

「ベッドあるじゃないですか」

「…………ヒトリヨウダ」

「なんでカタコトなんですか」


 小さく笑われたが、いや笑わせたかったわけじゃないんだよ。ちょっと思考が追っつかなくてさ。


「……まさかかりん、帰るつもりねえの?」

「そうですけど……」

「学校は?」

「服乾けば明日には行けますよ?」

「…………そうか」

「そうですよ」


 あれ、俺がおかしいのかな。なんかこうもはっきり言われると、自分が間違ってる気がしてくるな。

 確かに暴風雨の中、家に帰らせるのは難しいだろう。仮に電車が動くようになっても、ずっと止まってた電車が急に動くと間違いなく大混雑。かりんなんて特急区間だし、始発駅でもないので、運転再開から電車に乗れるまでには随分時間がかかることだろう。


 夜、服を乾かしてそれから――

 そこまで考え、その計画は現実的ではないと、ようやく分かる。そっか、やっぱ間違ってたのは俺の方だったのか……。


「替えの布団とかないんだよ。俺、夏も冬も同じ掛け布団使ってるし」

「知ってますよ」

「……昔は毛布もあったが、しばらく押し入れに突っ込んでるうちに虫に食われて捨てた」

「大変ですねぇ」

「もう良い俺は床で寝る……」

「なんでですか」

「シングルベッドなんだよ…………」

「知ってますよ」


 元々は布団2つ敷いてたんだけどな。その布団も、随分前に母さんが要らないでしょって捨ててた。まぁ団地の頃から使ってるぺしゃんこのだったし。

 今使ってる俺のベッドは、父さんが買ってくれたものだ。大きいベッドにしてもいいと言われたが、部屋が狭いのでシングルで良いと断っていた。代わりにマットレスは高級品らしい。よく分からん。

 あの時「ならキングサイズで」と甘えなかったツケを、今ここで返す時が来たということか。いやキングサイズのベッドなんて置いたら部屋がそれだけで埋まるが。


「もういい、今日は床で寝る」

「駄目です。それなら私が床行きます」

「客を床に寝かせて家主がベッド使えるかよ」

「二人で寝れば良いじゃないですか」

「……床に?」

「ベッドにですよ」


 むす、っと唇を尖らせ、不満をアピールされると、――あぁこいつ可愛いなぁなんて、当たり前のことを今更感じてしまって。


 ――顔の良さには、案外慣れるんだ。


 美人は三日で慣れるなんて言葉もあるが、半分は合ってる。慣れるまではかりんの顔があまりに良すぎて定期的に(顔良ッ……)とフリーズすることはあったが、今では(顔良いなこいつ……)と冷静に考えることが出来るようになっている。


 明るい髪色に、明るい表情。大きな目に、ばしっと伸びた睫毛。

 髪から少し覗く耳は小さくて、鼻も小さくて、口も小さくて、ハンバーガーとか食べるのはちょっと苦手。はむはむしてるとこ見てると癒されるんだよな。

 そんな美少女に慣れたといっても、ころころと変わる表情は見ていて飽きないし、特にちょっと不機嫌をアピールするときに頬を膨らませたり唇を尖らせるところがいつもの完全な美少女からギャップがあって良いんだよな。なんでどんな表情でも可愛いんだろ。ズルいだろ美少女って存在さぁ。


「先輩」

「……なんだ」

「先輩が床で寝るなら私も床で寝るし、ベッドで寝るなら私もベッドで寝ます」

「…………そうか」


 これ、たぶん説得無理だよなぁ。頑固なんだ、本当に。

 一番いいのはかりんを家に帰らせることだが、俺には連絡手段もない。あと連絡したところであの両親の雰囲気だったら「今日は泊まっていきなさい」くらい言いそうだ。割とウェルカムな感じだったし。


「……まぁ、良いか」

「良いんですか?」

「言っても聞かんだろ」

「そうですねぇ、先輩が折れるのが遅いか早いかの違いでしたよ」

「……だよな。かりんは、そういう女だ」


 褒められたと思ったか、ふふんと胸を張る。

 あっちょっと待てその服で胸を張るなッ!! なんか――が浮くだろうがッ!! シャツもうちょっと仕事しろよ!! 形状記憶とかなんか、そういうのあるだろ!!

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