第7話 彼の思いと新たな予感
7 彼の思いと新たな予感
「俺さ、ホント頭わりいからさ」
秀人の言葉に隼は彼を見つめ、それからカメラを再び向けた。
「だから、俺が約束、守らなきゃって思ったんだ」
ベッドの白いシーツの上に置いた手を見つめて、秀人はそう言った。隼はカメラの画面越しに彼の表情を見つめる。憔悴しきった顔が、今にも気持ちを吐きだそうとしていた。隼は無言で応じて、彼の言葉の続きを待った。
「べつにさ、特別シリアスな話とかではなくってさ。ただの約束だったんだ。姉ちゃんはアルコールを飲まないって、俺に約束した。もう依存しないって、自分の人生を生きるって、そう言って、アルコールをやめたんだ」
隼は彼の言っている言葉の内容がまるでわからなかった。しかしその背景があることだけはわかっている、つもりだ。だから隼はカメラを回して、彼の表情にフォーカスし続けた。寄せられた眉の隙間が、真実を語ろうとしている。「こういう記録も、必要だろ」秀人はそう言って視線を隼に、カメラに向けた。
「もしもまた酒におぼれたら、殺してくれって頼まれてた。異世界転生者だろうが、姉ちゃんの体だ。だから、俺がやるはずだったんだ」
「それで、保険として通報をしたんですか?」
隼はようやく彼の話のレールに乗った。
「そうだ。想定よりも早い到着でびっくりしたんだけどな」
軽く笑う彼の表情までは笑っていなかった。隼は彼の話に耳を傾けながらも、映像を撮り続ける。そんなものだ、はここには存在しなかった。撮らなければならないと思った。
「姉ちゃんはどうなったんだろうな」
この世界で共通の認識がある。異世界転生者には人権が与えられない。つまり、生存させることはないと言える。しかしあの場で
「俺はまた、一人ぼっちだな。まあ、慣れてるよ」
慣れている、という言葉に隼のこめかみがピクリと動くのがわかった。この街で生きるということは、一人に慣れ、孤独を享受して生きるということだ。かりそめの絆を重ねて、流れゆく関係に身をゆだねるということだ。愛も、仲間も、家族すらも。
隼は彼にかける言葉に迷っていた。だけど必死に言葉を探しても見つからない。きっと、隼は自分も慣れた一人だと感じているに違いない、と思った。
「だとしたら、俺もその一人です、ね」
ジュンはようやく口を開く。
「どうして」
秀人の言葉。隼はカメラを固定させるため脇に力をグッと込めて、続けた。
「みんな、一人じゃないと思いたいんじゃないですかね。俺もむずかしいことはわからないけど、言いたいことはなんとなく」
話を誤魔化すように締めくくり、逃げた。それを秀人は追撃してこなかった。
「俺ら、チームなんだってさ」
秀人が肩をすくめながら言った。
「みたいですね。意外と、この役目はパソコン作業多いですよ」
「マジ?」
「この記録も、死んでも残るはずです」
「なんで俺が死ぬ前提なんだよ」
意味わかんね、と秀人。身体を動かすと痛みが走るのか、顔をしかめて腹を押さえた。隼はその様子を見て、視線をカメラに向けながら続ける。
「俺もこの役割の危険を先日体験しましたから。この仕事に就くってことは、こういう危険に身を投じることになるんだなって」
隼の言葉に秀人も視線を落としている。
「だけど、チャンスかもしれないんです。俺にとっては」
自分の口からこぼれたにもかかわらず、隼は驚いた。なにかが、動こうとしている。
「お互い、そういう突破口というか、可能性が見えるといいですね」
らしくない、と思った。それからしばらく、秀人は隼を真っすぐに見つめていた。隼はその表情も逃さないように、カメラに収めた。
突然、スマホが鳴った。隼はカメラを片手に右手で端末を取りだした。画面には
『新たな異世界転生者の情報が入った。今すぐ菅野と出動の準備をしろ』
「わかりました。俺はどうすれば」
『菅野中佐にはもう情報を送ってある。指示に従い、速やかに行動しろ。それから』
一度言葉を区切る飯島に、隼は唾をのみ込んだ。
『お前はそのまま映像を撮ることだけに注力していればいい』
そう言って電話が切られた。
「出動か?」
秀人が言った。
「そうみたいです。ひとまず体を休めてください。俺は、撮ってきますんで」
そう言って、カメラを止めて病室を後にする。隼はスマホをポケットに入れ、カメラを片手に歩きだす。緊張の糸が、またピンと張りつめる。
病院を後にするころには日が暮れ始めていた。十一月末は日の落ちる時間も早まって、冬が近づいていると、唐突に感じはじめる。現場は騒然としていた。魔法が使用された痕跡があるとかで、防護服を着た解析班がなにやら機械を通してなにかを測定している。その周囲には、赤い血痕が飛び散って、指の破片やローファーが転がっていた。被害者は学生の集団らしい。隼は映像を撮りながらこみ上げてきた吐き気をなんとか戻した。燃えたのか、切り刻まれたのか、とにかく判別がつかないほど現場は荒れている。
「あとは解析班の仕事ね。こういうことも時おりあるから、慣れなさい」
菅野はそう言って、隼の肩をたたいた。異世界転生者はこちら側の情報が少ないままやってくる。だから魔法を容赦なく使い、こういう事件が起こることがあるそうだ。隼は映像を撮るのを止めて、呼吸をととのえようと路地裏の黄色いテープの外に出ることにした。こんな状況でも、人々は営むために日常を送り続ける。サラリーマンも、女子高生も、美容師も、教師も、料理人も、ホームレスも。この世界には必要で、異世界に怯えているひまなんてないと言わんばかりに、電車はいつも通りのダイヤで停まる。
路地裏が少し寂しい雰囲気を出していた。だから一枚、写真を撮ろうと隼はカメラを構えた、その先に、見つめる人影があった。
女がいた。
隼は息をのむ。
その女の正体を、隼は誰よりも早く理解した。無表情の鉄仮面に、左右に分かれた肩にかかる黒髪の、中年の女だった。
「かあ、さん」
隼は思わず口を開き、ハッとした。
「私がお前の母親ではないことくらい、もう理解しているだろう」
「私はいま、魔法でお前にしか見えない。単刀直入に話そう。私は警告をしたい」
晶子の言葉は、まるでわからなかった。隼の心臓が脈打っている。
「警告って、どういうことだ?」
隼は敬語を使うべきかわからなくなった。動揺しているのが自分でもたやすくわかる。晶子は隼の様子も構わず答えた。
「私のことはもう忘れろ。この体の持ち主はもう私なのだから」
彼女の冷淡な声と表情に、隼は胃の辺りが重くなるのを感じる。ずっと探していた手がかりが相手からやってきて、それで、忘れろと言った。理解の
「なにも記録に残すな。これは私がお前に対する最初で最後の同情だ」
カメラを持ち上げる手が止まる。晶子の姿の彼女は続けた。
「この体の持ち主は、お前に対する愛を持てなかったようだ。だからせめてもの、幕引きを用意してやろうと思ったのだ」
完全に、とどめを刺す言葉だった。母の記憶を持っているような口ぶりだった。愛を持てない、というのは、子供であるジュンにとってはあまり聞きたくない内容だ。口を半分ほど開いて、視線をさまよわせた隼がようやく口にしたのは、きっと、本音であって。
「返してくれ」
「それはできない」
簡潔で、冷淡な声があった。心臓が縮まる感覚があって、隼は晶子を見つめる。隼は助けを求めるように彼女を見つめ続ける。無言の間があって、晶子はこう続けた。
「そういうことだ。だから、これでさようならだ」
「待って!」
隼が手を伸ばした先で、晶子の姿が幻のように薄れて消えた。隼は独り取り残される。それからしばらくの間、呆然と虚空を見つめ、動けなかった。
そもそも、隼は母親に会ってなにをしたかったのだろうか。
それすらも、隼はわからなくなっていた。
そもそも、あれは母親ではない。
隼はその記憶をそっと胸の内側に隠し、報告をしないままにした。
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