第2話 カメラを渡されても

2 カメラを渡されても


 入隊が決まり、配属先を言い渡されるまでわずか二日だった。

 高校を卒業したあと、専門学校へ行くだけのお金もなかった。だからフリーターとして色んな職場を転々とした。そのあげく、無職となって渋谷のあの駅前の人だかりに自分の孤独を確かめに向かったのだ。そして、第一波とされる、異世界からの侵略に遭った。

「カメラなんて渡されても、俺なんもできねえんだけど」

 隼は軍の施設である、このショッピングモールの共用トイレで顔を洗い、自分の顔を鏡で見た。なんともやる気のない顔だ。細い首筋から骨が浮き出ており、サルみたいに大きな耳と、ぱっちり二重ではあるが生気のない目に短い頭髪。サブカルに毒された男、畠山隼はたけやまじゅん。軍服を支給されているものの、パーカーにスウェットという軍人としてあるまじき格好のまま、トイレを後にすることにした。

「邪魔だ」

「どうも」

 すれ違いの迷彩柄の軍服の男が思い切り肩をぶつけて言った。隼の反応も待たず個室に入るので、「便秘にでもなってんのかねー」と言い残し、今度こそ廊下に出た。徴兵された兵士たちと自衛隊あがりの軍人の区別はハッキリとしている。歩きかた、話しかた、特徴を挙げればキリがないが、中でも背中をピンと伸ばした、過剰なまでの自信。

 隼は首から提げたカメラを握って、どうしたものかと周囲を見渡す。ショッピングモールを閉鎖して軍事施設に改装された一階には巨大なモニターとパソコン、それに向き合う人々の忙しない様子があった。記録については自由にやってくれていい、との指示だ。とはいえ、なにをしていいのかもわからない。そもそも記録を撮る意味を隼は知らない。

「お、アンタカメラ持ってるってことは、噂の記録係?」

 カメラを構えようとしたその寸前、男に声をかけられた。隼は眉を寄せて彼を見つめる。

「突然声かけちゃってゴメンねゴメンねー! あ、U字工事出身のマサルだよ。栃木県出身ってことなんだけど、伝わってる?」

「ああ、そういう意味ですか」

 なんだか冷めた声になってしまった。

「よかったー! ジョークが通じないお通夜みたいなヤロウしかいなくってさ。ヤケクソで声かけてみたってわけ! あ、俺は秀人ひでとって言うんだけどさ。ヨロシクー」

 ジョークが通じた、と判断されたらしい。大きな間違いである。隼はあえてその話に触れず、細くなっていた目をなんとか誤魔化そうとした。そういう努力が功を奏したのか、秀人と名乗った男は、隼よりも少し長い髪をかき上げて、切れ長の目を隼に向ける。

「記録係って、戦闘要員ではないし、当たりだーってもっぱら噂だぞ」

「そんなに話題になってるとは思わなかった」

「私服オーケーだしさ、なんか、緩くね?」

 それは隼が私服でなければ徴兵に応じないと駄々をこねただけだ。飯島に指摘をされなかったので、思っているよりも柔軟な人なのかもしれない。そう思ったが、あの刃物のような切れ味抜群の眼は、どうみてもカタギのものではない。考えを即座に訂正した。

 秀人は隼の胸の内などつゆ知らず、首を左右にひねって骨を鳴らす。無精ひげを生やしたあごのラインからため息をもらし、こう言った。

「カメラ回してんならさ、俺のこと撮ってよ。全国一斉パッチテストに見事合格、〈適合者〉優遇はあるけどさ、不幸な監獄生活の身の上なんだよ」

 やたらと強弱のある声で言って、秀人は噂の異世界転生組に選ばれなかっただけラッキーだとつけ足した。一般上がりの軍人の間で密やかにささやかれる、異世界転生組。隼はとにかく書類やデータ入力から逃げたかったので、いい口実ができたと思うことにした。

「いいですよ。俺も仕事と称していろいろサボれるんで」

「お、気が合うね」

 カメラの電源をオンにして、動画を撮影することにした。

「ここでの生活はどうですか」

「え、それ聞いちゃう? いや、だってさー、飯はそこそこ食えてるからいいよ。それに豚小屋みたいな自分のスペースに、毎日二時間待ちのシャワー室、ぜんぜん快適!」

 軽快な口調で完全な皮肉を言い切った彼は、カメラ目線で両手をポケットに入れた。祖先がソワソワと動いているのは、彼の性格なのだろうか。隼は次の質問を考えていたのだが、さらに秀人は続けた。

「異世界転生者に魔法? 漫画かゲームの世界の話だっての」

 秀人の軽い口調に、隼はなぜだか頬がひりつく感じがあった。

「異世界からきたヤツが、こっちの人間の体を乗っ取るんだってな。ニュースで当たり前みたいに言ってるけど、意味が分からねえよな」

 隼のカメラのアームを持つ手に、力が入った。

「けれど、真実ですよ」

 隼は言い切った。

「だよな」

 秀人も、なにかを知っているような口ぶりだった。

「この世界で起きている紛争よりも、ずっと意味がわかんねえよ。現実味がないっていうか、だけどさ、こう、目の前にしちまうとな」

「大きな事件だと渋谷の事件ですが、あのとき現場にいたんですか?」

 ジュンの質問に、秀人は眉を持ち上げる。

「いや、いなかったよ。それから日本とか、世界各地で色々あったじゃん。そういうの見てると、嘘みてえなホントなんだなって」

 渋谷の異形生物のほかに、主要都市でいくつか同様の事件が発生した。海外でも魔力の強い土地で同様の事件があったそうだ。そのことを言っているのだろうと、隼は思う。渋谷と同様、異形生物の大量発生と、異世界転生者による魔術事件。隼は唐突に、母の笑顔が思い出されて、それを振り払うようにわずかに顔をしかめた。

「ところでさ、ここのメシ、どう思うよ」

「それは、食べれるものは一応出ているんじゃないんですか」

 実際、お弁当支給で冷めたご飯に不満はあるが、食べるには問題がない。率直な感想を述べたところ、秀人は大げさに手を振って言う。

「ちがうちがう、そんな肩ひじ張ったやつじゃなくってさ。ホントに思ってること」

「川崎のラーメンが食べたいとは思うけど」

 即座に正直な回答が浮かんだ。

「だよな! なにラーメン派? 家系?」秀人の目が輝いている。

「俺は豚骨が好きで。ベースがそれならなんでもいけます」

「博多ラーメン派か!」

 体をのけぞりながら額に手のひらをぶつけてオーバーな反応をしてみせる秀人に、ジュンは目を丸くしながらも撮り続ける。それから少し間を置いて、秀人が今日の予定を思いだした、みたく言った。

「あ、これ。上の人に見られるやつ?」

「たぶん、見るんじゃないですかね。編集は俺がやりますけど」

「マジか、豚箱のとこはカットで頼むわ。あと最初の飯のとこも!」

 両手をゴメン、みたく合わせて言う秀人の様子に、隼はため息を吐いた。するとひとつ間を置いて、秀人は吹き抜けの下に横目を向けながら言った。

「そうや聞いてた? 最初の研修会議のときのさ、異世界転生者って射殺されるって話。怖えよなあ」

 なにやら他人事ではないような話し方だ。隼はすこしドキリとして、思わず固唾を飲んで会話の流れを見守った。脈拍が徐々に速まるのを感じながら、隼は彼に次の質問を投げようといたのだが、

「それじゃ俺行くわ。ちょっと行かなきゃいけないとこがあってさ。まあ、お互い頑張ろうぜ! じゃあな!」

 早々に立ち去る秀人に向かって、軽く頭を垂れてカメラの停止ボタンに指を伸ばした。彼がトイレに入ってゆく背中を、撮っていればよかったかもしれない。しかし隼の頭の中では、異世界転生者についての情報がやけにうるさく流れては消えてを繰り返していた。

 スマホが鳴ったのはそのときで、隼はポケットから取りだした端末を耳に押し当てた。




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