セブンスヘブンー異世界記録係ー

日高 章

第1話 セブンスヘブン―異世界記録係―

セブンスヘブン―異世界記録係―


 渋谷で立ち止まり、行き交う人々を見つめている。すると、自分の存在など誰にも目に留まらないのだと実感をしはじめる。ハエの交尾のほうがよほど珍しいとすら思えた。

 じゅんはスマホを取りだして、見慣れたはずの景色を撮る。映像関係の仕事がしたい、そういった漠然とした夢を叶えないための言い訳の一枚。前に進んだと錯覚するためだけで、楽しみも構図の計算もされていない、「そんなもんだ」を体現した一枚を、保存する。宙に浮かせた右手を収めようとしたときだった。野鳥が飛び立った。それも、何十羽も同時に羽ばたいて、鳴き声を上げる。すると遠くから押し寄せる不気味な地鳴りがあって、ハチ公前とスクランブル交差点を歩く人々の視線を散らし始めた。

「なんだ、アレ」

 空が赤く染まりはじめたのはすぐのことで、地鳴りは大きくなる一方だった。その音と共に空に薄っすらと赤い紋様が浮かび上がったときには、足を止めた人々のざわめきが波紋のように拡がっていた。ビルとビルの隙間を埋め尽くす、見たこともない幾何学模様。

 地鳴りが、止んだ。

 準は息をのみながらも、カメラをビデオに切り替えて、撮影をすることにした。珍しい光景が、SNSで盛り上がることを予感させる。編集して、コメントをつけて、投稿するまでの流れが、脳裏に浮かんだ。幾何学模様が赤く、強く、光を放ちはじめたときには期待感はもう、頂点まできていた。しかし次の瞬間、鼓膜を貫くほどの音があって、空からなにかが落ちてきていた。黒い物体が徐々に近づいて、ぐちゃり、落下と同時に奇妙な音が鳴る。

 ぐちゃり、ぐちゃ、ぐちゃ、べちゃ。

 最初はなにが起きているのかわからなかった。人々が現実を受け止めるまでの間があって、悲鳴があがる。そこから先は人の波が押し寄せて、肩と肩がぶつかって、それでも隼はスマホを落とさないように撮影を続けた。なにが起こっているのか理解したのはそれからすぐだった。人の形を模したソレが胸元を赤く明滅させ、三メートルはあるだろう、巨体の表面は濃いグレーをしている。唐突に、長野に住んでいたときに作った泥団子が思い出された。

 記憶を振り払い、逃げ遅れた隼はそれでもなお撮影を続けた。限界まで達した脈拍を抑えることもできないまま、それでも、なお。


畠山隼はたけやまじゅん


 隼は呼ばれた声に、閉じていたまぶたを開く。

「聞いているか?」

「はい、聞いています」

 準は脳裏で再生された映像をかき消して、これから上司となるだろう軍服姿の男の目を見つめた。今にも一瞥いちべつで首をはねてしまいそうなほど鋭い目、鍛え上げられたことがわかる首筋に浮き出た血管と太い腕。飯島イイジマと名乗った目の前の男は、椅子に腰をかけ、左手のゴツゴツした指で書類の端を触る。どちらかといえば軍服よりはヘビ革のコートに葉巻を吸っているほうが、よっぽど似合う。飯島は隼を再び見つめて、固く結ばれた口を開いた。

「こちらに入っている情報で推定、一ヵ月だ。大規模な異世界からの侵略が行われるまでの間、軍歴証明書の作成と、兵士の様子を映像として記録する任務を与えるわけだが」

 この世界は、違う形で願望をかなえてくれた。飯島は目をギラリと光らせる。

「なにか言いたいことはあるか?」

「いえ、特にはないです」けど。

 目の前の首切りキラーのような男、飯島の指示に反論の隙はない。隼は頭を垂れて応じるしかできず、頭の上の辺りに重苦しい空気が流れ始めた。

「なにも、お前だけがこの場所にいるわけではないことを、忘れるな」

「了解です」

「世界中、日本では特にこういう状況だからな。だから無理にでも笑え」

「了解、しました」

 とにかく隼は当たり障りのない答えかたをした。下がれ、との命令に隼は飯島のいる指令室からようやく外に出ることができた。扉を閉めて、一呼吸。肩から首にかけて伸ばしてため息を吐いた。隼は今年で十九歳になる。ずっとSNSを見て、動画編集を仕事にしたいと考えてはなにも行動ができなかった。それが今、異世界侵略をキッカケに徴兵され、夢を叶えているというのだからなんとも皮肉だと思う。

 日本が軍を再構築して半年、その間にこの世界は大きく変わった。

 アルバイト生活にはもう戻れないだろう。だから、覚悟を決めるしかなかった。

 

 これから、この世界に起きたできごとと、人々の様子を、記録してゆく。

 どんなに困難でも、どんなに過酷であろうと、この世界に起きるすべてを。


 隼は、軍から支給されたパソコンと、スマホ、そしてハンディカメラを手にした。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る