ロンの過去 1


 旧大陸のはるか東に、広大な土地を国土に持つ、“チェン国”と呼ばれる大国がある。


 そこは、“神の住まう国”とされていた。

 チェン国を治める王の祖先は、その昔、この土地を荒らしていた龍を退治し、汚れていた土地の毒を払い、チェン国の民をこの地に導いてくれた英雄であり、天から地上に降り立った神の御子孫なのだと言い伝えられていた。


 そしてその国には、奴隷の民がともに住まっていた。

 切れ長の目元が涼やかな顔つき、きめ細やかな白い肌、漆黒の髪と瞳を持つチェン国の民と違い、黄ばんだ肌、いかつい体格、碧色の髪に黄緑色の瞳という異質な見た目のその民族は、龍の末裔の種族と言われていた。

 チェン国王の祖先は、龍を倒した際、この蛮族たちに情けをかけ、自分たちの下で働くのであれば、命を助けてやろうと申し出た。彼らは王の憐れみを受け、自らチェン国の奴隷として使えることを約束した。この民族は、“龍の民グイモ族”と呼ばれていた。


 グイモ族は、当たり前のように、チェン国民の生活に入り込んでいた。荷を運び、飯を作り、掃除をし、畑を耕した。彼らは寡黙な民族で、従順にチェン国のものに従っていたが、その目は、いつも何か物言いたそうに自分たちを小突き回す主人たちを見つめていた。


 そんな国で、ロンは産まれた。物心ついた時には、母はいなかった。自分を産んですぐに亡くなったと聞いた。だから、ロンには父親がすべてだった。


 彼の父は、チェン国皇帝の治療をする典医であった。名をユンという。もとは優秀な民間医だったのだが、噂を聞きつけた宮廷に招かれ、典医となったという。薬師として稀有けうな腕をもっていたユンは、王からの信頼も厚く、王に何かあった際にすぐ駆けつけられるよう、宮廷の敷地内に住居をあてがわれていた。


 ロンも、その家に住んでいた。多忙であった父はほとんど家にはおらず、何人もいる召使たちにかしずかれ、ロンは何不自由なく暮らしていた。高度な教育を受け、武道も学び、ゆくゆくは宮廷にあがって文官か武官として皇帝に使えるつもりであった。

 そんな恵まれた生活を送っていたロンだったが、いつも心のどこかには不満と孤独を抱えていた。自分にかまってくれない父への鬱憤、父は、自分を愛していないのではないかという不安。


 ユンはいつもロンに対して優しく接してくれたが、家にいるとき、大部分の時間を自分の書斎で過ごしていた。彼は、大量の書物に埋もれる様にして、いつも何か一心不乱に書き物をしていた。何かの研究に没頭しているのが伺えたが、ロンがその内容を聞いても、ユンはいつもはぐらかすのだった。


 ロンは、きっと父は自分よりも研究を愛しているのだと思っていた。そもそも、自分の名前に“ロン”と名付けるのもどうかしている。チェン国にとって過去の敵である龍の字をつけるなんて、やはり、父は自分のことを好きではないのだと、幼心に悲しく思っていた。しかし、幼いころから賢く利発だった彼は、そんなことを父に悟られまいと、精いっぱい快活で純粋な子を演じていた。


 ただ一度だけ、父に自分の名前のことを愚痴ったことがある。


 ロンは、典医の子供たちを集めて教育を行う、書院と呼ばれる学校に通っていたのだが、そこの子供たちに自分の名前を馬鹿にされたのだ。


「どうして、私に醜い“龍”の名などつけたのですか」


 泣きながらなじると、父は少し悲しそうな顔をして、じっとロンを見つめた。


「龍は、醜くなどないよ。とても美しい、気高い存在なのだ」

「うそだ。ならばなぜ、龍の子孫のグイモ族たちは奴隷として虐げられているのですか? 彼らが醜く下等な存在だからでしょう?」


 その時の父の怒った顔を、ロンは忘れられない。胸がつぶされそうに哀しく、憤った目をしていた。


「生まれながらに下等な生き物など、この世には存在しない!」


 父が声を荒げたのは、後にも先にもあの時だけだった。


 ある日、ユンが薬草の買い出しのためと言って、数週間家を出たことがあった。ユンはいつものように、家の者に「絶対に書斎に入らないように」と言い聞かせていたが、ロンはその言いつけを守る気はなかった。自分よりも父が優先している研究の内容を、どうしても知りたいと思ったのだ。

 家人たちが寝静まった夜、ロンはひそかに父の書斎に忍び込んだ。部屋全体を覆うように設置されている書棚には、ずらりと薬学の本や医学書が並んでいたが、代わり映えのする内容の本は見当たらない。


 夜が白み始めるころまで探し続けたが、目当てのものが見つけることができなかったロンは、力尽きたように近くの本棚に寄り掛かった。すると、その本棚がずるずると動くではないか。驚いて足元に目をやったロンは、思わずあっと声をあげた。本棚がずれてあらわになった床に、取っ手のようなへこみが付いていたのだ。

 その凹みに手をやって引くと、隠された床下の収納棚いっぱいに詰め込まれた、手書きの書物が現れた。その一つを恐る恐る手に取って目を通したロンは、衝撃に息をのんだ。

 そこには、国から禁域と指定されているはずの古代遺跡の研究論文が、ものすごい熱量で書き記されていたのだ。


 ろくに内容を読むこともせず、ロンは真っ青な顔で本棚をもとに戻し、自分の部屋に戻った。布団に入っても、その日は一睡もすることができなかった。


(父上のしている研究は、国を敵とする恐ろしいものだ)


 チェン国は、様々な分野での規制や検閲が厳しかった。特に書物については、他国のもの、国が許可していない内容のものの売買や製造にかかわったものすべて、死刑に処されるほどの厳罰が課されていた。ユンの研究が国に見つかったら、確実に父の命はないだろう。


(どうして父上は、皇帝の典医という名誉な仕事をしながら、そんな危険な研究に没頭しておられるのだろう)


 胸中でそんな疑問を抱えながら、まんじりともせず数日を過ごした、ある日の夜だった。







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