悪あがき 4
その後まっすぐ向かったのは、ある男のもとだった。
街の男たちと共に家の修繕にあたっていた彼を呼び寄せると、その男はクマのような黒い巨体をのそりのそりと揺らしながらクックに近づいてきた。
彼の肌は、島の中でただ一人、闇夜に紛れてしまいそうな漆黒の色をしている。見上げるような巨体に、岩のごとく引き締まった筋骨隆々とした体。しかしその恐ろしい見た目とは裏腹に、黒い小粒な瞳は優しく輝いている。
彼の名はウルドという。翼獅子号の甲板長を担う、仲間内で一番の怪力と戦闘力を誇る男だ。自分の命を救ってくれたクックに絶大な忠誠を誓っており、どんな指示にも黙々と従う縁の下の力持ち的な存在である。
クックは自分より頭一つ分高い位置にあるウルドの顔を見上げ、少し声を落として語りかけた。
「ウルド、頼みがある。俺と一緒に、ガスパール島に向かってくれ」
その島の名を聞いた時、普段何事にも動じないウルドの目が、ぎょっとしたように見開かれた。
「船長、正気ですか」
今までクックに意見などしたことのないウルドが、低い声で訊き返す。それに首肯してみせるクックの顔は、どこまでも真剣だった。
「お前があの島に行きたくないことはわかってるが、どうしても、お前に一緒に来てほしいんだ。頼む、この通りだ」
深々と頭を下げるクックを、ウルドは大いに戸惑った顔で見下ろしていたが、やがて静かに頭を垂れた。
「船長が行くところなら、地獄だろうとお供します」
「……すまん、恩に着る」
クックはほっとしたように顔をあげると、そこで何か思いついたように悪戯な笑みを浮かべ、ウルドにウインクしてみせた。
「あと、もう一つ頼みがある。三人目の船員を、ちょっくら
その日の夜。港に接岸している船の中で、クックはウルドが来るのを待っていた。
この船は、唯一戦闘の被害を免れた一隻だった。翼獅子号よりも段違いで船体も小さく、もはやボートと呼ぶような代物だが、クックの目指す地に行くには十分な船だった。
クックが船出することは、ルーベルとバジルしか知らない。バジルは最後まで難色を示していたが、クックがガスパール島に向かう真意を説明すると、やれやれといった表情で禿頭をつるりと撫でた。
「ルーベルが許可した以上、どう反対してもお前は行っちまうんだろう? となりゃぁ、俺が腹くくるしかねぇだろう」
「すまねぇ、じいさん。あんたにしか頼めねぇんだ」
自分が子供のころから面倒を見てくれていたバジルの前では、クックの顔はどこか幼いものになる。バジルは浅黒く日焼けした顔を笑ませ、その大きく分厚い手でばしんと自分の胸をたたいて見せた。
「任せろ! 島のことは心配すんな。てめぇはさっさとやることやって、子供が産まれる前に帰ってきやがれ」
(ありがとう、じいさん。ルーベル)
自分の背中を押してくれた二人に、改めて心の中で礼を言って、クックは船首に立ち、漆黒の闇が垂れ込める海を見つめていた。
仲間に事情を話さず黙って出航することは気が引けたが、バジルがしっかりと皆に説明しておくと請け負ってくれた。仲間たちに話してしまったら、反対多数できっと島を出ることはかなわなかっただろう。
(無茶な考えだとはわかってる。だが、津波から避難する船の調達、海賊からの襲撃に備えるという点でも、この方法しかないんだ)
クックが胸中でそう強く思ったときだった。船が人の重みを受け、ぐらりと揺れた。振り返ると、タラップをのしのしと上がってくるウルドの姿があった。肩に何やら大きい麻袋を担いでいる。
「おい、ウルド! てめぇ、いったいなにしてくれてんだっ! さっさと降ろせぇぇ!」
麻袋からは、くぐもって聞こえるが、男が罵詈雑言を吐いている声が聞こえてくる。ウルドは暴れる麻袋をどんと甲板に置くと、クックに向かって頷いて見せた。
クックはにやりと口の端を上げると、素早く
だいぶ島を離れ、もう声も届かなくなったところで、クックとウルドは目を見かわし、麻袋の閉め口を解放した。その途端、小柄な人影が麻袋から飛び出したかと思うと、マストの上に飛びつき、船を大きく揺らした。
マストに飛びついた人影が、二人に向かって威勢良く吠える。
「やいやいやい、俺さまをさらうたぁいい度胸してんなぁ⁉ ウルドを買収して俺と一緒に仲間に引きずり込もうって魂胆かぁ⁉ 言っとくがな、俺は見た目はちいせぇが中身のでかい男なんでねぇ、その辺勘違いしてもらっちゃぁ困るね! 俺が生涯ついていくのは、クック船長ただ一人と心に決めてる……って、あれ?」
怒涛の様に述べていた口上がだんだんとしりすぼみになり、訝し気に途切れた。ただ一つの光源である小さなランタンに照らされ、マストにしがみついている小男の混乱したような表情を照らし出す。そこにいたのは、翼獅子号の財務担当であるグリッジーだった。だんだんと目が光に慣れ、二人の顔をはっきりと認識したのだろう。こちらを見上げているウルドとクックを交互に見比べ、かわいそうなほど
「な、なんで船長がここにいるんで? 俺はてっきり、敵の奴らに攫われたのかと……おい、ウルド! ちゃんと説明しやがれ!」
彼の詰問に対し、ウルドは無言で肩をすくめるだけだ。
クックはわざとらしいくらいの笑顔を浮かべると、グリッジーに向かって両手を差し伸べた。
「うれしいこと言ってくれるじゃねぇか、グリッジー! お前ならそう言ってくれると信じてたぜ! 俺の行くところには、どこへだろうとついてきてくれると!」
「い、いやいやいや船長。まさかとは思いますが、今俺たち、バルトリア島を離れようとしてるんですかい?」
「そうだ」
「こ、この非常事態に?」
「そうだ。というか、非常事態だからこそ行くんだ。島のみんなを助けるために」
せわしなくあたりを見回したグリッジーの顔が、だんだんと青ざめていく。だいぶ島を離れていることに気付いたのだろう。
「ち、ちなみに、どこに向かってるんで……?」
「ガスパール島だ」
今度こそ、グリッジーの顔から血の気が引いた。ずるずるとマストを滑り落ち、甲板に座り込んでしまう。
「ガ、ガスパール島って……まさか、“
「そのまさかだ」
クックの笑みが、どこか危険な色を伴って深まる。
「手荒な真似して悪かったな。この旅にはどうしてもお前の力が必要だったんだが、おとなしくついてきてはくれないだろうと思ってな。だが、心配するな。必ず生きて島に返す。約束する!」
しかし、グリッジーはクックの話など聞こえていないようだった。よろよろと船尾まで歩いていくと、島があるであろう方角に向かって、悲壮な声を張り上げた。
「だっ、誰かぁ! 助けてくれぇぇ! とうとう船長が頭いかれちまったよぉ! おれぁ、まだ死にたくねぇぇぇ‼」
しかし、もう島に彼の声が届くはずもなく。かわいそうな小男の叫びをひっそりと闇に沈め、夜の海は静かに三人の乗る船を運んでいくのだった。
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