悪あがき 3


「……はぁ」


 何度ついたかわからないため息を吐き出し、クックは持っていた手紙から顔をあげた。

 彼は島が見渡せる丘の上にいた。眩い日差しが降り注ぐ中、ぼんやりと景色を見渡す。

 街には、何か所か家が倒壊してしまっている部分があった。敵船からの砲撃により、屋根が無残に抜け落ちてしまっている部分を、島の男たちが修復作業にかかっている様子が見える。


 港には翼獅子号が泊まっていたが、その姿は様変わりしてしまっていた。

 敵の砲撃で右舷側が大きくえぐりとられ、ミズンマストは途中から折れ曲がってしまっている。


「メイソンに殺されちまうな」


 クックはぽつりとつぶやき、力なく笑った。

 デズモンドとハスラーの海賊連盟団にやられた島の傷跡は、決して小さいものではなかった。クックと仲間たちは翼獅子号やほかの四隻の船を駆使して自分たちより多勢の敵に対して善戦し、敵の首領が乗っている船に乗り込んで白兵戦を繰り広げ、デズモンド、ハスラー両名を討ち取ることに成功した。


 彼らの首を手下たちの船に投げ入れ、追い返すことが叶ったものの、島の痛手は深刻だった。翼獅子号は修理が終わるまで航行できない状況だし、ほかの船も無事では済まなかった。問題なく動かせる船はたった一隻のみだ。しかも小型船なので、島民が避難するためのよすがには到底なりえない。打撃を受けた船の修繕には時間がかかる。果たして、津波が来るまでに島民全員を避難させることができるのだろうか?


 それに、首領が死んだとしても、エンドラとイグノアの海賊どもは、新しい首領をたてて再び襲撃してくるだろう。その次の襲撃に備えることに加え、街と船の修繕、さらには津波の対策も考えなければならない。クックの心が安らぐ暇は片時もなかった。


(あいつらは、大丈夫だろうか)


 そして、自分で送り出したとはいえ、ジャニたちへの心配も日々募っていく。襲撃が止んだ今、彼らのために何ができるか終始考えを巡らせてしまい、クックは心あらずなことが多かった。


(だが、俺は島を離れるわけにはいかない)


「あぁ! やっぱりここにいた!」


 突如背後からかけられた声に、クックははじかれたように振り返った。丘に続く木立の中から、一人の女性が姿を現したところだった。

 緩やかにウェーブのかかった漆黒の髪が、風にあおられて羽のように広がっている。美しい顔はほんのり高揚して、唇の赤みがくっきりと際立っており、褐色の頬は薔薇色に、瞳は赤褐色に輝いている。胸元で切り返しのあるゆったりしたワンピースを着た彼女の腹部は、大きく前にせり出していた。その姿を見て、クックは慌てて立ち上がった。


「おい、ルーベル! こんなところまで歩いてくるなんて、無茶なことするなよ!」

「大丈夫よ。ロンも、適度な運動は大切だって言ってたじゃない」


 全く悪びれることなくそう言って、クックの妻であるルーベルは、華やかにほほ笑んだ。

 ルーベルは現在臨月を迎えており、来月にも子供が産まれる予定だ。しかし、生まれてくる赤子の靴下などを編んだりするようなおしとやかな女性ではないため、妊婦とは思えぬアクティブさで終始クックをはらはらさせていた。

 ルーベルは腰に手をあててふぅ、と大きく息をつくと、クックの持っていた手紙に目を落とした。


「こんなところで手紙なんか読んで、どうしたの? 誰からの手紙?」

「アドリアンさ。俺の話を信じてくれているのは、今のところあいつだけだからな。それでも、やはり船を出すとなると厳しいみたいだ。国にお伺いをたてなきゃいけねぇようだが、くそ長い手続きを踏んでいたらおそらく間に合わないだろうとさ」


 クックは苛立たし気に肩をすくめた。


 アドリアン・ロペス。センテウスお抱えの探検家であり、新大陸を発見して巨万の富を築いたマルタン・ロペスを祖父に持つ生粋きっすいの御曹司である。

 八年前、ジャニと同じくセイレーンに呪いをかけられていたクックは、その呪いを解くための手掛かりとなる、伝説の海賊“デイヴィッド・グレイの宝”を探していた。その旅のさなか、アドリアンと出会ったのだ。彼は、センテウスが目の敵としている “人食いのゲイル”討伐のために旅をしていた。そしてクックと同じくデイヴィッド・グレイの宝を狙っていたゲイルに対抗するため、クックとアドリアンは協力体制をとったのだった。


 一時はゲイルに捕らえられたりしながらも、二人は力を合わせてゲイルを討ち取り、さらにはセイレーンに勝利し、デイヴィッド・グレイの宝を手に入れることができた。クックにとって、アドリアンは国に属する人間の中で、唯一心を許せる戦友なのであった。

 ゲイルを討ち取った功績を認められ、アドリアンは現在、タトラスという小都市の総督を任されていた。タトラスには小さいながらも港があり、アドリアンの所有する船も何隻か置いてある。津波が来る前に島民を避難させるため、アドリアンにその船を何隻か寄こしてもらえないだろうかと打診をしてみたのだが、返答は思わしいものではなかった。


 しかし、それも致し方ないことだと、クックは頭ではわかっていた。センテウス国にとって、自分たちバルトリア島の海賊たちは、他国から攻め入る敵船を排除するには便利な軍力だが、油断ならない相手でもある。この島に軍の要塞を作ることを拒否し続けている以上、国と自分たちは緊張感をはらんだ間柄なのだ。

 クックとアドリアンの関係が友好的なことは、国も把握している。二人が手を組み、国に反旗を翻すことを、国は一番恐れている。アドリアンが国の許可を得ずにバルトリア島に大型船を何隻か送ったと知ったら、国も黙ってはいないだろう。しかし、国王に船を出す許可を得るとなると、無駄な手続きなどが膨大にある中央政府に手紙を送って返事が返ってくるまで、一か月で足りるか怪しいところだ。それに、許可されない可能性も十分考えられる。


 手紙には、アドリアンの苦悩がありありと刻まれていた。タトラスに避難する場合は全面的に受け入れ、協力するという旨は記載されていた。それが彼の立場上の妥協点なのだろう。


 アドリアン以外にも、クックは周辺の港街や島などに津波が来るという警告の手紙を送っていた。

 しかし、返ってくるのは嘲笑か、でたらめなことを言うなという叱責の文だった。

 海賊が言うことを信じれるはずがないだろう、と。それもそうかと、クックもあきらめの気持ちはあった。しかし、ジャニが予測した津波は、黒島から発されるなんらかの影響によっておこると思われる。ならば、黒島から同じくらいの距離の地には同等に津波が来ると考えるのが妥当だろう。放っておけば、大規模な被害は免れない。 海賊であろうが堅気であろうが、そんな情報を掴んでおいて黙っていることは、クックにはできなかった。


(船を切り盛りするってのとはわけが違うからな。やっぱり、思うようにはいかねぇや)


 島を発展させたいという想いを胸に、他国や島外との交流が増えた今、クックが抱えているのはそんな挫折感だった。船長として海賊稼業に邁進まいしんしていた間は、自分の思うようにことを進めることができた。だが、このバルトリア島を守りながら世界とうまく渡り歩いていくとなると、現状の自分の手にはあまりある。わからないこと、途方に暮れることばかりだ。


 だから悔しい。壁にぶち当たっている自分がふがいない。


 そんな姿を皆に見られたくなくて、クックはこの丘に逃れて一息つくことがままあった。しかし、そんな隠れ場所も、妻にはお見通しだったようである。

 ルーベルは浮かない顔のクックを見下ろし、豊満な胸の下で腕を組んだ。


「アドリアンを責めてもしょうがないじゃない。彼には彼の立場があるんだもの。私たちにできることを進めていくしかないわ」

「そりゃぁそうだが……」


 歯切れの悪い物言いのクックを、ルーベルはどこか思案気に見つめていたが、ふと彼から視線を外し、遠くに見える水平線に目をやりながら、何気なく言った。


「あなた、本当はやりたいことがあるのに、私や島のみんなが不安がるだろうからって、我慢してるでしょ」

「なっ」


 ぎょっとした顔で、クックはルーベルを振り返った。「図星のようね」とほくそ笑み、ルーベルはびしっとクックの額に指を突き付ける。


「あなたが毎夜秘かに海図を見つめているのを、気づいてないとでも思ってたの⁉ 言っとくけど、あなたに我慢なんて言葉は似合わないからね? 行きたいところがあるなら、さっさと船を出しなさいな!」

「そんなことできるわけないだろう⁉ 街の修繕や、襲撃への備え、海岸線に堤防を築く作業も、まだ全然整っていないんだぞ! それに、お前に何かあったら……」


 言い募るクックの襟首をつかみ、ルーベルは突然乱暴に彼の唇を奪って黙らせた。

 目を白黒させているクックに向かい、ルーベルは形の良い赤い唇を不敵に笑ませる。


「私と島のみんなを見くびらないで。あなたがいなくたって、なんとかしてみせるわ。ジャニたちは、島を守るために命がけの旅に出ているのよ。私たちも命を懸けないでどうするの! 勝算なんて考えてる場合じゃない。自分にやれることがあるなら、なんだってやりましょう」

「……ほんと、お前にはかなわねぇな」


 そう言って苦笑するクックの顔からは、先ほどまでの曇りは消え失せていた。

 クックはルーベルを抱き寄せると、耳元で一言、囁いた。


「行ってくる」

「……死ぬことだけは、許さないから」


 ルーベルの最後のつぶやきは、絞り出すようなものだった。彼女の本当は不安な気持ちや、それでもクックの思うようにさせてやりたいという気概、それらすべてを包み込むように強く抱きすくめると、クックは素早く身をひるがえして丘を駆け下りていった。





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