敵船襲来 4


 クックに与えられた船の船首に立ち、ジャニは抑えきれぬ興奮に身震いしていた。

 湾内の海戦は激化している。敵味方の船から発射される砲撃が闇夜を切り裂き、いたるところでまばゆい花を咲かせている。街にも戦火は届いてしまったようで、不吉な黒煙が港の方から上がってた。その光景を見て胸が苦しくなるのをこらえながら、ジャニは声を張り上げる。


「錨を上げろ! 総帆展帆!」


 ジャニの声に応じて、船員たちが迷いのない動きで錨を上げ、帆を張り始める。港を離れ、船がゆっくりと動き始める。その横では、クック達が乗り込んだ翼獅子号を筆頭に、四隻の味方の船が帆を広げ、砲撃を続けている敵船に向かって進み始めていた。


 船内は緊迫した雰囲気に包まれていた。突如船出を命じられ、航海準備もままならない中、敵船がうようよ押しかけてきている内湾を逃げ切りながら外海に出なければならないのだ。皆の不安が手に取るように感じられ、ジャニは早鐘はやがねの様に打つ自身の鼓動を感じながら、大きく深呼吸した。


(落ち着け。とにかく、今は外海に出ることに集中するんだ。敵は湾の左側から隊列を組んできている。クック船長たちが奴らを足止めしてくれている間に、湾の右側すれすれから脱出すれば、逃げ切れる!)


 そうは思っても、それが簡単なことではないとジャニにもよくわかっていた。風は進行方向からきている。この船は縦帆を備えているので風上に向かって走行することも可能だが、そのためには帆の細かな操作が必要になる。船員総動員でことにあたらないと実行不可能な操作であり、一瞬でも間違えたら敵船の中に突っ込みかねない。


(失敗したら、どうしよう)


 どうしたって、そういう思いが這い上ってくる。舵をつかむ両手に、じわりと嫌な汗がにじんでくる。息が詰まりそうな気分を変えようとジャニが大きく深呼吸したとき、横に誰かが並んだ気配を感じた。見ると、パウロがなんだかげんなりした表情で横に立っていた。その緊張感のない顔を見て、思わずジャニはぷっと噴き出した。


「ちょっと、どうしたの、ひどい顔して」

「こんな顔にもなるっての。さっき船長に言われた。俺がクォーターマスターだとさ」

「えっ」


 てっきりロンがその役に付くのだろうと思っていたジャニは、驚いてパウロを見返してしまった。

 クォーターマスターは船長に次ぐ権力を有する役職であり、いわばこの船のブレイン的立ち位置である。経験豊富なロンがいるのに、なぜクックは未経験のパウロを指名したのだろうか?

 彼女の予想通りの反応に、パウロはひょいっと肩をすくめて見せた。


「だよなぁ、普通ロンさんだと思うよなぁ。まぁでも、もしかしたら、船長とクォーターマスタ―の相性ってのもあるのかもしれない。クック船長とロンさんが最強のコンビなのは、お互い何を考えているか手に取るようにわかってるからだ。俺たちも、ずっと一緒に訓練積んできたんだから、その辺はきっとうまくいくはずだ」


 ジャニはハッとしてパウロの横顔を見つめた。その考えはなかったが、確かに、こういう危機的状況で一番大事なのは、船員たちが一丸となって想いを一つにすることだ。船長が行動を決め、クォーターマスターがすぐに船長の意思を正しくくみ取り、船員たちに指示を下す。二人の呼吸が合わなければ、船を動かすことはできない。

 パウロがすっと、こぶしを突き出した。


「俺たちにもできるってこと、証明してやろうぜ」


 ジャニの口元に笑みが広がった。差し出されたパウロの手が、小刻みに震えていることに気付いたのだ。人一倍怖がりの彼が、こうやって自分を鼓舞してくれている。失敗を恐れている場合ではないだろう。

 ジャニは、力強くパウロのこぶしに自分のこぶしをぶつけた。


「絶対に、島を救うよ!」


 二人は視線を交わし、力強く頷いた。


「さて、船長殿。どうやってこの難関を切り抜けるつもりだ?」

「上手回しで行こう。左舷一杯開きでまずは南南西の方向に進む。私が合図したら右舷一杯開きに切り替える。それを繰り返して、ジグザグに風上に向かって進むしかない。こちらに撃ち返す余裕はないから、敵からの攻撃を一発も食らわず、湾を抜ける!」

「やっぱそうなるかぁ」


 はぁ、と大きくため息をついて、パウロはやれやれと首を振った。


「無茶な作戦だけど、やっぱそれしかないよなぁ。わかった。切り替えのタイミングは、お前に任せる!」


 そう言って、甲板にいる船員たちに指示を伝えるため、足早に歩いて行ったパウロの背中を、ジャニは何かまぶしいものを見るような顔で見送った。こんなにも、彼の背中が頼もしく見えるとは。昔、囚われの身となったジャニを救い出してくれた時の彼の姿に、それは重なった。


(パウロは絶対に、私の味方でいてくれる)


 その想いが、ジャニの背中をしゃんとさせた。

 船の舵を握り直し、ジャニは甲板に降りたパウロと共に声を張り上げた。


「総帆、左舷一杯開き! 方角は南南東! 船体の傾斜に備え、砲台、積み荷はすべて固定しろ!」


 船員たちが帆の向きを変えるため、一斉に動き始める。三本のマスト、すべての帆を動かさなければならないので、舵取りをするジャニ以外、船員総動員だ。タイミングをそろえるため、船内に掛け声や怒号が飛び交う中、風を受けた帆が大きく広がっていき、船がするすると進み始めた。

 今はまだ、ジャニたちの船は敵船には気付かれていない様子だ。気付かれる危険性を低くするため、船内の光源も最小限にしている。もし敵船に攻撃されたら、こんな小さな船ではひとたまりもないだろう。


 帆に風が吹き込み、船体はスピードを増し、左舷側に大きく傾き始めた。黒い波間を切り裂いて、高速で船は進んでいく。まるで波の上を飛んでいるかのようだ。波しぶきが甲板に振りそそぎ、帆を必死で制御している船員たちに容赦なく降り注いだ。


「おい、ジャニ! こんな無茶な走りしてたら船が倒れちまうぞっ!」


 メイソンの怒鳴り声が聞こえてくる。ジャニは返事もせず、舵を握る手に力を込めて、ただ目の前を凝視していた。


(……いまだ!)


 ジャニは何かを見つけたかのように目を大きく見開くと、思い切り舵を回し始めた。そしてごうごうと耳を打つ風と波の音に負けないよう、船内に轟くような声を張った。


「総帆、右舷に開け‼ 放り出されないよう気をつけろ!」


 やや悲鳴交じりの声を上げ、船員たちが再び動き出す。めいっぱい左舷側に開いた帆を、今度は反対側に開かなければならないのだ。この作業は相当な力作業であり、また、傾斜している船がひっくり返らないように細心の注意を払わなければないので、かなり難易度の高い作業だった。

 そして、ジャニの行っている舵取りも、相当の熟練度が必要であった。マストの傾斜、船体の傾き、波間の一瞬の開き、そういうものを見定め、ここぞというタイミングで素早く舵をきる。操帆の動きと息を合わせないと成り立たない重要な役割だったが、ジャニは持ち前の集中力でそれをこなしていた。そして、ジャニの指示がいきわたらない一番先頭のマストでは、パウロが抜群のタイミングで指示を出してくれていたので、全員で息を合わせ、船を快く進めることができていた。


 大きく左右に船体を傾けながら、ジグザクに船は進んでいく。時折傾きが激しすぎて、固定が甘かった樽が甲板を転がっていき、海に放り出されることもあった。気を抜いたらあの樽と同じ目に合うのだろうと、船員たちの顔が青ざめ、より緊迫感を増していく。

 船体は順調に湾口に向かって突き進んでいった。このままうまく風をつかめれば、外海に出られる。皆がそう期待した時だった。

 空を切り裂く音がして、何かが飛来する音がした。船体のすぐ近くで激しい水柱があがるのを見て、ジャニは思わず舌打ちをする。


(気付かれた……!)


 敵船の一隻がこちらに気付いて打ってきたのだ。左側のやや離れたところで、どっしりとした姿かたちの船体が、こちらに舷側を向けるためにゆっくり転回を始めていた。再び爆音が響き渡り、砲弾がジャニたちの船のマストをかすめた。


「うわぁっ!」


 その振動で、船が大きく揺れた。あやうく転びそうになったジャニは両足を踏ん張ってなんとか耐え、船員たちも必死で索具に捕まるなどして、海に落ちることは免れた。だが、このままでは敵の目前で無防備に立ち止まってしまうことになる。先ほどの砲撃で、敵はおそらく距離感をつかんでいるはずだ。次の一撃が当たったら、海の藻屑となってしまう。


「直ちに体制を立て直せ! 総帆、左舷いっぱいに開け!」


 ジャニが慌てて指示を出す。船員たちも必死でマストを操作するが、最悪のタイミングで風がやみ、船が動かない。敵船の舷側がこちらを向き、ずらりと並んだ砲首がジャニたちの船を完全にとらえた。

 間に合わない。ジャニたちが絶望しかけたその時、ふいに二隻の船の間に、赤茶色の船体がすさまじいスピードで突っ込んできた。まるで、ジャニたちの船をかばうように現れたその船は、間近に砲撃を受けて、船縁を派手に吹き飛ばされてしまった。


「あぁっ!」


 ジャニの口から悲鳴が上がった。その船がクックの乗る翼獅子号だと気づいたのだ。


「翼獅子号が……!」


 メイソンが悲壮な顔で頭をかかえる。自分が後生大事にメンテナンスしてきた船体が吹き飛ぶ様は、彼には耐えがたいものだろう。しかしそれは、ほかの船員にとっても同じだった。

 翼獅子号からも、敵船に打ち返す砲撃の音が連続で聞こえてきた。向かい合う二隻間で、激しい砲撃戦が繰り広げられている様子だ。

 やっと、風が吹き始めた。撃沈を免れたジャニたちの船が、撃ち合う二隻を置いて進んでいく。激しい戦火に身を投じ、島を守るために戦う仲間たちの姿が、遠のいていく。皆が愛してやまない翼獅子号が危険にさらされているというのに、自分たちは島を離れようとしている。

 ジャニの胸は張り裂けんばかりだった。だが、自分たちもまた、島を守るための長い戦いに身を投じようとしているのだ。振り返ることは許されない。


(絶対に、島を守って見せるから! みんな、どうか無事で……!)


 にじんでくる涙をこらえるため、一度ぎゅっと目を瞑り、ジャニは、同じように顔をゆがめている船員たちに声を張り上げた。


「今のうちに外海に出る! この機会を逃すな!」

「おう!」


 ジャニの声に決意を固めた様子で、船員たちは後ろ髪ひかれる思いを振り切るようにがむしゃらに動いた。ジャニも必死で舵取りを続けた。やがて、狭くなった湾口に差し掛かり、外海と切り替わるところに到達した。

 内湾の波とは比較にならないほどの巨大な波が、ジャニたちの船を木の葉か何かの様に軽々ともてあそぶ。荒れ狂う波間に翻弄されながら、ジャニたちは転覆しそうに揺れる船に必死でかじりつき、最後の大波を乗り越えた。

 無事たどり着いた外海の海はどこまでも果て無く黒く、空には満天の星空が広がっていた。


 ジャニは一瞬、バルトリア島を振り返った。黒々と浮かぶ島影の下で、小さな赤い光が、くすぶる熾火おきびのようにちらちらと瞬いている。


(聖剣を黒島に返して、必ずまた、ここに戻ってくる。一人も欠かさずに)


 自分にそう固く誓い、ジャニは視線を行く先に戻した。

 目指すは砂漠に囲まれた国、“アリスタル帝国”。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る