敵船襲来 2


 ジャニ、クック、ロン、パウロの四人は、皆を代表してある建物の前に来ていた。


 “カリュプソ”と古めかしい文体で店名が書かれているその建物は、多少老朽化が見られるものの、堂々としたたたずまいの酒場だった。日が暮れて薄青い闇が落ちる地面に、窓からこぼれる橙色の光が楽し気に踊っている。

 ジャニが酒場のドアを勢いよく開けると、陽気な音楽と派手な喧騒があふれ出した。

 クックを見ると、給仕係の女たちが嬉しそうに近寄ってきた。


「まぁ、クックじゃない! 一息いれにきたの?」

「いや、今日はマダム・ジーナに急用があってな。彼女はいるか?」


 クックが女たちにそう返した時だった。


「ちょうどよかった! クック、ロン、あんたら二人に話があるんだ」


 少し離れたところから、低く艶やかな女性の声がかけられた。男たちが酒を酌み交わしているテーブルをぬって、長身の婦人が歩いてくる。老婦といってもいい年齢だが、いまだかくしゃくとした様相の彼女は、この酒場の女主人であるマダム・ジーナである。


 化粧を程された顔は、しわでさえも魅力的に見える美しさ、右目の下にあるほくろが彼女の色っぽいトレードマークである。以前は腰まであったのに、女の命ともいえる豊かな髪を「邪魔だから」という理由でばっさり切ってしまうような大胆な女性であったが、その頬で切りそろえられた短い黒髪は彼女のさっぱりとした性格を表しているようで、とても似合っていた。


「ジーナ、俺たちもあんたに火急の用があるんだ」


 クックが険しい表情でそういうと、ジーナの目がすっと細められた。


「なんだか楽しい話じゃなさそうだね。来なさい」


 四人はすぐに、酒場の二階にあるジーナの個室に通された。


「さて、先にそっちから何があったのか話しておくれ」


 ドアを閉めてすぐ、ジーナが凛とした目を向けて尋ねる。クックが、ジャニの見た予言や、シレーヌの伝言などのあらましを話して聞かせると、さすがのジーナの表情も強張った。


「あと一月後に、この島が壊滅するような津波が来るってことかい⁉」

「そうだ。それを止めるためには、黒島から抜き取られた聖剣を取り戻して、島に戻さなきゃならねぇんだ。ジーナ、何か“ジャーマの聖剣”について知っていることはないか?」

「あぁ、なんでよりによってこんな時に……」


 ジーナはいらだったようにそう呟くと、棚からおもむろにワインボトルとグラスを取り出し、紅色の酒を一杯ぐびりと飲み干した。人心地ついた様子でほうっと息をついてから、机の横に置いてあった羊皮紙を取り出し、広げて見せる。そこには旧大陸と新大陸の精巧な地図が描かれていた。細かく色々な文字や線が書き込まれているそれは、ジーナの大事な商売道具だ。

 彼女はこの酒場の主人というだけではなく、情報屋も商っていた。その腕は確かで、クック達は長年彼女の世話になっているのだった。


 地図を覗き込む四人に、ジーナはすっと、ひとつの国を指さして見せた。

 バルトリア島より遥か東に位置する、砂漠に囲まれたオアシスを囲む大国“アリスタル帝国”。


「最近、あるうわさが広まっているらしい。アラム教にとって聖地奪還の証と言われる“ジャーマの聖剣”を、アリスタル帝国の皇帝に献上した男がいると」

「なんだって⁉」


 四人は驚いて顔を見合わせた。まさに、自分たちが欲していた情報が転がり込んできた。ジーナはなおも続ける。


「アラム教が国教のアリスタル帝国にとって、聖剣の奪取は長年の悲願だったろうね。だがもちろん、それは長年の宿敵であるエンドラのセントカバジェロ教の奴らにも天変地異な出来事だった。今、アリスタル帝国周辺では、聖剣を取り戻そうとするカバジェロ騎士団とアラム教団の僧兵の小競り合いが絶えないと聞くよ。ほかにも、なんだか気味の悪いうわさもたっている」

「気味が悪いうわさ?」


 ロンが訝し気に聞くと、ジーナは眉をひそめながら、彼女自身も疑わしいと思っている様子で口を開いた。


「アリスタル帝国周辺の海域で、カバジェロ騎士団の船が幽霊船のような状態で発見されることが何件かあったらしい。何が異様だったかって、その船の乗組員の姿だよ。船に乗ってたやつらはみんな、金色の十字架にはりつけにされて、甲板にびっしりとつきたてられてたのさ」

「な、なんだそれ」


 パウロがうげぇっと顔をしかめる。ジーナは少し声を潜めた。


「十字架にかけて異教徒たちを皆殺しにするのは、カバジェロ騎士団のやり口だ。なのに、そっくり同じような手口で騎士団のほうが殺されてるんだからね。ほんと、気味の悪い話さ」

「それよりも、その聖剣を献上した男っていうのは、どういう男なんだ?」


 クックが幽霊船の話には大して興味がなさそうに尋ねた。ジーナは小首をかしげて見せる。


「私も、その男については詳しくは知らないよ。聖剣を献上したのも、つい最近だって話だからね。だが、アリスタル帝国ではアラムからつかわされた神兆みしるしと崇め奉られ、そりゃぁ絶大な人気を得ているらしいね。字だろうが、あちらでは“灰狼”と呼ばれているよ」

「灰狼……」


 ジャニがつぶやく。その脳裏には、夢に出てきた巨大な狼の姿が浮かんでいた。その体から解き放たれた、金色の触手も。


「で、その聖剣を奪い返しに、アリスタル帝国に向かうっていうのかい?」

「あぁ、そういうことだ。これで、目的地は決まったな。すぐに船を出す準備にとりかかるぞ!」


 クックの言葉に、ジャニとパウロは威勢のいい声で応じたが、ロンの声は聞こえなかった。ジャニが訝しく思って彼を見ると、ロンは青い顔で、机上の地図のある一点をじっと見つめていた。

 しかし、その場の勢いをそぐように、ジーナから鋭い静止の声がかけられた。


「悪いけど、船を出すのは難しいよ」

「なんでだ? 早くしないと、一月後にはこの島がなくなっちまうんだぞ!」


 そう声を荒げるクックに、ジーナは一つため息をついて、長く豊かなまつ毛の下から濃い翡翠色の瞳をのぞかせた。


「“やつら”が動いたんだよ。デズモンドとハスラーが、どうやら手を結んだらしい」

「なんだって⁉」

「私もついさっき情報をつかんでね。だからあんたたちに早く伝えないとと思ったんだ」

「どうしてこんなときに!」


 舌打ちするクックと表情を曇らせるロンを見て、ジャニとパウロは首を傾げた。


「デズモンドって、エンドラの海賊だよね?」

「ハスラーは、イグノア東海岸あたりに屯ってる海賊をとりまとめてるやつだろ? なんだってそんな奴らが手を取り合うんだ?」


 状況がよく飲み込めていない二人に、ロンが説明する。


「エンドラの海賊たちは、今までタウルズの商船を主に襲っていたんだ。タウルズの商船は、私たちに護衛を頼むまでは、イグノアをおおきく左に迂回して、エンドラの海岸線付近を通っていたからね。待ち伏せして襲える場所がいくつかあったんだよ。だけど、私たちが護衛を始めたせいで、商船を襲える機会がめっきり減ってしまった。ハスラーたちも、もちろん同じ理由で私たちを煙たく思っていた。だから彼らが手を組む可能性もあると警戒はしていたけどね。まさか、こんなに早く動くとは」

「奴らはもうこのあたりに船を出してるかもしれない。もっと情報を集めないと、不用意に船出したら一斉に襲い掛かってくるかもしれないからね。港を襲撃されることも考えて、戦闘の準備も整えないと──」


 ふとジーナが口をつぐんだ。遠くで、何か腹の底を揺るがすような地響きが聞こえる。地震ではない。その轟は何回か立て続けに起こったかと思うと、不気味なほどの静寂が広がった。そしてその後に、かすかに聞こえてくる不吉な鐘の音。


 ジーナの顔が青ざめていく。


「……遅かった」








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