敵船襲来 1


「ジャニの容態は⁉ 大丈夫なのか⁉」


 部屋から出た途端方々からかけられた声に、ロンは眉をひそめたままうなずいた。


「あぁ、今は状態も安定している。多少熱がある程度だ。眠っているから、声を落とせ」

「無事なら、よかった……」


 パウロは青い顔でそう呟くと、力なく椅子に座りこんだ。

 森に入っていったジャニを追いかけたパウロは、途中でジャニの尋常ならざる絶叫を聞きつけ、丘の上で気絶していた彼女を見つけたのだった。慌てて彼女を抱えて、一番近い位置にあったバジルの店に運び込んだ。ちょうど店で一杯やろうとしていたクックとロンが居合わせたため、その場は一気に騒がしくなった。


 ジャニが倒れたと聞きつけた翼獅子号の仲間たちも駆けつけ、酒場には強面の男たちがひしめいていた。そのうちの一人、誰よりも背が低い、派手な衣服をまとった小男が、訝し気にロンを見ながら問いかける。


「大事ない割には、なんか浮かねぇ顔してますぜ、ロンさん」


 彼の名はグリッジーと言う。翼獅子号の財務担当で、宝石に目がない元商人の男だ。抜け目のない性格で、人の顔色も素早く読み取ることができる。ロンは一つため息をつくと、観念したように口を開いた。


「実は、ジャニがまた、“視た”らしい」


 途端に、その場がざわめいた。皆、おびえた表情で顔を見合わせている。まるでお互いの死相を見出そうとするかのように。


 ジャニの右目が、死ぬ運命の者の姿を捉えるということは、仲間内では周知の事実だった。ロバートの時はジャニは誰にも言わずに黙っていたが、その後、同じような事態が続いた際に、たまらず仲間たちに話したのだ。

 ジャニが身近なものの死を観るとき、それはいつも船の上でだった。そしてその人物は、大抵島に残してきた仲間や、住人の誰かであり、その死を防ごうにも、大海原にいるジャニ達には何もできない状況なのだった。そして船旅を終えてバルトリア島に帰ると、やはりその人物の死が、船に乗っていた者たちに知らされる。

 そんなことを何回か繰り返すうちに、ジャニの右目の不思議な力は、仲間たちも認めざるを得ないものとなっていた。


「つ、次は、誰が死ぬんで……?」


 セバスチャンが、ガタガタ震えながらロンに尋ねた。その質問に、皆が息をひそめて答えを待つ。ロンは沈んだ顔でつかの間黙り込むと、重々しく口を開いた。


「この島にいるもの、全員だ」


 一瞬沈黙が落ち、次いでその場は大混乱に陥った。


「どういうことだ⁉」

「俺たち全員が死ぬだって⁉ そんなことあるわけねぇ!」

「エンドラが攻めてくるのか⁉ いや、イグノアの奴らか、海軍か⁉」

「ロン、もったいぶってねぇで話してくれ」


 クックも、険しい顔でロンを促す。ロンは、自身もまだ動揺の残っている表情で言葉をつづけた。


「ジャニも意識がもうろうとした状態で言っていたことだから要領を得ないが、どうやら津波に襲われてこの島が壊滅する様子を“視た”らしいんだ。何度も『津波が来る。みんな死んでしまう』とうわごとの様に呟いていた」

「津波……」


 皆は言葉をなくした。それは予想だにしない事態だった。内陸の方では地震が頻繫に起こる土地もあるようだが、この島ではめったに地震が起こらなかった。よって、津波に襲われたこともついぞない。襲撃に備えて湾の入り口に砦を築くことはしても、津波の対策などを講じたことはなかった。


「それはいつの話なんだ? 今日か?」


 クックの声が張り詰めている。ロンはしかし、力なく首を振った。


「わからない。ジャニが意識を取り戻すまでは、詳しいことは聞けないだろう」

「今日にでも来るなら、避難の準備をしねぇと、間に合わねぇぞ!」


 バジルが血相を変えて厨房から飛び出してきた。皆も浮足立った様子で騒ぎ出す。それを鎮めたのは、クックの良く通るひと声だった。


「落ち着け! 皆がそれぞれ好き勝手に動いても効率が悪い。ジャニに詳しく話を聞いて、どう動くか話し合うのが先だ」


 彼の言葉に、仲間たちは少し冷静さを取り戻し、酒場を飛び出そうとしていた者たちは足を止めた。恐怖に顔を青ざめさせながら、セバスチャンが無理に笑顔を取り繕う。


「そ、そうですよね、ジャニの気のせいってこともあるかもしれねぇですしね。こんないきなり、津波が来るなんて、ありえねぇですよ」


 しかし、クックの表情は険しいままだった。


「いや、お前らも知ってるだろう。あいつはあの右目で、何度も仲間の死を予見した。常人には見えないものが、あいつには見えるんだ。あいつの右目は、セイレーンに奪われていたのを取り返したもの。不可思議な力が宿っていたとしてもおかしくない」

「じゃぁ、本当に、津波が来るとしたら、どう動けばいいんでしょう」


 金髪碧眼の美麗な顔をゆがめて、裁縫係のテイラーが声を震わす。その場に、重苦しい沈黙が落ちた。


「できることは限られている。津波が来るまでに猶予があるなら、島の周辺に堤防を築く。丘の上に皆が避難できるような建物を作る。それでも駄目なら……」


 ふと口をつぐんだクックの後を、ロンが顔を苦渋にゆがめて引き継いだ。


「この島を捨てる」

「そんな……」


 バジルが悔しそうに呻いた。彼は何十年もの間、クックの前の首領であったカルロスと共に、このバルトリア島を守ってきた。彼らの意思を継いで、若かりし頃のクックも、島を奪おうと襲ってきたイグノア海軍と決死の想いで戦った。そして守り切った島なのだ。

 皆で力を合わせ、街を作り、港を作り、倉庫を作って島を発展させてきた。やっとこの島の未来が開けてきたところだというのに、その安住の地を捨てなければならないなど、彼らには考えれないことだった。


「島を捨てて、どこに行くって言うんだ!」


 怒声を張ったのは、船大工のメイソンだった。彼の目には絶望の色が浮かんでいた。


「俺たちは、どこの国からもあぶれたはみ出し者だ! 国を追い出された奴らばっかりだ。どの国に逃げ込んだって、縛り首にされるのが関の山だ! 俺たちを受け入れてくれるところなんか、どこにもありゃしねぇ」


 メイソンの言葉に、皆、打ちひしがれたように項垂うなだれた。

 商船での奴隷のような扱いに耐え切れず、逃げ出してきたもの。戦火を逃れ、この島にたどり着いたもの。国で謂れのない諍いに巻き込まれ、命からがら逃げのびたもの。この島で海賊になるのは、そういった帰る場所のない者たちばかりだった。この島を捨てたとして、彼らの逃げられる場所はどこにもなかった。

 皆が黙り込む中、重々しく口を開いたのはクックだった。


「俺達には、船がある」


 クックは決意のこもった目で、仲間たちを順繰りに見渡した。


「船があれば、どこへでも行ける。どこへ行ったって、俺たちならまたこの島みたいな楽園を作れるさ。時間がかかったっていい。自分たちの力で、こうやって生きていけるってことがわかってさえいれば。何度だってやり直せるさ」

「クック……」


 ロンは胸を突かれる想いで相棒を見た。誰よりも一番にこの島を想い、尽力し、愛してきたのは、まぎれもなくクックだった。そんな彼が、皆を鼓舞しようと呼びかけている。翼獅子号の仲間たちも、切なさを押し殺した表情で、クックの言葉に頷いた。その時だった。


「この島を捨てるなんて、絶対に認めない‼」


 ゆるぎない意志の満ちた声が、その場に響いた。皆が驚いて視線を向けた先には、ドアをあけ放ち、苦しそうな表情で立っているジャニの姿があった。まだ顔は青ざめ、息も荒いが、立ち上がれるほどには回復したようだ。


「ジャニ、大丈夫なのか⁉」


 パウロが慌てて彼女に駆け寄り、肩を貸す。ジャニはパウロに支えられながら皆の前に進み出ると、クックをまっすぐに見据えた。


「船長、この島を捨てる前に、どうか、私にできる限りのことをさせて」

「じゃぁ、津波が来るまでに、まだ猶予はあるのか?」

「多分、まだ時間はあると思う。シレーヌが津波のことを教えてくれたんだけど、何かを私に頼んでいた。それができれば、津波は避けられるんだと思う」


 そして、ジャニは皆に、シレーヌの言葉を伝えた。その謎めいた台詞に、一番に反応したのはロンだった。


「黒島から聖剣が抜き取られただと⁉」


 皆は怪訝そうに、険しい顔のロンを見る。皆の気持ちを代弁して問いかけたのはクックだった。


「おい、その黒島やら聖剣やらってのは、なんなんだ?」

「知らないのか⁉ セントカバジェロ教とアラム教の聖地だぞ」


 それでもわからないという表情をしている仲間たちに、ロンは説明を始めた。


「千年ほど昔、セントカバジェロ教の教祖であるジャーマと、アラム教の神であるアラムが戦った場所と言われているのが、“黒島”だ。アラムはこの世界の礎となった神と言われていて、ジャーマは人間だったが、人智を超える力を秘めた聖剣を持っていた。ジャーマとアラムは黒島で七日間戦い続け、とうとうジャーマの聖剣が、アラムを封印せしめた。しかし、ジャーマもそこで力尽き、命を落とした。

 この戦いは、それぞれの宗教の経典にも記載されている。セントカバジェロ教の経典では、ジャーマがその命を犠牲にして、悪しき邪神を封印した聖地とされ、アラム教の経典では、恐るべき力を持った神アラムが、汚れた魂を持った愚かな人間であるジャーマを打ち滅ぼし、永き眠りについた聖地とされている。どちらの内容が正しいかは、今となっては永遠にわからないだろうな」


 ロンは皮肉な顔で笑った。ジャニが、はっとしたように声を上げる。


「じゃぁ、シレーヌが言ってたのは、言葉通り、その黒島から抜き取られた聖剣を、島に戻してほしいってこと?」

「おそらく、そういうことだろうな。聖剣を戻さないと、“混沌”が解き放たれてしまう。ということは、その“混沌”とやらが津波を起こす存在のようだな。そして、その混沌が解き放たれるのは、“赤い月の夜”……」


 ロンは難しい顔で考え込んでいたかと思うと、「ちょっと待っていてくれ!」と言い残して酒場を飛び出していった。


 戻ってきたロンの手には、分厚い書物が抱えられていた。彼の診療所にある膨大な書物の山から抜き取ってきたのだろう。彼は金銀財宝には全く興味を持たない代わりに、異国の珍しい書物などにもっぱら目がなく、大量の蔵書を診療所に収めていた。


「私の故国では、天体の観測を専門とする学問があるんだ。その本に載っていたんだが、おそらく“赤い月の夜”とは、“赤蝕”のことだろう。稀に、月が赤く不気味に光る夜があるだろう? あれが“赤蝕”だ。

 あれは、月と太陽との位置関係によるものなんだ。この本には、その観測記録と予測日を算出する方法が書いてある。これによると、次の“赤蝕”の日は……」


 本と暦を交互に見ながら、ロンが何か計算する様子を、皆でじっと見守る。やがて、計算を終えたロンが勢いよく顔を上げた。


「ちょうど、一か月後だ!」

「じゃぁ、津波が来るまで、あと一月の猶予があるんだな?」


 クックの質問に、ロンは「おそらく」と首肯する。皆の顔が、少し明るくなった。


「よかった! じゃぁそれまでにその聖剣とやらを、黒島に返せばいいんだな⁉」

「なんか、なんとかなりそうじゃねぇか?」


 メイソンとグリッジーが声を弾ませて言う。しかし、クックの顔は険しいままだった。


「いや、事はそう簡単じゃない。まず、聖剣がどこにあるのかがわからない。黒島からそいつを抜き取った奴は、どこにいるのか」

「それに、黒島のある場所も問題だ」


 そう続けたロンに、ジャニが息せき切って問いかける。


「黒島は、どこにあるの⁉」

「……“メイズ・トライアングル”だ」

「なんだと⁉」


 屈強な船乗りたちの顔がさぁっと青ざめる。ジャニも唇を強くかんでいた。


「それって、羅針盤が効かない海域で有名な……」

「そうだ。バルトリア島からずっと南西に下ったところ、三つの島を結んだ三角海域は、なぜか羅針盤が全く効かなくなる。その海域に迷い込んで、帰ってこなかった船は何百とある。“船の墓場”、“死の海域”ともいわれている場所だ。黒島に封印されたアラムの呪いだと言うものもいる」


 パウロが絶望的な顔で頭を抱えた。


「それじゃぁ、なんとか聖剣を手に入れたとしても、黒島に行くことができないじゃないか!」

「いや、できる!」


 ジャニがパウロの言葉を遮るように、強い口調で言い切った。そしてクックをまっすぐに見る。


「船長が教えてくれた、星読みの航海術なら、羅針盤がなくても目的地にたどり着ける! そうでしょう?」


 しかし、クックははっきりとは頷かなかった。


「俺も、あの海域に挑んだことはないからな。噂だが、“メイズ・トライアングル”ではほとんど曇天で星空が見えないと言われている。そうすんなりとはいくまい」

「それでも、可能性がないわけじゃない! やってみる価値はある!」


 ジャニが強い口調で言うのを、クックはどこか驚いた顔で見ていた。


「あとは、聖剣を持ち去った奴がどこに行ったかだけど……」


 腕を組んで考え込むジャニに声を掛けたのは、グリッジーだった。


「だったら、あの人に聞いてみるしかないんじゃないか?」

「え?」


 訝し気に振り返ったジャニに、グリッジーは励ます様に片目をつぶって見せる。


「うちの島にはいるじゃねぇか。世界で一番の情報屋が、さ!」





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