迫りくる破滅 7


(はぁ、子供っぽいことをしてしまった。だから私は認めてもらえないんだ)


 しばらく森を歩き回っていたジャニは、怒りのほとぼりが冷め、自己嫌悪に陥っていた。

 あんな風にクックにたてついても、しょうがないとわかっていた。それに、訓練の時、自分の中にあった苛立ちを無意識に仲間たちにぶつけていたことも。自分の感情をコントロールできなくて、後から自己嫌悪に陥ることが、ジャニには度々あった。

 

 それを乗り越えないと船長を任せてもらえないだろうと頭ではわかっているのに、わけもなく焦りと苛立ちが常に自分の中にあり、それが自分を律することを邪魔してくるのだった。

 クックに認めてもらいたい。仲間たちに好かれたい。何者かに自分の存在を肯定してほしい。

 ジャニの中には、常にそういった強い思いがあった。それがどこからくる思いなのかはわからない。そして、この狂おしいほどの想いは、きっと船長になることができれば満たされるのだと思っていた。


(私に足りないものは、何なのだろう?)


 森が開け、ジャニは島の全貌が見渡せる丘の上に出た。あの夢の中で見た場所だ。

 強い日差しの中で、帆船が何隻か停泊している港が見える。以前より住宅の増えた、街の様子が見渡せる。メイソンたちが頑張って建てた倉庫にも、人が大勢出入りしているのが見える。

 この何年かで、島は大きく変わった。人口が増えることで治安が悪くなったり、皆の仕事が大幅に増えたり、思わしくない変化もあったが、ジャニはきっと、この島はいい方向に変わり始めていると信じていた。なぜなら、クックやロンが、仲間たちと必死に考えて島をよりよくするために試行錯誤を繰り返し、そのための行動を積み重ねてきたからだ。だから自分も、そのいしずえになりたかった。きっともう、自分にはその力がある。なのに、それを生かせる機会を貰うことができない。ジャニにはそれが、たまらなくもどかしかった。


『ニ……ジャニ……! 私の声が聞こえる……?』


 その時、潮騒に交じって、懐かしい声がジャニの耳に届いた。


「え? だ、誰?」


 慌てて周りを見回してみるが、丘にはほかに人影はない。目の前に広がる海から、穏やかな波の音が聞こえてくるばかりだ。

 気のせいかと思い、草むらに胡坐をかいて座ったジャニだったが、突然女性の声が鮮明に耳に飛び込んできて、思わず飛び上がった。


『ジャニ……! 貴女の島が危ないの……!』

「その声……もしかして、シレーヌ⁉」


 ジャニが再び辺りを見回しながら叫び返す。しかしやはり辺りに声の主は見当たらず、ただか細く震えるような声だけが、波の音と共鳴するように聞こえてくるのだった。

 その声は、ジャニの夢の中で呼びかけてきた声だった。しかし、セイレーンのものではない。昔、ジャニにセイレーンに対抗するための歌を教えてくれた、セイレーンの姉妹であるシレーヌという海の精霊の声だった。二人の声は似通っているため、ジャニはセイレーンの夢を見たのかもしれない。

 声は、途切れたり急に大きくなったり、不安定な聞こえ方で、必死にジャニに訴えてきていた。


『お願い、ジャニ……その眼帯を外して……! これを、見て……!』

「え、眼帯を、外す……?」


 訝し気に問い返しながら、ジャニは恐る恐る右目の眼帯に手を伸ばした。

 心臓の鼓動が速くなる。脳裏に、夢の中で対峙した巨大な狼の姿がちらついた。どうにも避けられない、嫌な予感が這い上ってくる。それでも、繰り返し眼帯を外せと懇願してくるシレーヌの声に、ジャニは意を決して眼帯の紐を解いた。


 右目の視界が開けた途端、それは流れ込んできた。


 飲み込まれそうな金色の粒子。島を覆い隠してしまいそうなほどの大量の金色の粒子が、視界いっぱいに吹き荒れている。荒々しい砂嵐に飲み込まれてしまったかのようだ。

 そしてそれはゆっくりと寄り集まり、島を取り囲む海のほうに流れ始めた。意識を持った巨大な生き物のように海の上に覆いかぶさり、波の動きを再現し始める。

 金色の波の高さはだんだんと高くなり、大きく引き下がったかと思うと、さらに大きな波となって返ってくる。それを何度か繰り返した後、金色の波が、一瞬すべて消えたかと思われた。

 本来聞こえていたはずの波の音も、風の音も、突然消え失せてしまったかのような、静寂。


 ジャニの手が震え始めた。怖い。何か、とても恐ろしいものが、来る。


 遠くから、金色の波が来た。最初それは、大したことのない波の高さに思えた。のろのろと這って進む青虫のような速度にも思えた。しかし、距離が近づいてくるほどに、波の高さは壁のように、速さは息をのむほどに増していく。そしてとうとう島にたどり着くころには、金色の波は想像を絶する脅威となってジャニの足をすくませた。

 水平線が見えない。まるで海全体が立ち上がり、こちらに襲い掛かってくるようだ。島を飲み込もうとする金色の波が、巨人の顎のように目前に迫ってくる。幻の波の音が、空気を引き裂く。耳をつんざく轟音。波が島にぶつかり、天にも届くような波しぶきがあがる。波は速度を緩めることのないまま、淡々と島を飲み込んでいく。

 港が消えていく。帆船が流され、転覆していく。何年もかかって建てた倉庫が、一瞬で流される。みなの住んでいる街が飲み込まれる。訓練所も、広場も、森も、何もかもが、あっけないほどの短時間で、押し流されていく。金色の波がすべてをさらっていく。何もできない。この力に対抗するすべはない。金色の粒子がジャニの視界を、こころを覆いつくしていく。


 今まで、金色の粒子はある特定の人の姿を象ることで、その人物の死を告げていた。だが、今回は違う。この金色の波がジャニに教えていることは、ただ一つ。


 全員の、死だ。


 苦痛に苛まれた絶叫が聞こえる。自分の口から発されているそれを、ジャニは他人のもののように遠く聞いていた。

 右目が、燃えるように熱い。そこから流れ出る涙も、頬を焼くように熱く感じる。めまいが止まらない。吐き気がこみ上げ、ジャニはたまらず丘の上に倒れこんだ。

 遠ざかっていく意識の中で、シレーヌの声が、ジャニの頭の中でこだましていた。


『ジャニ、“ジャーマの聖剣”が、“黒島”から抜き取られたの。聖剣を返さないと、“混沌”が解き放たれてしまう……』


 シレーヌの声も、だんだんと、遠くなっていく。



『赤い月の夜、“混沌”が解き放たれる。そして、海が壊されてしまう。貴女の島も、消えてしまう……。ジャニ、お願い。“聖剣”を“黒島”に返して。私たちの海を、島を守って。

 貴女になら、それができるわ……』






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