迫りくる破滅 6


 他の惨敗した男たちも同じような様子だった。一対一ならともかく、これだけ束になってかかっても負けてしまったみじめさ、そして自分たちより身長も身幅も小さな若い女性に負けたという事実がより一層ショックなのだろう。


「はぁーあ、汗かいてすっきりしたぁ!」


 そんな男たちの絶望を知ってか知らずか、ジャニはさわやかにそう言って、訓練時に身に着ける革製の胸当てを外し、開放感たっぷりに伸びをした。その様子をちらりと横目で見たパウロは、ぎょっとした顔をして勢いよく起き上がった。地面に投げ捨てられた胸当てを拾い上げてジャニに突き付ける。


「まだこれはつけてろよ」

「なんでよ? 暑いからつけたくない」

「いいからつけてろって!」

「うるさいなぁ、なにさ、口うるさい母親みたいに!」

「だって、お前っ」


 そこで言葉を切り、ジャニの胸元を一瞬見たパウロの顔が急に赤くなる。つられて自分の胸を見下ろしたジャニは、「あぁ」と合点がいったように声を上げた。

 汗だくになり、ほぼ半透明になってしまったシャツを透かして、ジャニの小ぶりな胸が形もあらわになっていたのだ。そういえば今日さらしを巻くのをすっかり忘れていたなぁと思いながら、しかし特に気にする風もなく、ジャニは呆れたようにパウロを見た。


「ナタリーのこぼれんばかりの胸は、隠そうともしないでじっくり見てたくせに。私のこんな小さい胸、誰が見るってのよ」

「いいからさっさと着けろ!」


 周りの男たちの視線からジャニを隠すように立ちながら、パウロは顔を真っ赤にして怒っている。やれやれという表情でジャニがやっと胸当てを付けたとき、訓練場にクックとロンが姿を現した。


「ジャニ、さすがだな! いい動きだったぞ」


 クックは嬉しそうにそう言って、ジャニの肩に手をやった。その横では、なんだか憐れむような目でロンがパウロを見ている。クックを見たジャニの顔が、ぱあっと一気に輝いた。


「船長! 見ててくれたの?」

「あぁ、最初からずっと見てたさ。お前、腕を上げたなぁ」


 ジャニを見下ろすクックの顔も、心底誇らし気である。立ち回り方について何事か話し込み始めた二人をよそに、パウロはロンをじろりとにらんだ。


「そんな可哀そうなやつを見る目で見ないでくれませんか?」

「ははは、悪かったよ。君たちのやり取りがあんまりかわいらしくてね」


 ロンは笑いをこらえる様に口元に手をやった。パウロは憤った様子で、ロンに耳打ちした。


「もう、どうにかしてくださいよ! あいつ自分が女だっていう意識が全然ないんですよ!」

「それは今に始まったことじゃないだろう? 八年前なんて、男子のふりをして船に乗り込んでたんだから」

「そんなのずっと前のことじゃないですか! もうあいつは十八歳なんですよ。見た目だってこの島のどの女よりも可愛いのに、あんなふうに無防備でいたら危険すぎますって!」


 パウロの必死な様子に、ロンはとうとう笑いをこらえきれず噴きだした。彼のこの無自覚な過保護っぷりは見ていてほほえましい限りだが、それがジャニへの恋心故とパウロ自身が気付いていないこと、それに輪をかけてジャニが彼の想いに全く気付いていないことが、ロンにとっては歯がゆくてしょうがなかった。


「何がおかしいんですか」


 訝し気なパウロに、ロンは慌てて謝る。


「ごめん、なんでもない」


 一方、クックから褒められて頬を上気させているジャニは、何か挑むような様子で切り出した。


「船長、私、頑張って強くなったよ。航海術だって学んだし、船長が教えてくれた、羅針盤がなくても方角がわかる術も習得したよ。この辺の海域だって、熟知してる」

「そうだな、本当にお前は覚えがいいからなぁ」


 満足げに頷いて見せるクックに、ジャニは瞳を輝かせて詰め寄った。


「じゃぁ、私に船を任せてよ! きっとやり遂げて見せるから!」


 突然、クックの笑顔が消えた。頑なな表情になり、首を振る。


「それは駄目だ」

「どうして⁉」

「お前にはまだ早すぎる」

「早くなんてない! だって、私と同じ歳の時に、船長は船を任されてたんでしょ⁉」


 ジャニの言葉に、クックが気まずそうに視線をそらした。しかし、すぐに「歳は関係ない。お前にはまだ早いというだけだ」と返し、首を縦に振ろうとはしない。

 ジャニの顔が怒りのためか、赤くなった。


「私が、女だから? 女は船長にはなれないの?」


 クックがはっとした顔をした。ジャニの青い瞳が失望に揺れている。


「そういうわけじゃない。ちゃんとお前に見合ったタイミングで船を任せようと思ってるさ」

「そんなの嘘だ! 船長も、みんなも、私が船に乗ることにいい顔しないじゃない。私が訓練に参加することも最初は反対した。女の私が参加しても男たちに勝てるわけがないって思ってたんでしょ? でも今日の訓練はどうだった? 私、一人で勝ったよ!」


 矢継ぎ早にまくしたてて、ジャニは最後、苦しそうに叫んだ。


「やってみないとわからないじゃない!」


 ジャニはふいにクック達に背を向けて走り出した。クックが慌ててジャニの名を呼ぶが、彼女の足は止まらない。丘へと続く森の中に消えていったジャニの後姿を見送り、クックは困ったように頭をかいた。


「あいつはなんであんなに焦ってるんだ?」

「一日でも早く、お前に認めてほしいんだろうよ。お前は、あの子の憧れだからな」


 ロンが諭すように言う。クックは少しこそばゆいような顔をして、はぁとため息をついた。


「ちゃんと認めてるさ。現に、あいつはそこらの男より強いし、頭がいい。あいつが劣ってるだなんて思ったことねぇよ」

「じゃぁなんで、船を任せようとしないんだ?」


 ロンはずっと気になっていたことを尋ねた。ロンとしては、もうジャニに船を任せてもいいのではないかと思っていたのだ。ジャニはとっさの判断力にも優れているし、リーダーシップもある。日々訓練をともにしている男たちなら、彼女のことをただの女と侮っていうことを聞かないということもないだろう。そういうことを一番わかってそうなクックが、しかしゴーサインを一向に出そうとしないことに、ロンも疑問を感じていた。

 クックは悩まし気に眉をひそめた。


「船長ってのは、戦闘能力が高くて、航海術が身についていればなれるもんでもないだろう。あいつは、船長になることがどれだけ辛いことか、わかってねぇんだ」

「そうか、要はお前は、ジャニにその辛さを味わわせたくないってことだな。誰かさんに負けないくらい、過保護なことだな」


 ちらっとパウロを盗み見て、ロンが意地悪く言う。パウロはそれに気づかず、心配そうにジャニが消えた先を見ていたが、「俺、ちょっと様子見てきます」と言って足早にその場を離れた。

 クックは動揺した様子で、無精ひげの生えた顎を撫でまわしている。


「俺が、過保護だと? そんなわけ……」


 ない、と言い切ろうとしたクックの口が、自信なさげにもごもごしている。ロンはそんな彼を見て苦笑した。


(まるで、娘に手を焼いている男親のようだな)



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