迫りくる破滅 5
(あぁ、嫌だ嫌だ)
パウロは大きくため息をついた。
彼は今、港の近くに設置された訓練場にいた。もともと積み荷などを運び出したりするための場所だったので、ここには滑車や取り残された樽などが乱雑に置かれている。船内を想定して手合わせができるため、それらの障害物はそのままこの訓練場に残されていた。
そんな広場の真ん中に、険しい顔をしたジャニが身構えて立っている。彼女の大きな青い目はキッと吊り上がっており、細身の体には闘志がみなぎっていた。そして、彼女を取り囲むようにして手に手に得物を持ち身構えているのは、“翼獅子号”の若手たち十人余り。
右目に大きな眼帯をして男装をしているとはいえ、ジャニは同い年の女性と比べても細身で華奢だ。そんな彼女を大の男が十人以上も取り囲んでいるこの状況は、傍から見たらか弱い女性が大勢の男たちに襲われそうになっている図に他ならないだろう。
しかし、この状況を望んだのはジャニ本人だった。
「今日は私が一人で全員の相手をする。一斉にかかってきな」
そう言って不敵にほほ笑む彼女の顔を見て、パウロは背筋がうすら寒くなった。その顔がクックの笑顔と重なって見えたのだ。そして、彼女の闘志に少なからず苛立ちが含まれていることにも気づいた。先ほどのナタリーとの会話が原因だろうなと推測する。
(一番乗りはやめておこう)
パウロの思いとは裏腹に、ジャニを取り囲んでいた男たちは一斉に武器を振り上げて彼女に襲い掛かっていた。パウロは思わず片手を目元に掲げて目をすがめた。ジャニを案じての行為ではない。その反対だった。
ジャニの体ががくんと沈み込んだかと思うと、その体が驚くほどの速さで最初に襲い掛かっていた男の股下をすり抜けた。標的を見失って一瞬の隙ができた男の後頭部に、ジャニの鮮やかな回し蹴りが炸裂する。男がもんどりうって倒れこむ。次なる相手がジャニの顔に木刀を振り下ろすが、逆にその腕を取られて勢いそのままに放り投げられた。
両脇から同時に殴り掛かった男たちは、ひざを蹴り飛ばされ折り重なるようにして倒れ、彼女の腕をとった男は反対に腕をひねり上げられ絶叫しながら
ジャニは武器一つ持っていないのに、その華奢な体に傷一つ与えられることなく、男たちが次々と倒されていく光景は圧巻だった。ジャニは最小限の力しか使っていないが、相手の勢いを利用して驚くほど柔軟な動きでその力を
(あぁ、こんな恐ろしい術を教えるなんて、ロンさん、あんたを恨みますよ)
パウロは思わず心中でそう嘆いた。
八年前、クックのように強い海賊になると心に決めたジャニは、しかし、当時は戦闘力ゼロのか弱い少女だった。
少しずつでいいから、強くなりたい。ひたむきにそう願う彼女に、ロンは自分の生まれ故郷の国に伝わる武術を教えた。その武術は、力も弱く、華奢な彼女に非常に合っていた。自分を守るための力は必要だろうと、ロンも熱心にジャニにこの武術を教え込んだ。そして、ジャニはめきめきと腕を上げ、最終的にはロンの想像をはるかに超える速さで習得し、もはや師匠も手こずるほどの熟練者となってしまった。
ロンだけではない。ジャニをかわいがる“翼獅子号”の仲間たちは、こぞって彼女に戦闘術を教えこんだ。
ジャニよりも身長の低い小男であるグリッジーは、力がなくとも急所を的確に狙えば相手を倒せる、短剣の技を。
クックは喧嘩の立ち回り方、不意の付き方を。
そしてクックの妻であるルーベルは、自身の得意とする短弓の技を。
結果、それらをスポンジのように吸収したジャニは、向かうところ敵なしの強い女子に成長した。というか、してしまった。パウロにとってそれは、思わしくないことだった。
(俺が、あいつを守るはずだったのに)
八年前の旅を経て、パウロはある決心を胸に抱いていた。
強い海賊になって、いつかクックのような船長になってみせると公言するジャニを、では、俺がそのさらに上をいく強さでもって守っていくのだと。彼女が船長になるのなら、俺は有能なクォーターマスターとなって、彼女の右腕となり島を守っていくのだと。
だからこの八年間、パウロは必死で体を鍛え、武術に励んできた。幸い、身長はぐんぐん伸びて、今では仲間内でも高身長な部類に入るほどになった。
だが、戦闘力においてはジャニのほうが天賦の才があった。最初は体格差や男女の力の差もあって、ジャニとの手合わせで負けることはなかったが、そのうちパウロが負けることが多くなった。自分の体に合った術を吸収し、持ち前の運動神経とセンスでそれらを自分のものにしていく彼女に、パウロは見る間に追い抜かされてしまった。
しかもジャニは頭もよく、クックの教える航海術や操船の術も習得し、着々と船長になる道を歩んでいた。どんどん遠ざかっていくジャニの背中を追いかけながら、パウロは日々募る焦燥感に身を焦がされていたのだった。
(今日こそは、負けるわけにはいかない!)
胸の内でそう強く思ったとき、鋭い蹴りがパウロのこめかみめがけて飛んできた。
「なに、ぼーっとしてるの!」
いつの間にか、パウロ以外の男たちを全員倒したジャニが迫ってきていた。慌てて腕を上げて蹴りをガードし、反対の腕でジャニの胴に突きを入れる。ジャニはそれを鮮やかにかわし、素早い動きで突きと蹴りの連打を浴びせてきた。
急所に的確に入ってくるそれらをパウロは寸前ですべてはじき返し、一気に間合いを詰めて渾身の蹴りを繰り出した。ジャニは両手を体の前に持ってきてその蹴りを防いだが、勢いを殺せず後ろに吹き飛んだ。軽やかに宙返りをして体勢を整えたものの、ジャニの表情からは余裕が消えている。さすがに十人以上の男たちを相手にして息が上がっている様子だ。
(これは、勝てるかも……!)
パウロはいつになく手ごたえを感じて胸を躍らせた。そうだ、普通に考えたら、高身長で筋肉もそれなりについている自分が、ジャニに力負けをするはずがない。訓練では、地面に背中がついたら負けである。だったら、彼女に腕をとられないように注意して、接近戦で力押しすれば勝てるかもしれない。彼女がひるんだ一瞬の隙に、腕を取ってこちらが投げ技に出るのだ。
勝機を見出したパウロは、そこから一気に攻めに出た。ジャニが攻撃に出る隙を与えず、矢継ぎ早に突きと蹴りを繰り出す。パウロの高身長から繰り出される攻撃は重く、ジャニは防御に徹しながらも、だんだんと後ろに追いやられていく。
樽が乱雑に積まれた一角に追い込まれたジャニが、焦ったように後ろを盗み見た瞬間、パウロはすかさず彼女の腕をがしっとつかんでいた。
(取った!)
パウロが勝利を確信した、その時だった。
突然、腕をとられたジャニの体がぐんと沈み込んだ。引っ張られて前のめりになったパウロの首に、ジャニの両足がしなやかに伸びてきて巻き付く。
頬に押し付けられた太ももの柔らかい感触に息をのんだ次の瞬間、パウロの視界はひっくり返り、気が付いたら地面に大の字になって寝そべっていた。
「私に勝てると思ったでしょう! おあいにくさま。手加減しないって言ったでしょ?」
勝ち誇った顔でジャニが見下ろしてくる。パウロは両手で顔を覆い、言葉にならないうめき声をあげた。負けて悔しいうえに、なんだか一瞬ときめいてしまった自分に腹が立ち、まともに彼女の顔を見ることができなかった。
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