迫りくる破滅 3


「うぅぅむ」


 書類の山が乱雑に積みあがっている机の奥から、悩まし気な唸り声がする。


「ぬうぅぅぅぅん」


 唸り声はどんどん大きさを増していく。その声の主は、重厚な木製の作業机に突っ伏して頭を抱えていた。小麦色の長髪を赤いバンダナでまとめ、見事に引き締まった体に白い麻のシャツをさらりと羽織っている。

 がしがしっと両手で勢いよく頭をかきむしると、その男は勢いよく顔を上げて腹の底から吠えた。


「ぜんっぜん終わらねぇぇぇ!」


 彼がこのバルトリア島に拠点を多く海賊団“翼獅子号”の船長、クック・ドノヴァンである。類まれな航海術と戦闘力を持ち、ずば抜けたカリスマ性で海賊たちを従えてしまう、このあたりの海では知らぬ者のいない凄腕の海賊なのだが。


 その精悍な顔は疲れ切っており、明るいオリーブ色の目の下にはくっきりとクマができていた。船の上の彼からはついぞ見られたことのない様相だ。


「今、何か泣き言が聞こえたかな?」


 その時、クックのいる部屋のドアが開いて、両腕に書類の山を抱えた長身の男が入ってきた。背中まである長い黒髪を襟足でくくり、胸元で襟元が交差する変わった服を着ている。白く艶やかな顔は柔和な笑みを浮かべていたが、その切れ長の目は笑っていなかった。


 彼はクックの右腕であり相棒でもある、翼獅子号のクォーターマスターで、名をロンという。

 素晴らしい医術の腕を持っているので、船医としても活躍する男だ。いつも冷静沈着、頭脳明晰、さらに世界中のことに精通している博識な男で、一味が危機に瀕したとき、あっと驚くような戦法で形勢を変えてくれる、翼獅子号にはなくてはならない存在である。


「お、おい、まさかそれ、ここに置くんじゃないだろうな」


 ロンの腕にある書類に気付いたクックが、おびえたような声を出す。ロンはさらに笑みを深めると、足音荒く机に近づいて、手に持っていた書類を勢いよく机に置いた。


「そのまさかだ」

「おい、鬼かお前は! まだこんなに残ってるだろうが! 俺はもう三日もろくに寝てないんだぞ!」

「それは誰のせいでしたっけねぇ。早急に確認しなきゃいけない書類をほっぽって、私に黙ってこっそり船出した、どこぞの阿呆な船長のせいじゃないですかねぇ」


 冷え切った視線を向けてくるロンに、クックは視線をそらして気まずそうに返した。


「だってよぉ……最近書類仕事ばっかりで、全然船に乗れてなかったから……つい」

「つい、じゃない! お前が急にいなくなって、島は大騒ぎだったんだからな! 色々な案件が滞った結果が、これだ!」


 笑顔を引っ込め、怒り心頭の表情で、ロンはバンッと書類の山をたたいて見せた。


「タウルズの商船からの護衛依頼、港の拡大計画、倉庫の増築、その他もろもろ、お前が書類に目を通さないとことが進まないんだからな! 今日中に確認してもらうぞ」


 喉元まで拒絶の言葉が出かかったクックだったが、ロンの殺気のこもった冷たい視線を浴びてしぶしぶ口を閉ざした。


 八年前、セイレーンとの死闘を終えてバルトリア島に帰還したクックは、新たな決意を胸に抱いていた。


 バルトリア島を、島にいる皆を守っていきたい。この激動の大航海時代、こんな小さな島を守っていくためには、それなりの備えをして知恵を絞っていかないと、大国同士のもめごとや略奪者の手にひねりつぶされてしまうだろう。


 クックとロンを筆頭に、翼獅子号の船員たちは頭をひねり、そしてこの八年、いろいろと行動に移してきた。


 最も重要なのは、島を発展させることだった。しかし、バルトリア島は石灰岩が隆起してできた島で、川や山がなく、野菜や植物などは育てにくい。これといった特産品もなく、あるのは酒場や娼館などのいかがわしい建物ばかりである。そこでクックは、港を拡大することを思いついた。


 バルトリア島の近海は、多くの国の船が行き来する。つまりは、海の交通の要の場なのだ。


 今まで海賊の住みかとして敬遠されていたバルトリア島が、港を拡大し、一般の商船にも開放するとなれば、寄港する船は少なくないだろう。そこで、クックが目をつけたのがタウルズの船だった。


 タウルズは、エンドラの広大な国土に飲み込まれる寸前のような形で位置している小国だ。エンドラの長きにわたる圧政からやっとの思いで独立を果たした国で、この立憲君主制の大国が並ぶ中、真新しく共和国という形を樹立させていた。

 ほかの国々より早く貿易会社を設立し、旧大陸の東に位置する国々とほぼ独占的に交易を行っていたタウルズは、小国とはいえ、侮ることのできない立ち位置を獲得していたのだ。


 クックは、そんなタウルズと交易を行うことを望んでいた。そして、タウルズから出港する商船が頭を悩ませているであろう事柄に気付いていた。


 以前、旧大陸の大判の地図を壁に吊り下げ、クックは仲間たちに説明してみせた。


「いいか、タウルズの奴らが東の植民地に向かおうとしたら、本来だったら一番早い航路は、センテウスとバルトリア島の間にあるヴァレー海峡を通るのが早い。だが、奴らはわざわざイグノアの外側を遠回りするルートを選んでいる。二週間近く航海期間が延びるのにだ。セバスチャン、なぜだかわかるか?」


 クックに指名された赤毛の男は、自身の丸く突き出たお腹を無意識に撫でまわしながら肩をすくめて見せた。


「俺たちが怖いからですかい?」

「違う。奴らが恐れてるのは、ヴァレー海峡のこの複雑な潮流だ」


 クックは地図上のヴァレー海峡を指さして見せた。


「この海峡はかなり潮流が速いのと、東西二つの潮流が流れ込むだいぶ特殊な場所なんだ。俺たちは自分の庭みたいに知り尽くしているから問題なく航行できるが、この海峡に慣れていないタウルズの奴らはひとたまりもないだろう。きっとすぐに座礁しちまう。しかも、潮流の問題をクリアしたとしても、今度はこいつが問題になってくる」


 そしてクックが指さしたのは、旧大陸の西に位置する島国、イグノアだった。


「タウルズの奴らがイグノアの外側を迂回して航行するのは、イグノア東海岸あたりにいる海賊どもを警戒してのことだろう。前まではイグノアとタウルズには国交があったが、今は関係がきな臭くなってきてる。イグノアが大量に抱えている私掠船の奴らが、交易品を山ほど抱えているタウルズの商船を見逃すはずがないからな。こんな近くを通ったら狙い撃ちされるだろう、だから迂回せずにはいられないんだ。そこでだ」


 クックは皆の注目を集めるため、人差し指をぴんと立てた。


「俺たちがタウルズの商船を護衛してやるのさ。イグノアの海賊と、ヴァレー海峡の潮流から守ってやるためにな」

「護衛だって⁉ 俺たちがか?」


 心外だという顔をする仲間たちに、クックはにやりと笑って見せた。


「もちろん、護衛のお代はしっかりいただくぜ。ついでに、このバルトリア島まで誘導してやって、交易品のおこぼれを貰う。それで、だんだんとつながりができてきたら、本格的に交易の中継地点にこの島を使ってもらえれば、そこから自然に港は発展するはずさ」





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