彼方の星の紅月妃【改稿版】

文月 澪

第1章 邂逅

第1話 白昼夢

 気がつけば、どこまでも続く見渡す限りの大草原の中に、少女はひとり佇んでいた。空は青く澄み渡り、さわさわと風が頬を撫で、草の香りが鼻をくすぐる。肩で揃えた散切ざんぎりの黒髪がなびいて、空を仰いだ。


 あぁ、夢を見ているんだなと、少女は何の感慨も無く思う。


 ふと視線を感じ振り返ると、見知らぬ男性が一人、静かに微笑んでいる。二十才くらいだろうか、均整のとれた長身に金の髪と青い瞳。映画俳優のような容姿に少女は思わず見惚れ、しばしの沈黙に見つめ合う。


「佐伯 花子さん、一月四日生まれの中学三年生十五才。お間違いないですね?」

 

 滑舌良く、手にしたファイルを確認しながら問う姿は事務的で、一気に現実味を帯びた。

 

 夢だと分かっているのに現実的という違和感に、少しの混乱が生じる。これが明晰夢めいせきむと呼ばれるものだろうか。反応に困っていると、今度は強めに確認され、少女は慌てて首を縦に振り応える。


 イコナと名乗ったその男が満足げに笑い、指を鳴らすと簡素な椅子が二脚と、丸いテーブルが現れた。よく庭に置いてあるような物、と言えば分かりやすいだろう。イコナはもう一度指を鳴らしティーセットを出すと、紅茶を注ぎつつ座るように促してきた。


 少女が席に着くと、二人分の紅茶を淹れたイコナは向かいに座り、事務的に説明を始める。なんだか面接でも受けているような気分だと、他人事のよう感じた。


「まず最初に、既にお気づきかと思いますが、ここは貴女の夢の中です。貴女の身体は現在休眠中のため、夢という形で意識に干渉しています。ですから何ら怖がることはありません。落ち着いて話をお聞きください」


 まるで声優のような澄んだ声で、イコナは言う。しかし、夢に干渉とは、SFが過ぎるのではないだろうか。これは今の生活から逃げたいという、少女の願望の産物なのかもしれない。


 願っても叶わない思いに自嘲しながら、静かに耳を傾けた。


「さて本題ですが、貴女にリンゼルハイト銀河連合、協定議会より任務が課せられました。これは拒否することが出来ませんが、その対価として報奨金が支払われます。前金として連合レートで五万ジード、これは日本円に換算して約五百万に相当します。それに加え月に一度、現地レートで一万ダルフを活動費として支給。こちらは日本円で十万円ほどです。あちらは物価が安いので、十分な生活が可能でしょう」


 そこで一度顔を上げ、柔らかく微笑みかける。随分と設定が細かい夢だ。そういえば、と少女は思い出す。昨日読んだ漫画がまさにSFモノだった。異星人の生まれ変わりが、地球でまた巡り合うという物語だ。


 どこかふわついた頭で、心地の良い声に浸る。

 

「これらの資金は技術の取得、支給品の購入に使用できます。任務地は六十七太陽系第四惑星オルド。任務内容はオルド各地を巡り、資源や生息動物などのデータベースを構築する資料を収集する事です。現地投下に際してインベントリ・リングをお渡しします。このリングを経由して現地での収集品をお送りいただくことで、データの分析、登録ができますのでご活用ください」


 だが続く言葉に、ただの夢とは言い難い違和感を覚えた。インベントリは異世界転生のお約束ともいえるチートだ。しかしそれを使って物のやり取りができるのは珍しい。データの解析も、やはりファンタジーよりSF色が強い。自分にそこまでの独創性があったのだろうか。


 最近は異世界転移や転生モノが流行りだが、少女はあまり好みではなかった。突然現れる神、過度に与えられるチート、何故か女性ばかりの登場人物達。どちらかと言えば苦手、有体ありていに言えば忌避きひしていた。

 

 まるで、自分の願望を見せつけられているような気持ちになるのだ。誰であれ、主人公を夢見る。皆に愛され、好意や厚意を一身に受ける、そんな存在。その欲をご都合展開で発散する、ある種の自慰行為のように見えてしまう。そしてそれが流行るのは、そう考える者が多いからだと。


 この夢も、そういったものだろう。夢とは、記憶の整理だと言われている。過去の経験を処理する事で、いわば脳の容量を眠っている間に最適化するのだ。そのため睡眠の重要性が提唱されている。もちろん、直前の行動が影響したり、時には悪夢となって現れ、己の力でどうにかできる物でもないのだが。


「オルドまでの移動時間で、現地環境適応のための生体再組成を行います。現在実行中で、先程休眠中と言ったのはこのためです。現地についての基本的な知識もインストールされますので、言語などの心配は必要ありません」


 また加わるチートに、少女は鼻で笑った。あまりにも都合がよすぎる。これだけの待遇で、いったい彼らになんの利があるのか。

 

「現地ではセトア・コオの戸籍を使用してください。戸籍といっても情報伝達が未熟な惑星なので、これといった行動の制限はありません。この少女は、森の中で遺体として発見した個体です。そのため、遺骨などから採取された少量のDNAを用いて再組成を行うため、記憶の移植は不可能となります。万が一、知人などに出会った場合は面倒な事態も予想されますので、ご注意ください」

 

 なるほど、と少女は思う。生物の誕生には、液体の水、有機物、エネルギーが必要だというのが定説だ。けれど、少女は疑問に思っていた。宇宙は広い。現状では地球以外に生命はいないとされているが、それはこの定説に準じたものでしかない。兆を超える惑星の中では、地球上に存在しない物質もあるのではないか。例えばオリハルコンやミスリルも、もしかしたら実在するのかもしれない。


 それが少女の考えだった。地球だけが、神に愛されし生命の惑星など片腹痛い。そんなものは、ただの選民意識だ。イコナが言うように、宇宙には生命がありふれたもので、その星独自の進化があって当然だろう。だから体の創りも違うはずで、再組成も頷けた。


 それに対し、記憶は物質とは言い難い。現代においても、感情や心など、個人を判別するものが何なのかは分かっていない。心臓移植をしたら食の好みや性格が変わった、知らないはずの町を熟知していたなどの報告もある。心は脳にあるのか、心臓にあるのかも、長い間議論が絶えない。神経を伝わる電気信号だとも言われているが、ならば家電などに使う電気と何が違うのか。遺伝子でさえ他の動物、例えばチンパンジーとはたった2%しか違いがないというのに。


「また、任務において一切の生命の保証は致しませんのでご了承ください。以上です」


 右から左へ流れて行っていた声が、急に攻撃力を上げた。生命の保証はしない、つまり勝手に選んだくせに、死んでも責任を負う気がいと断言したのだ。夢とはいえ、それはあまりに無責任ではないのか。


 「……ちょっと待ってください。命の保証はしない? どうりで都合のいい話だと思った。夢とはいえ馬鹿らしい。聞いて損した」


 少女は溜息を吐き踵を返す。その反応を見たイコナは途端、それまでの天使の如き微笑みを引っ込め、わざとらしいほどに盛大な溜息を吐いて、綺麗な顔を歪め侮蔑の眼差しを突き刺した。それは氷のように冷たく、鋭利だ。


「ちっ、これだから猿は……」

 

 そこで少女の意識はブツりと途切れ、暗闇に包まれた。

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2024年11月30日 17:30
2024年12月1日 17:30

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