あたしは魔女にはならない:4
思わず陶子は彼女の方をみた。逆光で黒く、表情はわからなかった。
「あたし、同じ勉強机を使ってました。この、机についてるふたつの引き出しは浅いつくりだから、入れるものをよく考えなきゃいけないんです。昔、せいくんともそういう話をしたことがありました。もしかして、とは思ったけど」
「……そう。うちは学習机を買いに行くのが遅くなってしまって、慌てて近所を見て回ってね。そうしたら、もうこれとあと一種類の机しかありませんって言われたの」
「うちの家もそんな感じでした」
「同じ地域に住んでいる同世代だものね。被るのはおかしくないわ。……青磁はね、ここの引き出しがカギがかかるからって選んだの。かっこいいって」
あの時の青磁はどんな表情だったっけ。
陶子は自分の腰くらいしかなかった頃の青磁の輪郭を描こうとした。小学生くらいの輪郭。名前のない少年の髪型だった。アイカワの左手が机のふちを伝っていく、鍵のついた右側の引き出しの前で止まった。
「あたしが遺書を置いておくなら、ここです」
アイカワは右手の親指を引き出しの側面に乗せ、残りの四本で引き出しを開けようとした。あかない。
「そこの鍵はどこかにしまい込んでしまったのか、見つからないの」
青磁は自殺だったんじゃないか。
出かけた場所も、出かけた人も、なにもかも嘘だったから。けれどそれを口にするのが恐ろしかった。
出かける直前にほとんど言い逃げのようにして青磁がアルバイトをやめたと聞いたとき、悪寒がした。身辺整理。けれど、淡島青磁は滑落事故で死んだことになった。
だって自殺だと決定づけるものもない。
日が陰ってきた。
爪先に影がぶつかってきて、なんとく陶子は足を引いた。手は尽くした。青磁の自殺を証明もできない。
けれども青磁は自殺ではなかったと証明することもできない。
アイカワは引き出しのシリンダーをじっと見つめていた。くるりと指の腹で形を確かめてから、アイカワはジャケットのポケットから銀色の小さな鍵を取り出した。
「同じ規格なら、使えるかもしれないです」
小さな銀色の鍵は抵抗なく鍵穴にささった。声にも言葉にもならない長い呼吸が聞こえた。学習机の右の引き出しは人差し指一本であけることができた。引き出しは軽く、人差し指一本で、弾むように空いた。
便箋が入っていた。
白い、便箋だった。
味気のない無地のレターセットだった。
アイカワがゆっくりと両目を閉じた。唇は青紫だった。西日が緩やかに壁を茜色に染めている。アイカワの閉じられた両目の睫毛の生え際がきらきらと光っていた。
陶子は立ち上がり、引き出しの中からレターセットを取り上げた。
それらは几帳面にクリアファイルに挟まっていた。
「……ここにあったのね。だから、見つからなかった」
一番上に重ねられている封筒を確認する。便箋の代わりに何かが入っている。白い封筒の向こうで、写真がうっすらと透けていた。宛先を黙読する。藍川陽花様。すこし角張って左側に伸びた文字。これは青磁の文字だ。小さなメモが挟まっていることに気が付いた。誰かの住所と、宛先。下に記名された文字を見て息をのんだ。
同じように便箋も一枚一枚確認する。
ほとんどが白紙だった。
でも一番下に、隠すように重ねられた便箋にだけ文字が書かれていた。
ごめん。
あとはただ罫線がつづいていた。その先に書く言葉を探していたのか、書くのをやめてしまったのか、わからない。ひとつだけ確かだった。
これは遺書ではない。
「あなたは誰なの?」
返答はない。彼女は、渡紫穂ならそう名乗ればいい。なのに、なぜ。
「……あたしは、自分の名前が嫌いでした。だから自分で自分に名前を付けました。それが
クリアファイルの中身を机の上に並べていく。便箋と封筒のセット。渡紫穂の住所。これは青磁の筆跡だ。封が切られた郵便封筒を取り出すと、アイカワの目が伏せられた。どこでにも売っている封筒だった。ただ切手も印もなにもないまっさらな封筒だった。宛名は淡島青磁。知らない筆跡だった。ひっくり返して送り主を確認すると、
「あたしは、小さな賭けをしたんです。ひとりで、一方的に、淡島青磁くんに」
アイカワは郵便封筒を手に取った。ひっくり返して中身を取り出す。小さなメモ用紙だった。ペンケースに入るくらいの小さなメモ。陶子はそこに書かれた文字を黙読した。
淡島青磁くんへ
あなたのことがずっとすきです
紫色の小さな花と白くまがデザインされている。その白くまは雑貨屋でもよく見かけるキャラクターだった。
「渡紫穂は、アイカワハルカです。でも、アイカワハルカは渡紫穂だとはいえません。あたしは……紫穂の作った虚構です。あの頃の紫穂には魔女が必要だったんです。学校や友達と上手くやる魔法を授けてくれる紫穂だけの《魔女》が。なんでもできる理想の誰かが必要でした」
アイカワハルカは曖昧に笑った。
「あたしは魔女になれなかったけど」
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