第6話 大団円

 しかし、それも少し違っているような感じがした。

 何やら、彼らの身元はすぐに分かり、彼らの身辺調査は開始されたが、どうやら、心中の片割れだった彼女と、生き残った犯人と目される人は、

「何も関係が見えてこない」

 ということであった。

「どういうことなんだ?」

 被害者の身元がすぐに分かったのに、それなのに、その二人の接点が見えてこないというのは、いかにもおかしいではないか。

「影に誰か、あるいは、組織のようなものがあって、やつらは、身元がバレても構わないが、それは二人に接点がないということを知らしめるためだったということになるのであろうか?」

 と捜査本部では考えていた。

 そして、犯人ともくされる主犯格の方は、

「飲んだ毒が致死量ではなかった」

 というところに、この事件の特殊性があるのだった。

 そうなってくると、

「本当にこれって、心中なのだろうか?」

 という、

「まさか」

 と思われたことが、まんざら嘘ではないということになるのかも知れない。

 それを考えると、

「われわれ警察は、本当に、真犯人グループの手のひらの上で踊らされている」

 ということになるのかも知れない。

 そんなことを考えていると、

「今回の事件では、一人の女が死んだだけで、それ以外には死人が出ていない」

 ということであった。

 それなのに、同じ地域で、不思議な殺され方をした死体が、腐乱の形で見つかるというのも実におかしな現象だ。

 そんなことを、警察署の上層部は思っていた。

 現場で捜査をする人たちにとっては、

「他でそういう事件が起こっているということは分かっている」

 ということなのであろうが、しかし、捜査をする人たちにとっては、そんなにまわりばかりを見ているわけにはいかないからであった。

 特に、近くではあるが、管轄違いの事件にまで、気を配ることはないからであった。

「今回の誘拐事件は、狂言だったかも知れないが、ひょっとすると、目に見えない誘拐事件というものが、他でも起こっているのかも知れない」

 と、門倉刑事は考えるようになった。

 今回の事件は、

「そのカモフラージュのために、起きた事件ではないだろうか?」

 という考えで、この考えは、

「あまりにも突飛な考えではないか?」

 と思えることであったが、果たしてそうなのだろうか?

 突飛と言えば突飛だが、それよりも、

「誘拐事件というのは、やはり目的は、身代金だよな」

 と思うのであった。

 そんなことを考えていると、病院から連絡があり、

「危篤状態であった男の意識が戻った」

 というのだ。

 門倉刑事は急いで病院に向かう。

 医者からは、

「事情聴取をしてもかまいませんが、時間は限らせてください」

 ということで、まだまだ彼は、病み上がりで、

「重篤状態から抜けただけ」

 ということなのだということを承知した。

 その男に、

「どうして心中などを?」

 と聞くと、

「僕が心中ですか? そんな相手もいないんですよ」

 というではないか。

 そして、女性の生前の写真を見せると、本当に誰なのか分からないと言った様子で、評定をゆがめた。

「この男、本当に分からないんだ」

 ということで質問を変えてみたが、どうにも要領を得ない。

 しかも、西園寺家のことを聞いてみたが、それも知れないという。

「さすがにそれはおかしい」

 と思い、事情聴取が終わって先生に聞いてみたが、

「やはりそうですか」

 という。

「どういうことですか?」

 と訊ねると、

「どうも、記憶喪失っぽいんですよ。ただ。基本的なことは覚えているんですが、何か肝心なことになると、覚えていないという感じの、都合のいい記憶喪失になっているんですね」

 ということであった。

「そんなことあるんですか?」

 と聞くと、

「ええ、若干あるようなんですよ。この場合は、他のすべてを忘れている人であれば、何かのきっかけですぐに思い出すということがあるんですが、こういう中途半端に引っかかっている人は思い出せないらしいんですよ。しかも、それが、催眠だったり、何かの薬によってであれば。余計にそうのようで、催眠などでは、掛けた人が解かなければ、永遠に解けないとかいう伝説めいたものがありますが、この場合などはそうだという話があるくらいなんですよ」

 と、医者らしからぬ話を聞かされて、門倉刑事はびっくりしていたのだ。

 彼の身辺を捜査していると、

「どうやら、数か月前から、定期的に百万円単位の鐘が振り込まれているようなんです」

 ということで、その振込先を探したが、それが、

「幽霊会社」

 ということであり、そこから探ることはできなかった。

 すでに数か月前から、その口座は閉じられていて、男への振り込みも、三か月前に終わっているということであった。

「これは、何かの報酬ということでしょうかね?」

 と、彼をさらに探ってみると、

「以前、警察に捕まりかけて、それが冤罪であるということを証明されて、釈放になっていますね」

 ということであった。

「逮捕歴はあるが、起訴をされていない。しかも、あとになって別の犯人が見つかったということで、彼はその時、社会的な立場を失って、仕事も家族も失ったようですが、すぐに、別の会社に勤めているようですね」

 という。

「何かつてでもあったのかな?」

 ということであったが、

「それはないようです」

 というので、さらに調べてみると、

「その会社は、その男と同じように、社会的な制裁を受けた人の駆け込み寺のようになっているようで、彼らは、そこで結構いい暮らしができていた」

 ということでした。

 それを踏まえて捜査していると、例の、

「腐乱死体の身元が判明し調べていると、共通点は、その会社だった」

 ということである。

 ただ、それだけでは、その会社が、何かの秘密を握っていると言えないだろう。

 警察はそこまでたどり着いたが、そこから先が闇に包まれている。

「ここまで分かっているのに」

 ということで、警察は困惑しているのであった。

「これは、完全に警察に対しての挑戦だ」

 とは思ったが、実際にその会社が、煙のように消えてしまっていることから、捜査のしようがなかったのだ。

 ただ、その会社が、何かの詐欺を行っていて、そこから資金を得ているということは分かった。

 ただ、そこから先が闇に包まれているのだった。

 門倉刑事は、

「そこに、西園寺一族が絡んでいる」

 と睨んでいたが、だからと言って、何かの証拠があるわけではないので、捜査のしようがなかった。

 おまけに、

「警察や公安、検察にも手を回すことができるので、手出しはできない」

 ということになる。

 それでも、実際に、証拠がないだけで、見えている部分から推理をすれば、完全に結びつくといってもいいのだ。

 つまり、

「状況証拠だけしかない」

 ということ、

「起訴するのに必要な、物証がまったくない」

 ということになるのだ。

「まるで詐欺のようではないか?」

 と門倉刑事は思い、それこそ、

「地団駄を踏むとはこのことだ」

 と感じたのだ。

 そして、一つ考えたのが、

「詐欺グループ会社結成は、何かのきっかけであり、彼らには壮大な何かの企みがあり、そこには、段階がある」

 ということであった。

 つまり、

「詐欺会社を作って、そこに、故意なのか、それとも、冤罪事件に遭った人間を探して、仲間に引き入れるというやり方が、第一段階であり、そこから、詐欺を行い資金を得て、それを彼らに幾分か還元することで、何か犯罪の実行部隊に仕立てるような、一種の教育を会社ぐるみで行っていたのかも知れない」

 と思えた。

 それを第二段階とすれば、

「例の殺された連中は、他に恨みを買って殺されたと捜査していたが、実際には、その組織を裏切るか、あるいは、良心の呵責か何かに苛まれて、組織から抜けようとして、闇に葬られたのかも知れない」

 といえる。

 そして、それをわざわざ警察に見つけさせたのは、

「今も、他に会社を作って、似たようなことをしている連中に、裏切ればどうなるか? ということを示そう」

 という考えがあるのかも知れない。

 だから、ある程度のところまできて、

「死体を発見させる」

 ということにしたのだろう。

 もちろん、その中には、

「誰かの復讐のために殺された人」

 という、グループのターゲットもいることだろう。

 警察には、そこまで分からないはずだという犯人グループの思いがあるのかも知れない。

 いや、

「もし分かったとしても、バックには、西園寺グループが控えているのだ。警察に何もできるはずもなく、それどころか、警察に何もできないということを、世間に暴露し、警察を愚弄するだけではなく、自分たち組織の駒の連中に、警察は当てにならないということを思い知らせる」

 という、一石二鳥の考えがあったということだろう。

 結局警察は、彼らに何も手を出すことはできず、地団駄を踏むしかない。

 今は完全に、

「西園寺グループに敵うわけはない」

 ということであった。

 しかし、それは、

「今だから」

 ということで、結局これは、

「サイバーテロ」

 による、コンピュータウイルスの研究のように、

「いたちごっこ」

 のようなものであり、それが結局、東西冷戦時代にあったと言われる、

「核開発競争」

 つまりは、

「抑止力」

 のようなものなのかも知れない。

 ただ、これが抑止力になるのかどうか分からないが、

「正義は必ず勝つ」

 といえるかどうか、結局は、歴史が答えを出してくれるのを待つしかないのだ。

 しかし、それが

「いたちごっこ」

 という堂々巡りを繰り返している限り、本当にそうなのかということは、誰にも分からないのではないだろうか?


                 (  完  )

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いたちごっこの堂々巡り 森本 晃次 @kakku

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