第5話 狂言の末
そんな西園寺グループには、
「表からでは決して見えない」
という
「企業締結」
のようなものがあった。
そこで、どのような取り決めが行われているのかというのは、西園寺グループの、顧問弁護士が、すべてを取り仕切っている。
もちろん、社長である、西園寺雄太郎氏の許可を得てのことだが、だから、ここでいう取締役会というものは、
「表向きと、裏とで、二つ存在している」
といってもいいだろう。
表向きには、取り締まり役のすべての人がかかわっているが、裏では、そのうちの一部だけが知っていて、暗躍にかかわっているといってもいいだろう。
そんな会社なので、下手に探ろうとすると、警察であっても、
「そこから先は決して立ち入ることのできない結界のようなものがある」
ということになるのだ。
そこに、門倉刑事たちは、入り込もうとするのだから、少し厄介だといってもいいだろう。
実際に、門倉刑事たちが探りを入れようとしても、まるで、
「最初からなかった」
かのように、少なくとも、存在しているであろうものが、存在していないというところでしかなかった。
それも、納得いくようになっていることで、
「これ以上、どう調べればいいんだ?」
ということになるのであった。
捜査する側とすれば、
「まるで、証拠隠滅でもされているかのようだ」
としか思えない。
しかも、それは、一瞬にしてできることであり、
「きっと、いざという時のために、訓練していたというか、それだけの力が存在している」
ということで、警察の、
「おのずと、その力には限界がある」
という権力などでは、到底かなうものではないのだろう。
そんなことを考えていると、
「我々が考えて行動すると、すでに、後手後手に回っているように思える」
という、
「負のスパイラル」
というものに陥り、
「動けば動くほど、アリジゴクに嵌っていくような気がする」
と感じるのだ。
それだけ、
「西園寺グループ」
という組織が、戦後を乗り越え、
「バブル崩壊」
をチャンスとして待ちわびていた状態から、今までの地位を築いていたということを考えると、
「そこに、彼らの知恵というものが表にあるとすれば、それによって培われた力というものが、裏に存在している」
ということになるのであろう。
そんな
「西園寺グループ」
に対して、大っぴらに動けば、却って目立ってしまって、奥に入り込めなくなってしまう。
かといって、すでに誘拐事件が起こり、その捜査に乗り出してしまったのだから、
「すでに面は割れている」
ということで、
「内偵」
などということもできるはずもない。
それを考えると、せっかく、副本部長の許可を得たのに、前に進めないということになるではないか。
だが、
「我々のことを読まれているから、先に進めない」
ということなのか?
それとも、
「最初からやつらは、こういうことを予測していて、その体制をずっと築いてきたことで、近づこうとしても、近づけない」
ということになっているのか?
と考える。
前者であれば、
「狂言誘拐」
というものが、説得力を持ってくるというもので、
「警察に対して、策を施すくらいであれば、もっと、誘拐事件に力を注ぐというものだろう」
誘拐された子供の身を案じている普通の父親ということであれば、もっと、真剣にそちらに注視するはずだからである。
もっとも、
「奥さんが若い」
ということもあって、かなり年を取ってからの子供ということで、できた時には、それだけの喜びというものがあったはずだ。
それを思うと、
「警察の方に、注力できる」
ということであれば、
「子供は安心」
と最初から分かっていて、少なくとも警察を愚弄しているのかも知れない。
許せないことではあるが、本当の誘拐ということで、
「人質に万一のことがある」
ということになるよりも、よほどましだということだ。
もちろん、上層部はそんなことは思わないだろうが、少なくとも、現場の人間からすれば、
「無事に人質が解放されるのが一番」
ということである。
もちろん、
「犯人逮捕」
がその次の優先順位だが、
「人質解放さえできれば、それで一段落だ」
ということになる。
ただ、実際にそうだろうか?
もし、犯人が味をしめて、
「他にまた犯罪を犯しかねない」
ということになるかも知れないし、
それ以上に、
「模倣犯が頻発する」
ということになれば、警察の威信は失墜するといってもいいだろう。
何といっても、それは、
「警察が頼りないから、模倣犯が出るのだ」
ということで、その責任の矛先が警察に向くということが分かり切っているからだといえるだろう。
そんなことになれば、
「人質が無事でよかった」
という問題ではなくなってしまう。
治安が乱れ、下手をすると、沸き起こった誘拐事件の中には、
「本当に人質が殺される」
ということになれば、
「あの時、犯人の好き勝手にされてしまい、人質が無事だったということで、満足した警察が悪い」
ということになるだろう。
「決して満足したわけではない」
というのが警察の本音であろうが、世間はそうは見ない。
それだけ、
「世間は、上から目線でしか見ない」
ということになるだろう。
そんな状況は、
「起こってしまっては、後に祭りというものだ」
つまり、
「後悔先に立たず」
ということである。
特に、時間が勝負ということで、
「一刻を争う」
という時は、余計にそんなことを考えるのであろう。
だから、別動隊として暗躍している方も、
「急いては事を仕損じる」
ということわざもあるが、ゆっくりもできないというジレンマもある。
「計画は入念に練らなければいけないが、できた計画を迅速に行う」
ということになるであろう。
そういう意味で、
「計画というものが、いかにうまく進行するか?」
ということを考えれば。彼らの任務は決して軽いものではなく、むしろ、捜査本部としての優先順位は高いところにあった。
というのも、実は、捜査本部も、薄いところではあるが、
「狂言誘拐ではないか?」
という考えが、上層部にはあった。
というのも、
「西園寺グループに不穏な動きあり」
ということが、公安あたりから話が伝わってきていたのだ。
もちろん、警察内でも公安でも、
「トップシークレット」
ということで、最高のかん口令だったのだが、
それは、
「国家を揺るがし噛めない企み」
ということだけは分かっていた。
それが、
「何かの詐欺のようなものなのか?」
あるいは、
「武力によるクーデターのようなものなのか?」
ということが、まことしやかにささやかれていた。
どちらにしても、由々しき状況であり、それをいかに防ぐかということが今の警察トップの問題であった。
そんなところで起こった、
「西園寺家を巻き込む誘拐事件」
それを聞いた上層部は、すぐに、
「これは、やつらが暗躍をごまかすためのカモフラージュではないか?」
と思えた。
彼らは自分たちの計画を、警察や公安が察知しているということを知っているのだろうか?
もし、知っているとするならば、
「この計画は、最初から仕組まれていたことではなく、警察や公安に対しての、実質上のけん制としての、やむを得ないものだったのではないか?」
と感じるのだ。
しかし、逆に、知らなかったとすれば、
「やつらは、最初からカモフラージュとして、誘拐を考えていた」
ということになり、警察も公安も、
「西園寺グループにしてやられた」
ということになるだろう。
それは、警察にとっては、屈辱的なことであり、それでも、相手の頭脳に敬意を表するという考えにならないといけないということであろう。
その状態で、
「敢えて、相手と同じ立場に立って、こちらも動く」
ということへの戒めとして考えられることではないだろうか。
それを思えば、
「果たしてどっちなのか?」
ということは、結構大きな意味を持っている。
ただ、西園寺グループくらいの天才集団が揃っていれば、前者の、
「やむを得ない計画」
だったとしても、彼らはそれに対しての対策というものは、キチンとできているということではないだろうか?
それを思えば、事件がなかなか解決しないようでは、今度は相手に見透かされてしまい、元々の彼らの目的通りに、カモフラージュされることになる。
ただ、これはあくまでも、
「警察の思い込みである」
ということで、本当の誘拐であった時は、それこそ、西園寺グループだけではなく、すべての国民に、詫びても詫びきれない状態になってしまう。
「警察は無能だ」
であったり、
「やはり、警察組織の融通の利かなさから、こんなことになってしまったんだ」
ということになるだろう。
そうなってしまうと、
「法治国家」
と言えなくなってしまう。
法というものはある程度整備されているとしても、それを行政としての担い手である警察や公安が、
「無能だ」
というレッテルを貼られてしまうと、どうしようもなくなるというものだ。
何かがあった時、
「治安を維持する」
ということで配属される警察官のいうことを、いざとなった時に誰も聞かないなどということになると、一大事である。
日本には、軍もなければ、
「戒厳令」
というものも存在しない。
自衛隊も、内閣の指示に従うだけで、警察ほどの、治安維持の力を、いざという時に発揮できないのではないかと思えるのだ。
そもそも、自衛隊というのは、
「実行部隊」
であり、
「有事の際の治安維持への勤め方」
などは分かるだろうが、警察が本来行うべきところを自衛隊に任せるのは酷である。
しかも、それをやっているうちに、実行部隊としての活動がおろそかになってしまえば、それはそれで、
「本末転倒ではないか?」
ということになるであろう。
そんなことになってしまってはいけないわけで、警察機能がマヒするということは、
「治安維持」
というものができなくなり、無法者と言われる状態になってしまうことだろう。
それこそ、
「弱肉強食」
の世界であり。
「強い者だけが生き残り。弱いものは、強いもののための餌食になる」
ということである。
そうならないように、日本はずっと
「法治国家」
である。
大日本帝国の時代も、天皇による絶対君主ではなかったではないか。
「憲法に則った、立憲君主の国」
ということだったのだ。
憲法が大切なことだというのは、列強に結ばされた不平等条約の撤廃と、最優先とした明治の元勲の時代から分かっていたことである。
そんな時代が敗戦によって、民主国家に変わったのだ。主権が国民に移ったということで、まったく違う国に生まれ変わったというのは、それだけ、「
「君主というものが大きかった」
ということであろう。
実は、西園寺一族は、
「財閥の混乱」
という状況に乗じて、
「国家転覆を狙ったことがある」
というウワサがあった。
この話には、思ったよりも信憑性がないと言われていたが、それはやはり、
「損得問題」
が大きかったことだろう。
彼らは、最初、
「国家を転覆させ、そこから自分たちがGHQにすり寄って、国家が混乱している間に、
「この国も影のフィクサーになろう」
と考えたのだ。
しかし、それが水泡に帰すということになったのは、
「朝鮮戦争の勃発」
ということであった。
朝鮮戦争というのは、そもそも、
「朝鮮半島を、北と南で、分割統治」
という形にしてしまったのが大きな間違いだったのではないだろうか?
特に、北の共産ゲリラと言われる、いわゆる、
「パルチザン」
と呼ばれる連中が、国家を、ソ連の後押しもあって、
「共産国家」
にしてしまったのが大きかったのだろう。
しかも、彼らは、
「朝鮮半島の統一」
を目指していた。
今まで、日本に併合される前は、古代以降の、
「李氏朝鮮」
になってからは、
「統一国家の道」
を歩んできたのである。
それを考えると、南部のアメリカを中心とした民主国家というものが邪魔だったというのも分かるというものである。
だから、一触即発の状態であり、しかも、それぞれに、統一をもくろんでいることは、それぞれに、独立し、建国したことからも分かるというものだ。
もっといえば、
「ヤルタ会談によって、ソ連が日本に参戦し、満州に攻め込む」
という密談が成立した時点で。
「朝鮮戦争」
というものは避けられない状況にあったといえるだろう。
日本が敗戦し、世界大戦が終了すると、今度は植民地となっていた国が一斉に、
「独立戦争」
というものを起こし、世界地図は、相当変わった。
アジア、アフリカの各国が次々に独立し。ベトナムを中心とした、
「インドシナ地方」
は、そもそもの宗主国であったフランスが、
「ゲリラに負ける」
という醜態をさらしたのも、独立機運に拍車をかけたといってもいいだろう。
その結果が、それから、20年後に起こった、第二次インドシナ戦争、つまりは、
「ベトナム戦争」
という悲劇だったのだ。
朝鮮戦争も、相当な悲劇であった。
「日本に落とされた爆弾を超えるだけの弾薬が、あの朝鮮半島に落とされたのだから、相当なものだった」
ということになるであろう。
しかし、実際に朝鮮戦争に出撃していった、
「多国籍軍」
というのは、ほとんどが、
「日本にある米軍基地からの出発」
ということで、
「武器弾薬は、日本で調達する」
ということになった。
日本における出撃で、日本には、
「軍需景気」
というものが巻き起こり、経済復興に、かなりの影響があり、
「一気に日本は、経済復興を果たした」
ということで、
「奇跡」
と言われたものだった。
だから、戦後20年も経たないうちに、万博やオリンピックを開催できるまでになったのである。
何といっても、日本のほとんどの都市という都市が焼け野原だった状態にである。
それを思えば、
「日本という国が奇跡を起こせたのも、運がよかった」
というだけのことであろうか。
韓国も、朝鮮戦争からの復興に、
「ベトナム戦争」
というものが一役買った。
ということは、
「戦争で崩壊した経済を立て直すには、他の国が戦争を起こして、その特需に預かる」
というのは、奇跡でも偶然でもなく、
「まるで自然界の摂理」
といってもいいような、循環機能なのかも知れない・
そんなことを考えてみると、
「朝鮮戦争がきっかけ」
ということで、日本の国家は、
「よかったよかった」
ということになるのだろうが、
「これから闇で暗躍しようと思っていた西園寺一族」
にとっては、
「これほど計算外のことはない」
ということであろう。
ただ、それも、最初から、
「ダメだった時のことくらいは、計算している」
ということで、無理な時は潔く引くという作戦はできていただろう。
だから、慌てることもなく、何事もなかったように、時代をやり過ごすことで、逆に、
「俺たちは、表に出るのではなく、あくまでも、裏で暗躍するということの方が、似合っているのではないか」
ということであった。
だからこそ、彼らにとって、その時代をうまくやり過ごすことで、
「影のフィクサー」
と言われ、
「日本の最高権力者」
ということになるのだろう。
それは、ソーリよりもえらい大統領ということであろうか、歴代のソーリも、すべて、
「西園寺一族の手のひらの上で転がされていた」
ということになる。
中には。西園寺一族に逆らうソーリもいただろう。そういう時は、裏から手をまわして、「閣僚を陥れ、任命者責任を負わせる」
などして、じわじわ追い詰めて、
「ソーリを辞任に追い込む」
ということもあっただろう。
そもそも、ろくなソーリがいなかった国家なので、
「西園寺が動かなくてもよかった」
といえるのであろうが、それだけ、
「自分ではどうすることもできないほどの無能なソーリが多い」
ということになるのであろう。
それが、この国であるが、それも、
「西園寺一族が裏に徹する」
ということからこうなったのだった。
本当に西園寺一族が表に出ればどうなったか? これは、永遠の謎だといってもいいだろう。
西園寺一族が表に出なかったことで、実はその時に、
「彼らに対して、かなり恨みを抱えてしまった」
という人が結構いたという。
そもそも彼らは、
「西園寺一族とは深いつながりで、西園寺一族が表に出ることで自分たちも光を浴びることができる」
ということで、躍起になって、先頭部隊を勤めていたのであった。
しかし、実際には表舞台に出ないということで、結局、せっかく積み重ねてきたものがおじゃんとなってしまい、その場で見捨てられてしまったということになってしまったのであった。
それだけ、準備もしてきたし、覚悟もしたし、金も使った。
それは、あくまでも、
「西園寺が表に出ることで、何倍にもなって返ってくるはずのものだったのだ」
それなのに、何も出てこないということは、
「俺たちには、何も浮かばれない」
ということで、
「何倍にもなって戻ってくる」
というどころか、
「首が回らなくなってしまった」
という人はまだしも、
「手が後ろに回ってしまった」
ということで、
「西園寺の後始末」
ということでの、生贄のようになり、
「家族は犯罪者」
ということになり、
「借金だけが残ってしまい、完全に離散してしまった」
という家族や会社がたくさんあった。
まさに、
「掛けられた梯子に登ると、そこで外されてしまった」
ということであった。
「戻ることもできず、そこで孤立してしまい、攻撃にだけ遭い、すべての名誉もプライドもズタズタにされたまま、瀕死の重傷になってしまった」
ということになるのだ。
そんな人たちがいることを、西園寺の一族は認識しているのだろうか?
仙台も先々代も、そんな昔のことは、もし知っていたとしても、
「俺たちに関係のないこと」
ということで、どうしようもない状態になっていたことであろう。
それを思うと、
「俺たちへの復讐を考えている人など心当たりがない」
と思っているのであった。
ただ。実際に、
「西園寺ほどの大きな組織」
ということになると、知らないところで泣いている人がいたとしても、そんなことをいちいち気にすることもないといえるであろう。
それが今の時代であり、
「俺たちが知らないところで暗躍していた」
ということであっても、
「自分たちの組織に歯向かうというのは、自殺行為だ」
とも思っているかも知れない。
それだけ当主は、いくら誘拐であっても、最後には、自分たちの組織が何とかしてくれると思っていて、
「やつらも、人質を傷つけるとどうなるか?」
ということは分かっているだろう。
しかし、相手が誰にしても、西園寺に喧嘩を売るというのは確かに自殺行為だ。もし人質を無事に返しても、
「暗躍組織に消される」
ということまで考えが及ばなかったということか?
人質が返されたのは、それから少ししてのことだった。身代金の話が出たわけではなく、まるで、
「何もなかったかのごとく」
人質が返ってきたのだ。
その時、門倉刑事は、
「ひょっとすると、西園寺一族の裏組織が、警察に先んじて暗躍したのではないだろうか?」
と感じたのだ。
しかし、実際にはそんなことはなかった。
探っていた中で、暗躍した雰囲気もない。そして何よりも、西園寺雄太郎自身が驚いているのだ。そして、それは、
「西園寺雄太郎が、犯人が誰だか分かっていたのかも知れないということではないか?」
ということに結びついていると考えられた。
そんなことを想像してみると、
「やはり何か分からない組織が暗躍しているのかも知れない」
とも思ったが、
「西園寺一族に対抗できるような組織があるわけはない」
としか思えなかったのだ。
しかし、警察は、
「人質が無事に返ってきたので。よかったよかった」
というわけにはいかない。
実際に警察の仕事はここからなのである。
というのも、
「警察の仕事は犯人検挙」
ということであり、なぜなら、ここで犯人を逮捕できなければ、一番問題となる、
「警察の権威というものがなくなる」
ということになる。
そうなると、前述のように、治安が乱れ、犯罪を起こそうとする連中に、
「警察なんて頼りないだけで、怖くもなんともない」
と思われてしまうと、
「警察不要論」
であったり、警察以外の、もっと強力な組織の出現が待たれるという世界にならないとも限らない。
治安を守るという意味で、警察というのがどういう組織なのかを考えさせることになると考えれば、
「力で抑え込む」
ということになれば、その力は、次第に派閥の争いに転嫁し、下手をすれば、巨大な組織が途中で空中分解してしまい、本来の、
「治安維持」
という目的が、
「派閥争い」
ということになってしまうと、組織がどうにもならなくなってしまうということも考えられる。
それを考えて警察も、今度は迅速に犯人逮捕を目指して捜査が続いていたが、やっと、犯人が誰かという手がかりが出てきて、その人物をこれから捜査しようという矢先、その人物が、
「心中事件を起こしていた」
ということが分かった。
「犯人は複数いる」
ということは、誘拐事件だけに分かっていたような気がする。
その中で一人の容疑者が浮かんだところで、その人物に、
「彼女がいる」「
ということは分かっていた。
そして、事情聴取をしようとして、
「任意で引っ張る」
というところまで来ていたのだが、肝心の重要参考人が、
「数日前から行方不明」
ということであった。
住まいに行ってみると、マンションの隣の人がいうには、
「ここ数週間ほどお留守ですよ」
ということであった。
なるほど、郵便受けには、新聞が溢れかえっているではないか。それを見れば、帰っていないということは、一目瞭然だったのだ。
「心中事件だ」
ということで、署に通報があったのが、それから2日ほどしてのことだった。
「不審な車が止まっている」
ということで、山間の森の入り口から通報があった。
「ここには、そんなに車が入り込むことはないですからね。早朝に見かけて、数時間してもまだ止まっているので、おかしいと思って覗き込むと、カップルじゃないですか? 二人とも寝ていて、ぐったりしているようにも見える。だから通報させてもらったんですよ」
と第一発見者がそういった。
扉は開いていて、中を確認すると、女の方はすでに冷たくなっていて、運転席の男は、虫の息だったようだ。救急車を呼んで男は緊急搬送され、今は、集中治療室で治療中だということであった。
男の身元は免許証からすぐに分かったが。それが、警察が追っている容疑者だと、通報時点ですぐに分かったので、門倉刑事がやってきたが、
「しばらく、予断を許しません」
ということであった。
女性の身元も分かり、彼女だということも分かったのだ。
しかし、彼女の方は、すでに息が絶えており、男性の方も、難しい状況だということだ。
ただ、警察は彼の意識が戻るのを待ちながら、捜査は続けていた。
「どうも、心中も何かおかしな感じがしますね」
と調査した刑事が言った。
「どういうことなんですか?」
というと、
「あの場所に毎朝、森林調査の人が入っていくことになっているようなんですよ。だから、心中をするのであれば、あんなすぐに見つかるようなところでするというのも、おかしな感じがするんですよね。しかも、その場所で発見された時、鍵がかかっていなかったというじゃないですか。まるで、発見されるのを待っているかのような気がするんですよ」
というのだ。
それを聞いた門倉刑事は、
「私も何かおかしいと思っていたんですよね。一緒に服毒したわりには、女の方は結構すぐに死亡したようなんだけど、男の方は、そこまですぐに死んだという感じではなかったらしいんだよな。明らかに、、女は致死量以上であり、男の方が致死量未満だったということになるんだろうからね」
と言った。
「じゃあ、狂言心中ということでしょうか?」
というと、
「何も狂言で心中するとしても、自分でも苦しむことは分かっていて、そこまでするんだろうか? 何か別の力が働いているように思えて仕方がないんだけどですね」
ともう一人の刑事が言った。
「なんともいえないが、こうなってくると、本当に心中未遂をしたこの容疑者の男性は、本当に誘拐犯なのか? ということも疑わしくなってきたという気がするな」
と、門倉刑事はいった。
「確かにそうですね。何といっても、誘拐をしておいて、何もなかったかのように人質を解放してきているんですからね」
ということであった。
確かに、人質は返された。捜査本部の一部では、
「狂言誘拐ではないか?」
と思っていたので、実際に無事に解放されたのを見ると、その疑いも濃くなったといってもいいだろう。
だか、それがどこまで信憑性があるというのか、実はよく分かっていない。
門倉刑事にとって、今回の、
「心中未遂事件」
というのは、正直、
「想定外のできごとだった」
といってもいいだろう。
「まるで、犯人が警察を嘲笑っているかのようだ」
と思えてならなかった。
「警察を犯人側が愚弄しているんだ」
と考えるのであった。
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