何もない村と盲目の少女――2
リリアナさんの家に戻り、しばらくゆっくりとさせてもらった後、夕食の時間になった。
チャーリーは客室に残り、僕とクルシェはダイニングへ行った。
「すみません、こんなものしか出せませんが……」
リリアナさんが豆と芋がごろごろはいったスープと小さなパンをテーブルの上に置いた。
「いえ、十分すぎるくらいです、ありがとうございます」
「とてもありがたいです。うん、おいしそうだ」
クルシェと僕がお礼を言ってから、食事を始めた、
温かいスープをふーふーと冷ましながら食べていると、向かい側に座る盲目の少女がパンをスープに浸しながら声をかけてきた。
「ねぇねぇ、旅の話を聞かせてよ、いろんなところに行ってるんでしょ?」
「旅かぁ、そうだなぁ……」
僕はご飯を食べながら、今までの旅で体験したことを語った。
楽しかったことより苦労したことのほうが圧倒的に多いが、そういうことは話さずに、子供が興味を持ちそうなことだけを話した。
人の言葉をしゃべる植物の話とか、赤い海の話とか ある森で見目麗しいエルフに会ったこととか、ある雪の町でゴーストアップルというリンゴの形をした氷の塊を見た話とか、精一杯頭の中で面白そうな話題を探して喋った。
気づいたらご飯を食べ終えていた。盲目の少女は僕の長話を聞いているうちにうとうととし始め、とうとうすーすーと寝息を立ててしまった。
「あらあら……よいしょっと」
リリアナさんは少女を負ぶって、寝室の方へ行った。
クルシェも「眠くなってきました……」と言って、客室の方へ行った。
長い間、しゃべり続けて疲れたので、ふぅと一息吐いて、お茶を飲んでいると、リリアナさんが戻ってきた。
「フェイをベッドで寝かせてきました」
「お疲れ様です」
「そちらの方こそ、お疲れ様です、あ、お茶のお替り、いりますか?」
「あ、では、お願いします」
リリアナさんがキッチンの方へ行き、急須持ってきて、僕の湯飲みにお茶を注いでから、僕の向かい側の席に座った。
「ありがとうございます」
「いえいえ……ところで、ごめんなさいね、旅人が珍しいものだから、あの子、はしゃいじゃって」
「いえ、久しぶりにこんなに人と話せて、僕も楽しかったです」
「そうですか? ならいいのですけど……」
とリリアナさんも自身の湯飲みにお茶を注いで、丁寧に両手で湯呑を持って一口すすった。
「それにしても、本当に旅人なんて久しぶり、いつぶりかしら」
「そんなに来てないんですか?」
「ええ、だって、旅人が寄りたいと思うようなところじゃないでしょう、ここは?」
「いや、そんなことは……」
と口では言ったものの、内心ではまぁそうだよな……と思っていた。
「昔はね、こうじゃなかったのよ、もっと豊かで、明るくて、活気があって、でもね、ある日、モンスターに襲われたの、村にいる人たち総出で何とかモンスターを倒したのだけど、多くの人が死んだわ。私の母親も……。
それでも、私たちは強く生きていこうとしたわ。頑張って村を立て直そうとした。でも、そんな時に、今度は戦争が起きたの。私たちの村に敵国の兵士がやってきて、食料とかを強奪し始めたの。食料を渡すのを拒否した人は殺されたわ。私は素直に渡したからよかったけど……でも、抵抗した父が殺されてしまった……その戦争で村はまた打撃を受けて、どんどん貧しくなっていって、今ではこんな何もないところに……」
のべつまくなしに喋り続けるリリアナさんに、ただただ僕はうなづいたり相槌を適当に打つことしかできなかった。
怒りと嘆きと諦観が代わる代わる訪れているようで、彼女は表情をころころ変えながら話していた。
「あ、ごめんなさい、つい……普段愚痴を言う相手がいないから……」
「いえ、気にしないでください、僕でよければいくらでも聞きます」
「そう、優しいのね」
僕のことをリリアナさんはじっと見つめてくる。
なんだか熱っぽい視線だ。
「ねぇ、夜はまだまだ長いと思いませんか?」
ぽつりと彼女は言った。
「……え?」
「あなたのような旅人が来るのは嬉しいんです。村には若い人がいないし、外からも全然来ないし……」
「は、はぁ……」
いったい何の話だろうか?
「これを逃したら、いつまた機会が訪れるか、わかりませんし……しかたがないでしょう?」
「……しかたがないんでしょうか?」
「はい、しかたがないのです……」
毛先を指でくるくると巻きながら、上目遣いで見てくる彼女。
僕はやれやれと溜息を一つ吐く。
どうしようかな……。
と悩んでいた時、寝室で眠るあの子の姿がふと浮かんで、僕は決断した。
「やはりやめましょう、子供は些細な物音にも敏感なものです。あの子が起きてしまうかもしれない……」
「……そう、残念です」
とリリアナさんは苦笑した。
それから、お互いなんだか黙ってしまう。
少し変な空気になっていた。
この場に居づらくなった僕は、椅子から立ちあがる。
「僕はもう寝ます。おやすみなさい」
そして逃げるように客室へ行くと――
「……お帰りなさい」
ドアを開けた瞬間、クルシェがベッドの傍でジト―とした目でこちらを見て、そう言ってきた。
部屋の端にいるチャーリーからもなんだか刺すような視線を感じる。
「起きてたのか、二人とも」
「嬉しそうですね、ご主人様」
「え、いや、べつに……ていうか、さっきから一体何だ、その態度は?」
僕が大げさに首をかしげると、クルシェの目が鋭くなった。
「リリアナさんから、誘われていたじゃないですか」
「聞いていたのか……」
「ええ、聞いていましたよ、それにしても、すごく嬉しそうですね?」
「いや、だから、そんなことないってば……」
「でも、鼻の下、伸びてます……」
「え?」
「いやらしい……」
とチャーリーが責めるような声で言う。
「いやらしいってなんだ、まだ何もしてないだろうが」
「まだ!? まだってなんですか、これからなにかするつもりですか!?」
「落ち着け、クルシェ。揚げ足を取らないでくれ、そこに深い意味はない!」
一時間ほどワーワーと騒いで、ようやく不毛な争いを市ていることに気づいた僕たちは、もう寝ることにした。
そして次の日――
「旅人さん、朝ですよ!」
と誰かが布団をめくってきた。
目を開けると、フェイがいた。その隣にリリアナさんもいて、苦笑している。
「何だい、こんな朝早くから……」
「散歩しよう、散歩!」
とフェイがぴょんぴょんと飛び跳ねる。リリアナさんが頭を下げてきた。
「ごめんなさい、妹が……旅人さんが家にいるのが、嬉しいみたいで……」
「いえ、別にいいですよ。散歩、いこっか」
「やたっ!」
とフェイはガッツポーズをした後、クルシェが寝ているベッドの方にも行き、布団をめくって無理矢理起こしていた。
その数十分後、自転車を押した僕と、クルシェ、フェイが外に出た。ちなみに、リリアナさんは洗濯や掃除をしないといけないとのことで、家に残った。
僕たちが何も言わなくても、フェイは迷うことなく道を歩き、障害物を避けて、歩ていく。
大したものだと思った。
散歩の最中、何人かの村人と出くわしたが、「あそこには果樹園があるよ」とか「おしゃれな時計台があるよ」とか、「大きな池があるよ」とかリリアナさんと同じように、皆フェイに嘘をついていた。
「もう、言われなくても、覚えてるよー!」とフェイが少し怒りながら言うと、皆笑っていた。
このまま穏やかに散歩が続くと思っていたのだが……。
しかし、散歩をしてから一時間近く経った時のことだった。
「あそこには、花畑があるの」
とフェイが何もないところを指差して言うと、
「え、なにもないですけど」
とクルシェがきょとんとして言った。
僕は肘で彼女の脇腹を小突いた。
「ちょっと、クルシェ!」
「あ!」
と口を手で押さえるクルシェ。見る見るうちに顔が青ざめていく。
やっちまったな……。
元々、彼女は思ったことを素直に言ってしまう人だ。最初の内は黙っていられたけど、散歩してから結構な時間が経っているし、気が抜けたのだろう。
恐る恐る、僕はフェイの顔を窺うと……意外なことに、彼女はくすくすと笑っていた。
「大丈夫、気にしないで、気づいていたから……本当は何もないんでしょう? あそこだけじゃなく、他の所も、全て……」
驚いた。知っていたのか。
クルシェはというと、安堵したような、悲しいような、申し訳ないような、いろいろな感情が渦巻いていそうな、複雑な表情になっていた。
「知っていたなら、どうして知らないふりを……」
と僕が尋ねると、フェイは柔らかく微笑んで、
「だって、皆、私のためを思って言っていたんでしょう? その思いを無碍にはできないわ」
先ほど花畑があると指差した、何もないところへフェイは行って、立ち止まる。
「今は何もないけどね、いつか、きれいな花でこの村をいっぱいにするの、そしてそんな美しい景色を飽きるまで眺めるのが私の夢なんだ」
「きっと叶うよ」
「私、目が見えないのに?」
と光を映さないその瞳から、フェイが涙をぽろぽろと流す。
「うん、この世界にはいろんな魔法があるからさ、嫌な記憶だけを忘れさせる魔法もあるくらいなんだ、目が見えるようになる魔法もきっとある、僕が探してくるよ」
「じゃあさ、またこの村に来てね、それで、花でいっぱいになったこの村で、目が見えるようになった私と散歩してね、約束だよ?」
「うん、約束する」
* * *
散歩を終えて、朝食をいただいた後、村を出ることにした。
村の入り口に行くと、村人たちが総出で見送りに来てくれた。
「もう、行っちゃうの……?」
とフェイが目を潤ませて言った。
隣にいたリリアナさんがハンカチを渡そうとするが、彼女は受け取らなかった。
「うん、僕たちは旅人だからね、一つの所にずっとはいない……でも、また来るから」
「うん……わかった、待ってるからね」
フェイがバイバイと手を振ってきた。
僕たちも手を振りながら、村から出ていく。
「本当に何もない村だったわね」
村からだいぶ離れたところで、チャーリーが言うと、クルシェがぷくっと頬を膨らませた。
「そんなことないです、いっぱいあったじゃないですか」
「いっぱいってなにがよ」
「人々の優しさで、いっぱいです」
盲目の少女に目の前の世界がきれいだと思わせてあげようと嘘をつく村人たち。そんな人々のために騙されているふりをしている少女。
確かに、優しさでいっぱいだった。
いつか、優しさでいっぱいのこの村が、きれいな花でいっぱいになればいいなぁ、と思った。
「うん、そうだな、いっぱいあった」
と僕も言うと、チャーリーが謝罪した。
「そうね、あたしが悪かったわ、あそこは……素敵な村だった」
次はいつ訪れるか、わからない。
それはだいぶ先のことかもしれないけど、それでも、絶対また来ようと、そう誓って、僕たちは旅を続けた。
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