何もない村と盲目の少女――1


 荷台にクルシェを乗せて、今日も自転車を漕いでいると、遠くに村っぽいものが見えた。


「あそこは何もない村と呼ばれているけど……寄る?」


 とチャーリーがあまり興味なさそうに言う。

 何もない……か。

 それがどういう意味かはわからない。でも、人がそこで生活しているのなら、本当になにもないなんてことはないんじゃないかと思うんだけど……。

 俄然、興味がわいてきた。


「僕はその村に行ってみたいんだけど、二人は?」

「私はいいですよ」

「あたしも、べつにオッケーー」

「よし、決まりだな」


 僕はペダルに載せた足にぐっと力を入れた――



 そして十数分後、村に到着すると、すぐにぞろぞろと村人が集まってきた。


「珍しいな、うちに旅人が来るなんて……」

「いったい何年ぶりだ?」

「何だ、あの乗り物?」


 なんて声が、集まってきた人々の中から聞こえてくる。

 やがて、その中から、一番年齢が高そうな老人が僕たちの前へ歩み出た。


「遠路はるばる、よくぞこの村へ来てくださいました、私がこの村の村長です」

「長旅で疲れたので、とりあえず宿で休みたいのですが、どこにありますか?:


 と僕が言うと、村長は涙目になって体を震わせた。


「おお、この村に滞在してくれるのですか……嬉しいです……、しかし、もう旅人なんて、ずいぶん来ていないものでして、昔はあったんですけど、今は宿がない状態でして……」

 

 そうか、宿がないのか……そうなると、どうしような、そこらへんで野宿するしかないか?

 と考えていた時、


「じゃあさ、私の家に泊まりなよ」


 と群衆の中からある少女が片手を挙げて、前に出た。もう片方の手は障碍者の方が持つような杖を握っている。

 水晶のようにきれいな瞳の子だったが、しかし、彼女は微妙に僕たちからずれたところを見ていた。目が見えていないようだ。


「ねぇ、いいでしょ、お姉ちゃん?」


 と、その盲目の少女は先ほどまで自分の隣にいた、背の高い女性の方を見た。

 髪が長くて、スラッとしたスタイルの美しい女性だった。


「そうね……一部屋空いているし……あ、でも、小さな家ですし、ろくな食事も出せませんが、それでもいいのでしたら……」

「いえ、十分です、寝るところさえあれば」


 と僕が言うと、盲目の少女はパァッと顔を明るくした。


「やった、ほら、来て来て!」


 と少女が杖で前の方を突きながら歩いていった。

 お姉ちゃんと呼ばれていた女性が慌てて彼女についていく。


「こら、一人で勝手に歩いたら駄目といつも言っているでしょう!」

「大丈夫だよ、この村のどこに何があるかは、完璧に把握しているから」


 僕たちも二人を追うことにした。

 ある家の前に着くと、お姉さんがドアを開けて、先に少女を家の中に入れてから、僕たちの方を見た。


「ここが私たちの家です、どうぞ」


 お邪魔します、と僕は言って、自転車を押しながら部屋に入る。クルシェも後に続いた。


「客室までご案内します」


 玄関を出て、廊下を進んでいくお姉さんについていく。

 突き当たりにあった部屋の前で、お姉さんは立ち止まり、ドアを開けた。


「この部屋をお使いください、もとは父の部屋だったんですけど、もういないので……そんなに広くないですが、二人くらいなら泊まれると思います」


 促され、中に入って荷物を置くと、姿が消えていた盲目の少女がこの部屋に入ってきた。


「私、フェイっていうの、お兄さんたちは?」

「僕はテル」

「クルシぇです」

「あ、私もまだ名乗っていませんでしたね、リリアナです」


 とお姉さんがニコリとほほ笑む。

 笑った顔も美しいな……と思っていると、クルシェが僕のことをジトーとした目で見ていた。チャーリーからもなんか視線を感じる。

 なんだよ、二人とも……と思っていると、フェイと名乗った少女が、僕の前にきて、


「ねぇねぇ、お兄さんたち、私が村の案内してあげよっか?」

「ほんと? 是非お願いしたいけど」

「じゃあ、早速行こう!」


 早歩きをする少女に、自転車を押して歩く僕とクルシェがついていく。


「あ、ちょっと待ちなさい、そういうことなら、私も同行します!」


 と慌てた様子でリリアナさんも後を追ってきた。

 家を出て、四人(チャーリーを入れると五人)で村を歩く。

 

「あそこにはパン屋があるのよ」


 とフェイが正確に店の場所を指し示す。

 他にも「あそこは武器屋」、「あそこは薬屋」と少女は僕より少し前を歩きながら村を案内してくれる。


「よく店の場所を正確に指し示すことができますね」


 と言うと、リリアナさんが「いつも散歩しているから、場所を覚えてしまったのよ」と言う。

「えへん」とフェイが胸を張った。


 それから、昔は姉である自分が少女にこんなかんじで店の場所を教えてあげていたこと、また、そのうち教えなくてもフェイ自らが言い当てるようになったことを、リリアナさんは歩きながら話した。


 外を歩いて三十分以上は経過したが、正直なところ、殺風景な村だという感想だ。

 店とか畑とかは一応あるものの、必要最低限の生活をするためのものしか、今のところ見当たらない。

 何もない村と呼ばれているのも、わからなくはなかった。


「ねぇねぇ、見て、あそこには花がたくさん咲いているのよ!」


 と、フェイが突然立ち止まって言う。しかし……


「花……?」


 少女が指し示す方を見るが、そこはただの空き地で花などどこにも咲いていない。

 僕もクルシェも戸惑っていると、リリアナさんが慌てた様子で口を開く、


「そうね、たくさん花が咲いているわね。どんな色の花が咲いているか、覚えている?」

「ええ、もちろんよ、赤い花に、青い花、緑色の花に、黄色い花……色とりどりの花が咲いているのよね、きっととってもきれいなんだろうなぁ」

 少女は何も映さないその目をキラキラさせて、想いをはせていた。

 これは、どういうことなんだろう?


 と思っていたら、クルシェがフェイから離れて、小声でリリアナさんに訊いていた。


「あの、花なんてどこにもないですよね?」

「……ええ、そうね」

「どうして花があるなんてあの子は……」


 と僕も声を潜めて訊くと、リリアナさんは伏し目になって、


「私が昔、あの子に嘘をついたの、この村はいろいろな美しいもので溢れた村だって、そして真実を言えないまま、今日まで来てしまって……」

「なんでそんな嘘を……」


 とクルシェが疑問を口にすると、


「だって、目が見えないんだったら、せめて自分のいる世界がきれいだと思わせてあげたいじゃないですか」


 杖を突きながら前を歩くフェイを、リリアナさんは温かいまなざしで見ている。

 僕はそれを聞いて、転移前の世界を思い出す。

 あの世界の大人たちはたくさんのきれいごとを言っていた。

 斜に構えた僕は、「嘘を吐くな、偽善者が……」なんて当時は思っていたけど、でも、今振り返ると、それらは善意からくる嘘だったのかもしれない。

 全然きれいじゃないあの世界できれいな世界を必死に見せようとしてくれていたのかもしれない。


「私はね、うらやましいのよ、あの子が」


 とリリアナさんがフェイを温かく見守りながらもどこか物憂げな顔をする。

 僕はリリアナさんに視線を向けて、


「なんでですか?」

「だって、目が見えなかったら、こんな汚い世界を見なくていいじゃない」


 苦笑する彼女に、僕は何と言えばいいかわからず、黙ってしまった。

 辺りを見回す。荒れ果てているところが多くて、かつて悲惨な出来事があったことを容易に想像させた。

 リリアナさんが唐突に立ち止まって、


「でもね、たまに迷うの、これでいいのかしらって……ねぇ、このまま偽りのきれいな世界をあの子に見せてあげていたほうがいいのかしら、それとも……」


 と縋るような目で僕を見てくる。

 そんな重要な問題をここに来たばかりの奴に訊かないでくれ。

 うーんと唸りながらしばらく考えるが……


「ごめんなさい、僕にはわかりません」


 迷った末に、そう答えた。

 リリアナさんがくすっと笑った。


「そうですよね、困りますよね、いきなりこんなこと言われても……気にしないでください」


 リリアナさんは僕から視線を外し、フェイの方を見る。

 彼女が今、何を考えているかはわからないけど、妹へ愛情を向けながらも心配していることが窺える表情だった。

 

 その後、三十分ぐらい村の中を歩き回ってから、家に戻った。

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