テルの過去

 あの不幸な人がいない村を出て、自転車をこぎながら、僕は走馬灯のように過去のことを思い出していた。

 夜になり、野宿するころには、過去の嫌な記憶を全て完全に思い出していた。


「あの、それで、その……昨夜、聞き逃した、ご主人様の過去のことなんですけど……」


 焚火を挟んで、僕の向こう側にいるクルシェが言う。

 焚火のパチパチという音とともに、その近くにいるチャーリーのぐがーぐごーといういびきの音が聞こえる。


「ああ、そうだったね、話さないとな、そのことについて――」


 僕は眼前でゆらゆらと揺れ動く炎を見ながら、語り始めた――



* * * 



 これは大学二年生の時、ある講義室で、僕が所属していた文芸サークルの活動をしていた時のこと――


「暑いわねー」


 とサークルの代表者である中波さんが言った。



「そっすねー」


 と、このサークルに所属しているひとりである荒内が、本を読みながら言った。

 何を読んでいるかわからないけど、彼は勉強するとき以外はラノベしか読まない人間なので、たぶんラノベだろう。


 他のメンバーである、法村、細口さん、蓮池さんの方を見ると、全員、なんらかの本を読んでいた。

 ちなみに、僕も先程からずっと小説を読んでいる。


 一応、このサークルは小説や詩を書いて皆で読み合うことを目的として活動するはずなのだけど、実際は週一で集まって、小説や漫画を読んで、ただ駄弁るだけになってしまっている。

 昔はもっと人数がいたみたいだけど、どんどん人がいなくなっていき、いつのまにかサークルのメンバーはこの六人だけとなっていた。


「今年は特に猛暑と言われてるわ……というわけで、肝試しをしましょう!」


 中波さんが黒板にでかでかと、肝試し! と書く。

 

「は? 意味わからん、なんで急に肝試しをすることになった?」


 と法村が本を閉じて言う。

 タイトルがちらっと目に入ったが、法律学関連の本だった。

 彼は法学部の2回生。いつもバッグにポケット六法を入れているらしい。

 

 他のメンバーも彼の発言に、うんうんと頷いていた。

 中波さんがキョトンとした顔で、


「え、言わなくても、わかるでしょう?」

「わかりません」


 と細口さんが読んでいた本から顔を上げて、言う。

 なにを読んでいるかはわからないけど、恋愛小説が好きでよく読んでいるみたいなので、今回もそうかもしれない。


「つまり、こういうことよ」


 暑い→暑さを軽減したい→肝試しをしたら涼しくなるはず→肝試しをやろう! と中波さんは黒板に書く。


 彼女はこのように途中の論理を吹っ飛ばしてちょくちょく発言するので、こういうやり取りは見慣れた光景だった。


「えー肝試し―」


 とあまり乗り気じゃなさそうな細口さん。


「ちなみに、どこでやるんですか?」


 と蓮池さんが本に視線を落としながら言う。

 彼女は純文学が好んでよく読んでいて、無頼派の作家が特に好きらしい。今読んでいるのもそうかはわからないけど。


「旧〇〇トンネルね」


 と中波さんが黒板に書きながら言う。


「え、あの、異界に繋がると言われている?」


 と法村が声を少し震わせて言う。


「そうよ」

「えー」

「俺は……ちょっと……」


 細口さんに次いで、法村が難色を示した。


 が、しかし、中波さんは一度決めたことはごり押しする人だ。

 僕と荒内と蓮池さんは賛成しているからという理由で、強制的に肝試しを行うことになった(正確に言うと、僕と蓮池さんは賛成でも反対でもなくどっちでもいい派だったのだが、中波さんが賛成派に無理矢理カウントした)。


 そして、肝試し当日――


 僕の家からは自転車で行ける距離だったので、僕はいつも使ってるママチャリで現地に着いた。

 他のメンバーは、車で来たり、電車とかバスで来ているようだ。


「何か、雰囲気あるねー」


 とそのトンネルを前にして、細口さんが苦笑いする。


 たしかに、ホラー映画とかの舞台になりそうな感じの場所だった(実際、たしかなっているらしい)


 入口にブロック石が積まれているのだが、中途半端にしか積まれておらず、あれなら普通に中に入れそうだ。

 とはいえ、それは中に入ってはいけない場所だ、という印象を強く持たせてくる。

 僕はわりと心霊番組とか、そういうの平気な方だけど、それでもあの先へ行くのをためらうくらいだった。


「やっぱさ……入るの、やめにしない?」


 言い出しっぺである中波さんが突然そんなことを言いだす。

 当然、みんな「はあ!?」と怒り気味で言う。


「おいおい、そりゃあないぜ、ここまで来ておいて」


 と荒内が大口を開けて言う。


「でも、入り口になんかブロック石あるし、あれ見て、入るの、よくないかなーって思えてきて……」

「まぁ、べつに、私はもともと反対派だったからべつに行かなくていいけど」

「俺も……」


 中波さんの発言に、細口、法村が追随する。


「僕は、どっちでもいいかな」


 と僕が言うと、蓮池さんもこくりと頷いた。

 荒内がやれやれと肩を竦めて、


「情けないな、こんなの俺一人だって平気だぜ?」

「なら、一人で行ってみてよ」


 中波さんがむっとした顔になる。


「おお、いいぜ、一人で行ってやる」


 と荒内が入口へ向かっていく。


「おい、一人でほんとに大丈夫か?」


 と僕が言うと、荒内は後ろを振りかえり、サムズアップをして、


「平気平気、ちょっと中を見てくるだけだから、五分くらいしたら帰ってくるよ」


 と彼はブロック石を登って、先へ行ってしまった。


 それから、大丈夫かな、と皆で心配しながら待つこと十分。

 彼はまだ帰ってこなかった。


「あいつ、五分で帰ってくるって言ったわよね」

「まぁ、そのうち帰ってくるでしょ」


 と心配そうにしていた中波さんに、細口さんがスマホをいじりながら言う。

 しかし、それから三十分が経過しても、荒内は戻ってこなかった。

 さすがにまずくない? という雰囲気になる。


「あいつ、大丈夫かな」


 と中波さんがスマホの画面を点けたり消したりを頻繁に繰り返しながら言う。

 

「ニ十分前にあいつにメッセージ送ったんだけど、まだ既読すらついてない」


 と法村がスマホの画面を見せながら言う。


「どうしよう……」


 と焦り出す細口さん。


「あと、三十分待ちましょう、それで来なかったら、様子を見に行きましょう」


 と中波さんが言うので、みんな従うことにした。

 それから、さらに三十分が経過したのだが……荒内はやはり帰って来なかった。


「しかたないわね、様子を見に行きましょう」


 と中波さんが覚悟を決めた顔で言う。

 法村以外のメンバーが、うん、と頷いた。


「え、まじ? まじで行くのか?」


 と法村が目を大きくしながら言う。


「やめようぜ、絶対やばいやつだよ、これ、やっぱ出るんだよ、ここ」

「出るって何、幽霊がってこと? 迷信よ、そんなの」


 と小馬鹿にしたような感じで、細口さんが言う。


「じゃあ、なんで荒内のやつは帰って来ないんだよ」

「それは、わからないけど……」

「俺は行かないぜ、お前らだけ行けよ」

「はぁ、ちょっと仲間を見捨てる気!?」


 と中波さんが叫ぶ。


「悪いか?」

「悪いわよ、見損なったわ、こんな冷たい奴だったなんて!」

「なんだと! そもそも中波さんが一人で行って来いとか言わなければこんなことにはっ!」

「だ、だって、あれは荒内が、一人で平気とか言うから……」

「ちょっと、喧嘩はやめなよ、今、そんな場合じゃないでしょ……」


 と細口さんが、中波さんと法村の間に割って入る。


「で、どうするの、結局、行くの、行かないの?」


 と腕を組みながら、蓮池さんが言う。


「私は行くわ、他に行ってもいい人は手を挙げて」


 中波さんがそう言うと、法村以外全員が手を挙げた。


「決まりね、法村はここに残っていいわ、私たちはいくから」


 と中波さんが少し見下した目で法村を見る。


「まじかよ、ど、どうなっても知らないぞ?」


 僕たちは法村を残し入口へ向かい、ブロック石をよじ登る。


 自転車をブロック石の上から通過させるのに、僕が少し戸惑っていると、中波さんから「入口の前に置いていけば?」と言われた。


「あんなところに置いていたら、違法駐輪になりますよ、それに盗まれるかもしれないし……最近、自転車の盗難、増えているみたいなんで」

 

 と言いながら、自転車を入口の向こう側に持ってこさせるのに成功した時、


「待て、待ってくれ、置いてかないでくれ、俺も行くよ!」


 と法村も積まれたブロック石を越えてこちらにきた。

 そんな彼にみんな目を合わせて、苦笑した。


 荒内以外、全員揃ったし、早速、先に進むことにした。

 中波さんが懐中電灯を点ける。蓮池さんも懐中電灯をバッグから取り出したが、細口さんと法村は持ってこなかったらしくて、スマホのライトで先を照らしていた。

 僕も懐中電灯を持ってきていなかったが、自転車にオートライトが付いていたので、その光を頼りにして前へ進むことにした。

 今のところ、薄暗いが、普通のトンネルという感じだ。なんで心霊スポットになっているのがよくわからないくらい。


「な、なんだ、たいしたことないな……」


 と法村が僕の真後ろを歩きながら言う。

 他の女子三人ですらそれほど怖がっていないのに……。 


 「荒内ー!」と僕たち五人はしきりに彼の名前を叫びながら、トンネルの向こう側へ向かって歩いていた。

 もう歩き始めて十分は経っていたが、いまだに荒内の姿はなく、僕たちの呼びかけへの返事もなかった。

 そのうち、僕はあることに気づいた。


「あれ、声、減ってない?」


 今まで五人の声がしていたけど、一人減っている気がする。


「細口さんがいないわ!」

 

 中波さんが前後左右を懐中電灯で照らして叫ぶ。


「え、どこへ行ったの?」

「わからない……」


 蓮池さんの疑問に中波さんがすぐに答える。


「や、やっぱこんなところ、来なきゃよかった……」


 と法村がガタガタと震える。


「み、みんな、これからどうする?」


 露骨に焦りを表情にだした中波さんが言うと、


「一旦、戻らないか?」


 と法村が提案したので、みんな後ろを向いて、先を光で照らしたが、その先はどこまでも暗闇が広がっていて、光が見えなかった。


「戻るっていったって……」

「あれ、このトンネルってここまで暗かったっけ?」


 中波さん、次に、蓮池さんが発言した。

 確かに、言われてみると、なんだか入ったときよりも暗くなっている気が……。


「あ、あと、5分! 5分だけ先へ進みましょう! それで見つからなかったら、戻りましょう!」


 とサークルの代表である中波さんが言うので、僕らはそれに従うことにした。

 それから荒内と細口さんの名前を叫びながら前へ進んでいくこと五分。


「中波さん、もう、五分経っていますよ……」


 と僕は言うが、返事がこない。


「あれ、中波さんは?」


 と疑問を口にすると、蓮池さんから返事がきた。


「わからない、さっきまで近くにいたはずなんだけど……」

「嘘だろ……あれ、法村は?」

「あ……法村君もいないわ!」


 シーンと沈黙が訪れる。僕と蓮池さんは見つめ合って、


「と、とりあえず、戻ろうか」

「そ、そうね」


 来た道を引き返していると、僕の隣で蓮池さんがこんなことを言ってきた。


「ねぇ、こんな状況で言うのもなんだけどさ……私、ずっと前から矢島くんに言いたいことがあって……」

「なんだ?」

「いや、やっぱり、出てから言うわ、なんか、今言うのは縁起が悪い気がする」

「わかった、じゃあ、それを聞くのを楽しみにしてるよ」

「うん、二人で、絶対ここから出ましょうね」

「ああ、もちろん……」


 それからも、ずっと蓮池さんと一緒に入り口へ向かっていた。

 しかし、30分以上経過しても、全然景色が変わらない。

 そろそろ、入り口が見えてきてもいいころのはずなんだけど……。

 少し、歩き疲れてきた。


「蓮池さん、大丈夫、疲れてない?」


 と隣を見るが、蓮池さんはそこにいなかった。返事もない。

 辺りを見回すが、どこにもいない。

 ……まじか。

 ついに、一人になってしまった。


 どうしよう、と思いながら、ひとりで歩いていると、光が先に見えてきた。

 よかった、これでトンネルから出られる、と思い、自転車を押して走ったが、その先は――


「なんだ、ここ?」


 見渡す限り広がる草原。

 遠くに、ファンタジー作品で見たような、オークやゴブリンなどのモンスターが何体かいる。


 トンネルを抜けると雪国であった、という有名な文学作品の一文があったけど、今のこの状況は、トンネルを抜けると……異世界だった?


「あんた、だれ?」


 どこかから、人の声が聞こえる。

 あたしって一人称だけど、男の低い声だった。


 辺りを見渡すが、どこにも人が見当たらない。


「どこ見てんのよ、ここよ、ここ」


 声がした方向を見ると、そこにはママチャリが……


 ……え?


「まさか、おまえが喋ってるのか?」

「そうよ……なにをおかしなことを、って、なによ、この体!」


 不思議なことに、このママチャリは自分の体に自分で驚いていた。いや、それ以前に自転車が喋っていること自体、不思議なんだが。


「なんで驚いてんの?」

「だって、あたし、さっきまで人間の体だったのよ、信じられないかもしれないけど、あたし、一回死んで、気づいたら真っ白な空間にいて、そこには神を自称するやつがいて……転生させてあげるけど、人間にはなれないって言われて……そして、気づいたら……」

「ママチャリになってたってわけか」

「ママチャリっていうの、これ?」


 なんでそうなったかはわからないけど、彼はどうやら僕の自転車として転生したみたいた。

 そして僕はというと、どうやら異世界へ転移したみたいだ。


「あんた、名前は?」

矢島輝彦やじまてるひこ

「変な名前ね、じゃあテルってよぶわ」


 変な名前だと? まぁこの世界だともしかしたらそうなのかもしれないけど……。

 少し癪に障ったので、僕も彼を自分が考案した愛称で呼ぶことにした。


「じゃあ、僕はお前をチャーリーと呼ぶよ」

「はぁ、なんでよ?」

「ママチャリだから、チャーリー」

「はあー? せめて、ママって呼びなさいよ!」

「えー、僕、元の世界に母親がちゃんといるからなぁ」

「いいから呼びなさい!」


 なんてやりとりをしていると、遠くの方でモンスターたちがこちらを見ていることに気づいた。

 そいつらがゆっくりとこっちへ近づいてくる。


「そんなことよりさ、モンスター、たくさんいるけど、やばくない?」


 と言うと、自転車が勝手にぐるぐると辺りを動き回る。

 あ、僕が乗らなくても、動くんだ……。


「ああ、大丈夫よ、あれくらいのモンスター、余裕よ」


 顔はないけど、もし顔があったら、にやり、と笑っていそうな声でチャーリーは言った。

 その直後、チャーリーが魔法を使っていとも簡単に魔物たちを倒して、僕は驚いた。

 それから、なし崩し的に、僕とチャーリーは一緒に旅をすることになった



* * *



「これが僕の異世界に来る直前と直後くらいの話なんだけど……クルシェさん?」


 彼女はいつの間にか、スース―と寝息を立てていた。

 て、自分から訊いといて寝たのかよ……どこまで話を聞いていたのかな……まぁいいや。

 僕はバッグから毛布を取り出し、彼女にかけてあげた。

 チャーリーも寝ているし、誰か起きるまで、僕が見張りをしていないといけないな……とあくびをしながら、今日は最悪徹夜をする覚悟を決めるのだった。

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