不幸な人がいない村――1

 数時間おきに休憩をはさみながら自転車をこいでいると、遠くに村が見えてきた。


「あれが次の目的地ね、不幸な人が誰もいない村と呼ばれているわ」


 チャーリーがそう言うと、クルシェは目をキラキラとさせた。


「不幸な人が誰もいない? ほんとだとしたら、とても素敵なところですね!」


 不幸な人が誰もいない……本当なのだろうか?

 まぁ行ってみないとわからないか。

 それからさらに数十分くらい自転車をこいで、村に到着した。

 自転車を降りて、入り口を通ると、じろじろと村人たちから視線を浴びる。


「旅人かい?」


 近くに寄ってきたガタイのいい村人から声をかけられたので、僕は慌てて返事をした。


「あ、はい」

「変わった乗り物だね?」

「自転車っていうんです」

「ふうん、まぁ。なんにせよ、ゆっくりしていきなよ、何ならここに住んでもいいんだよ、ここはとても素晴らしい村だからね」

「この村についてはとてもいい評判を聞いています、不幸な人が一人もいないとか?」

「ああ、そうだよ、見てくれ、みんな幸せそうな顔をしているだろう?」


 とその村人が顔を左右に動かし、辺りを見回した。

 僕も同じように周囲を見たが、たしかに暗い顔の人は見当たらない。


「ほんとだ……でも、どうして、不幸な人がいないんでしょうね」

「この村ではいいことしか起きないからな」


 と自慢げな村人の顔。


 いいことしか起きない?

 そんなことがありえるのだろうか?


「疑問に思ってる顔だな、村長にも聞いてみるといいぜ、お、噂をすれば……」


 前方から顎髭の長い男がこちらに向かってきていた。

 僕たちの前まで来ると、彼は恭しく一礼する。


「ようこそ、マラカ村へ、私はこの村の村長です」

「あ、どうも、僕はテル、彼女はクルシェと言います」


 僕が頭を下げた後、クルシェもぺこりと軽くお辞儀をした。


「旅人が来るなんて久しぶりだ、なんならこの村にずっといてもいいんだよ、とてもいいところだからね、ここは。この村にさえいれば、どんなに嫌なことがあっても、君たちは不幸にはならないよ」


 どんなに嫌なことがあっても不幸にならない?

 どういうことなのだろうか、それは。


「なんでそう言えるのですか?」


 と首を傾げながら言うクルシェ。


「ここに滞在していればわかりますよ」


 と言って微笑んで、村長が去っていった。


「変わった人ですね」


 とクルシェが正直な感想を言う。


 まぁ確かに少し変かもしれないが、それよりも僕はどんなに嫌なことがあっても不幸にはならないという彼の発言が気になっていた。


「あのー、そろそろ宿へ行きませんか? ちょっと疲れてしまったので」


 クルシェが遠慮がちにそう言った後、チャーリーも同意する。


「そうね、宿へ向かいましょうよ、テル」

「じゃあそうしようか、あ、宿の場所を訊くのを忘れていたな……まぁいいか、その辺にいる人に訊こう」


 辺りを見渡し、忙しくなさそうな人のところへ向かい、声をかける。


「すみません、宿ってどこにあるか、わかりますか」

「旅人かい? 面白い乗り物だね、それ」

「自転車というんです」

「へぇ、興味深いね、宿なら、村の中心部の方に一つあるよ、広くはないが、飯はうまいし、きれいに掃除されているし、いい宿だよ」

「ありがとうございます」


 お礼を言ってから、宿へ向かう。

 その途中、多くの人々を目にしたのだが、どの人も悩み事が何もなさそうな、能天気な顔をしていた。

 たしかに、村長や村人たちの言うとおり、不幸な人はいなさそうだ。


「のどかでいい村ですね」


 とクルシェがのほほんとした顔で言う。


「そうだね」

 

 と僕も同意したが、異を唱える者がいた。


「そうかしら、あたしはなんか不気味に感じるわ」


 チャーリーが訝しんでいる様なので、理由を訊いてみた。


「なんでだ?」

「だって、不自然よ、誰だっていいことも起これば嫌なことも起こる、それが人生というものでしょ? だから、みんなが同じ時に同じように幸せそうな顔をしているのは、変だわ」


 確かにそうかもしれない。


「それに、あのガタイのいい村びとと村長の発言に矛盾している点があるのが気になるわ」

「ありましたっけ? そんな点」


 頭の上に疑問符が出ていそうな顔になるクルシェに、チャーリーは教師が生徒に教えるように言う。


「ほら、あのガタイのいい村人はこの村ではいいことしか起きないって言っていたでしょう?

 でも、村長はこの村にさえいればどんなに嫌なことがあっても君は不幸にはならないよって言っていたのよ。

 おかしいじゃない、村人の言うことが正しければ、いいことしか起きないはずだわ、なのに、村長は嫌なことがあっても不幸にならないと言った」

「確かに……言われてみれば、だな」


 そこのところに、なにかこの村の謎を解くカギがあるような気がする。

 僕が歩きながら思索に耽り始めたとき、怒鳴り声が、先の方で聞こえた。


「なにかあったのでしょうか? 行ってみましょう!」


 クルシェが走って、向かって行ってしまったので、僕もチャーリーと共に慌てて後を追いかけていく。


 怒鳴り声が聞こえた場所へ着くと、殴り合いの喧嘩をしている男が二人いた。

 片方は坊主頭の男、もう片方はロン毛の男だ。


「あの、あのあの、喧嘩は、やめた方が……」


 とクルシェが言うが、二人はやめる様子がない。


「部外者は引っ込んでろ」とか言われている始末。

 しかたなく、僕が争っている二人の間に割って入った。


「まぁまぁ、そのへんにしときなよ」


 殴りかかろうとしていた二人の拳を左右の手で止める。


「なんだおまえ!」

「放せ!」


 坊主頭の男が怒鳴ると、ロン毛頭の男も僕に向かって叫んだ。

 

「落ち着いて、二人とも……なにか事情があったら聞くから……」


 暴れる二人を押さえつけながら、僕が言うと、


「こいつがオレの女を奪いやがったんだ!」


 と坊主頭の男がロン毛の男を指差すと、彼は憤慨した。


「奪ってないだろう、そもそも、彼女は君の物じゃない!」

「てめぇ、よくもぬけぬけと、オレが勉強に集中するか彼女と付き合うか悩んでいた時、精神的向上心のないものはバカだ、って言って俺を牽制したじゃねぇか!」

「それ、もともとは君が昔、僕に言ったセリフじゃないか、僕は君のためを思って言ったんだよ?」

「うるせぇ、このくそ野郎が!」

「二人とも、落ち着いて、ほら、今日はもうこのへんにしよう、お互い熱くなってるから、一旦頭冷やそう、な?」


 何とか宥めると、二人はぶつくさ文句を言いながらも、しぶしぶその場から離れていった。


「ふぅ、やれやれ」


 と僕が肩をすくめると、チャーリーが僕の苦労をねぎらってくれた。


「お疲れ、大変だったわね、それにしても、なんだ、嫌なこと、起きるんじゃないの」

「そうですね、喧嘩しているのを見て、私、なんだか安心しちゃいました、この村でもそういうこと起きるんだなって、あ、でも、よくないですよね、こんなこと言っちゃ、うう、ごめんなさい……」


 クルシェの本心からの発言に、チャーリーが同意する。


「いや、でも、あたしもわかるわ、ちゃんと人間らしいことしている奴らもいるのね」


 人間らしい、か。

 全く争わず、幸せそうな顔で、平和的に生きている人たちより、喧嘩している人たちの方が、人間らしいのか……。


 わからなくはないけど、それよりも、嫌なことがこの村で起きたということ事態の方が僕は気になっていた。

 嫌なことが起きたということは、あのガタイの良い村人が言っていたことは嘘ということになるのだろうか?

 宿に向かう道すがら、そんなことを考えていると、


「テルさん、あれ!」


 突如、鬼気迫る様子で、クルシェがどこかを指差してきた。

 その指が示した方を見ると、ある女性が木の枝に括り付けた縄で、首つり自殺しようとしていた。


「あわわ、どうしましょう、止めないと、でも、ここからじゃ、間に合わない」


 あたふたするクルシェ。

 僕は自転車の方を見て、


「チャーリー、お前なら止められるだろ!」

「わかってるわ、今、魔法を放つところよ……ウェントゥス!」


 チャーリーがそう叫んだ途端、鋭い風が向こうの方まで吹き、縄が括り付けてあった枝がバキッと折れた。

 それによって、自殺しようとしていた女性の動きが止まり、呆然とした表情になる。

 僕たちは急いでその女性の元へ向かうと、


「あれ、一体、何が起こって……あなたたちは……」


 とその女性は困惑した顔で、事態が飲み込めていない様子だった。


「急にごめんなさい、あなたが自殺しようとしているのが見えたので、魔法を使って止めさせていただきました」


 クルシェが申し訳なさそうにそう言うと、女性が激怒した。


「なんで……ッ、余計なことを……死なせてよ、死なせて!」


 と彼女は木の枝にくくりつけてあった縄を持って暴れ出す。


「ちょ、ちょっと、落ち着いてください」


 クルシェが必死に宥めているが、彼女はなかなか冷静にならない。

 チャーリーがそんな彼女を見て、ハァッとため息をついて、言う。


「こら、命は大切にしなさい、なにがあったか知らないけど、悩みがあるなら聞くわよ。」


 自殺しようとしていた女性が、チャーリーを見て、パチパチとまばたきした。


「あれ、乗り物がしゃべって……」

「あー、そういう魔法が使われてるんです」

「あ、なんだ、そうですよね」


 納得してくれてよかった。

 今のやり取りで女性が少し落ち着きを取り戻してくれた。


「その、よかったら僕も話し相手くらいにはなりますよ?」


 というと、彼女はぽろっと涙を流す。

 それから涙が止めどなく、ぽろぽろと流れ出した。

 見かねて、クルシェがハンカチを差し出す。


「あ、あの、ハンカチ。よかったら……」

「ありがとう、優しいのね、あなたたち、その、実はね……」


 彼女はハンカチで涙をぬぐいながら語りだした。


「五年以上、付き合っていた彼氏がいて、結婚しようって話までしていたんだけどね、今朝、急に他に好きな人ができたから別れようっって言ってきて……ううう、なんなのよ、あいつ、信じられない!」

「それは、辛いわよね……」


 としんみりとした声を出すチャーリー。

 クルシェも同情した様子でうんうんと頷いている。


「だからって死のうとするなんて……」


 と僕が言うと、その女性がキッと鋭い目つきで見てきた。


「男のあなたにはわからないでしょうね、私の苦しみが!」

「そうよ、失恋ってめちゃくちゃ辛いのよ!」


 なんてチャーリーにまで言われる。

 なんだか経験したことがあるような口ぶりだな。

 

「いや、ごめん、無神経な発言だったよ、でもさ、男なんて他にもいるんだしさ……」

「いないわよ、そんな人……うう……」


 と女性が顔を下に向けて、再びすすり泣き始める。

 かと思ったら、その数秒後、「あっ」と急に声を出し、何かいいことを思いついたように顔を上げ、僕の方を見る。

 なんか嫌な予感がする……。


「そうだ、そこまで言うなら、あなたが私の彼氏になってよ……結婚を前提に付き合いなさいよ!」

「ええっ、そんな、いきなり……」


 彼女を擁護していたチャーリーもさすがに「ええ……」と呆れ気味だ。

 クルシェはぎょっと目を見張った後、なんだかそわそわとしだして、なにやら落ち着きがない様子。


 どうしようか……と悩む。

 いや、べつにその提案を受けようかどうかで悩んでいるわけではない。どうやってそれを断るかで悩んでいるのだ。


「……ごめん、あなたとはまだ会ったばかりだし、それに、僕はまだ旅を続けていたいから、彼氏になるのはちょっと無理かな……」

 

「ひどい、捨てられたわ!」


 と彼女はまたしても、目を伏せ、ぐすんぐすんと泣き始めた。

 捨てられたって、いや、そもそも拾ってすらないんだけどな……。


 ああ、もう何だかめんどくさくなってきた……。

 チャーリーも僕と同じことを持っていそうなかんじで、やれやれと小声で言った後、


「とりあえず、今、あなたは冷静じゃないから、一旦頭を冷やしたほうがいいわ、また明日話を聞いてあげるから今日は家でおとなしくしてなさい」

「うう……そうですね、はい、わかりました……」


 と、彼女はハンカチで時折目をぬぐいながら歩き、トボトボと家の中に入っていった。

 ……なんか、どっと疲れたな。


「宿に向かおう、早く」

「そうね……」

「はい……」


 僕の発言に、チャーリー、それからクルシェも同意した。

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