私って自由だったんだ
誰とも仲良くなれない町を出て、しばらく自転車を街道に沿ってこいでいた。
先程から周囲がほぼ草木しかない光景が続いている。
たまにゴブリンやスライムなどの低級のモンスターが襲い掛かってきたが、自転車でそのまま轢いて吹っ飛ばして進んでいく。
数時間くらいこぎ続けているので、そろそろ一休みしたいな、と思っていた時、ちょうど数十メートルくらい先に、大きな木を見つけた。
「あそこの木陰で休憩しよう」
「わかりました」
「オッケー」
クルシェさん、次いでチャーリーが返事をした。
やがて、大きな木の前に着いたので、その近くに自転車を停めて、木に持たれるようにして座り込む。
「ふぅ」
「お疲れ様です、旅人さん、お茶、飲みますか?」
「それじゃあ飲もうかな」
クルシェさんが自転車のかごに入れていたバッグから水筒を取り出して、カップにお茶を注いで、僕に手渡してきた。
「どうぞ」
「ありがとう」
ごくごく、と喉を鳴らしながら飲む。
アイスティーだった。よく冷えてておいしい。
「ぷはぁ、おいしかった、ありがとう、クルシェさん」
「どういたしまして、ところで、旅人さんにお願いしたいことがあるんですけど」
と僕の傍に座った彼女が言う。
「なんだい?」
「そのクルシェさんってやめませんか、クルシェでいいですよ」
「じゃあこれからはクルシェと呼ぶよ、それじゃあ、僕の方からも一ついいかな」
「なんでしょう」
「その旅人さんっていうの、やめない? 僕は矢島輝彦っていう名前なんだ、だから、矢島でも輝彦でもいいよ、チャーリーは僕のことをテルと呼んでいるからそれでもいいよ」
「そうですね……では、これからはご主人様と呼ぼうと思います」
「……え、なんで?」
「だって、私、メイドですし、前の雇い主からは解雇されてしまったので、新しいご主人様が必要だと思うんです、いやでしたか?」
「いやではないけど」
「それでは、これからはご主人様と呼びますね」
「あ、うん」
ご主人様、か。数年前、日本でメイド喫茶に行った時以来だ。そう呼ばれたの。
まさか異世界でもそう呼ばれるとは……。
でも、正直、悪い気分はしないので、まぁいいか。
「あの、ご主人様、実はもう一つ、お願いがあるんですが」
「なんだい? 何でも言ってごらん」
「その、できればでいいんですが、私も自転車をこいでみたいです!」
と彼女はチャーリーを指差して言う。
「チャーリー、いいか?」
「いいわよ」
「ありがとうございます、実はずーっとこいでみたかったんです」
そして、彼女は自転車をこぎ始めるのだが、
「あわ、あわわわ、これ、バランスとるのが、難しいんですね、あ、あわ、ああっ!」
ガシャン、と倒れ込む。
スカートから少しパンツが見えそうになって、慌てて僕は顔をそらす。
彼女はその様子の僕を見て、顔をさぁっと赤くして、スカートを手で押さえた。
「あ、み、見ました?」
「なんのことだい?」
「見てないんですね?」
「だからなんのことだ?」
「見てないなら、いいですけど……」
クルシェが疑いの目で見てくる。
実はちょっと見てしまった。ほんの一瞬だけだけど。
ごほんと咳払いしてから、話題をそらそうと試みる。
「ところで、怪我とかしてない、だいじょうぶ?」
彼女の傍へ行き、手を差し出した。
「はい、大丈夫です」
彼女は僕の手を掴んで立ち上がった後、パンパンと手で服に付いた土ぼこりを払う。
「ご主人様ってすごいんですね、あんな難しい乗り物を乗りこなすなんて」
「最初は難しく感じるかもしれないけど、慣れたら簡単だよ、最初は僕が押さえてるから、ちょっとずつうまくなろう」
「はい」
それから一時間くらい、僕が荷台を手で押さえながら彼女は自転車をこいだ。
だいぶうまくなってきたからそろそろ一人でこがせてみようかな。
いつまでも僕が助けていたらうまくならないし。
「放さないでくださいね、ご主人様、放さないでくださいね」
「うん、放さない放さない」
嘘だ、今から放すつもりだ。
そろそろかな。
僕は荷台を掴んでいた手を放した。
「は、放さないでくださいね、ご主人様」
「うん、放さない、放さない」
もう放してるけどね。
彼女は僕から離れてものの見事にひとりでこいでいた。
「放さないでくださいね、放さないで……て、手を放してるじゃないですかぁ!」
彼女はちらっと後ろを見て、絶叫する。
「あ、後ろ見てると、危ないよ」
「あ、わわ、わ!」
彼女はバランスを崩して、倒れ込んだ。
「大丈夫?」
「大丈夫じゃないです、ご主人様のばかぁ、うそつき!」
「あはは、ごめん、でも、ひとりでこげていたじゃないか」
「あ、そうですね、言われてみればこげていました、やったぁ!」
と彼女は倒れたまま、ガッツポーズをした。
僕も初めて自転車をこげたときはこうだったなぁと少年の頃を思い出して、なんだかほほえましくなる。
「ほら、手を貸すよ」
と手を差し出したのだが、彼女は僕の手を取らず、地面に倒れ伏して、空を見上げていた。
「どうしたの? どこか痛めた?」
「あ、ちがうんです、ただ、こうやって空を眺めてて、思ったんです、私って自由だったんだなぁって」
「どうしたの、急に?」
「あ、ごめんなさい、突然、変なこと言いだして、でも、私、故郷ではずっと親の言いなりで、それが嫌で家を飛び出したんですけど、流れ着いたあの町のあの屋敷でも、結局、町長やメイド長の言いなりで……、いろんな人に、ずっとああしろこうしろと言われて、私、それをやらなくちゃいけないことだと思っていました。でも、それは思い込みだったんですね。こうやって、この広い世界で自転車をこいで、転んで、空を見上げて、そのことに気づきました。やらないといけないことなんて、人生になかったんだ……」
「そうさ、だから、僕たちは行きたいところに行って、やりたいことをしよう」
「はい!」
「ひとりで起き上がれる?」
「あ、ごめんなさい、手を貸してください」
彼女に手を貸して起き上がらせる。
「ちょっと疲れちゃいました」
と苦笑する彼女。
「今日はここまでにしておこうか」
「またいつか自転車に乗せてもらっていいですか?」
「もちろんいいよ、なぁチャーリー」
「ええ」
「やった、ありがとうございます」
「それにしても、靴が汚れてしまったね」
「あ、ほんとだ」
「ちょっと、その靴、脱いでくれない?」
「へ?」
とあっけにとられた顔をした後、キッと睨んできた。
「な、私の靴をどうするつもりですか、まさか、臭いを嗅ぐつもりですか、へ、変態!」
「いや、単に汚れていたから、拭いてあげようと思っただけだけど……」
「え、あ、そうだったんですか、ごめんなさい、以前の雇い主が、靴の臭いを嗅ぐのが好きな人だったので、てっきりそういう目的かと……」
あの町長、そんな性癖を持っていたのかよ。
「実は時折、メイドたちに靴を脱ぐよう命令して、その臭いを嗅いでいたんです、あの町長さん、好みのタイプじゃなかったのか、私には命令してこなかったんですけど、他のメイドたちは被害に遭っていて、悪口に厳しい街だったのでみんな口には出さなかったけど、顔は引きつっていたので、内心は嫌がっていたと思います」
うん、そりゃあ嫌だろうね。
「ごめんなさい、早とちりして、うう、わたし、また思ったことをそのまま口に出しちゃった……」
「べつにいいよ、それを承知で君と一緒に旅をしてるんだから」
「ご主人様はとても寛容ですね、私、今後は気を付けます」
「君の正直さは美徳だと思うからべつにそのままでいいと思うよ」
「嬉しいです、故郷の人以外でそう言ってくれるの、ご主人様くらいです」
と感激した様子の彼女。
「あ、でも、僕以外の人に対しては、やっぱり気を付けてほしいかな」
今後、いらぬトラブルを招きそうだし。
「あ、そうですよね、気を付けます……」
とまたクルシェはしょんぼりする。
「さぁ、靴を脱いで」
「はい」
と、彼女が両方の靴を脱ぎだした。
彼女の生足がさらけ出される……
「どうかしましたか?」
「あ、いや、なんでも」
彼女の綺麗な足に見惚れていたなんて言えない。
「いやらしい」
チャーリーはそんな僕の内心を見抜いていたようで責める様にそう言ってくる。
「うるさい」
「どうかしましたか?」
と首をかしげるクルシェ。
「あ、いや、何でもないよ、それじゃあ掃除するね」
実は僕は靴を磨くのが結構好きだったりする。
なんとなく、こうしていると落ち着くのだ。
両方の靴とも、汚れをきれいにふき取り、仕上げに少しオイルを塗っておく。
それにしても、この靴、良い皮を使っているな。彼女が使っているバッグも上等なものだし、結構裕福な家庭で育ったのかな?
なんであの町でメイドなんてしていたんだろう?
「はい、掃除し終えたよ」
「わぁ、ピカピカ、ありがとうございます!」
彼女はきれいになった靴を履いて、嬉しそうに飛び跳ねている。
そこまで喜んでくれると掃除した側も嬉しい。
「さて、そろそろ先へ進もうか」
僕が自転車に乗ると、彼女も荷台に乗ってきた。
そして僕たちは旅を続けていく。
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