第21話

 九朗は童夢に連れられて館の庭を歩く。

 特段変わったものはない。いたく丁寧に整えられた芝生。艶が出るほど磨かれた噴水。と、構成するものひとつひとつの質がやけに高いだけ。


 普通であれば褒められたもの。だが猪碌館は普通ではない。なにせ住人が原因不明の失踪をしているのだから、誰が手入れをしているのかという疑問が残る。

 まず考えられるのは童夢。


「とても綺麗な庭だな。手入れしているのは君かい?」


 童夢からの返事はない。沈黙は金。なにも言わなければこれ以上九朗がなにかを知る由もない。

 しかしそれは同時に金のありかを九朗に示すことにもなる。


「では君以外の者がこの島にいる、という訳か」


 やはり童夢からの返事はない。が、徐々に早くなる歩調。この場から今すぐにでも逃げたいという童夢の心境が透けて見える。

 つまりこの問いは確信を突いていた、ということ。


 では童夢が隠そうとしているのは何なのかと九朗は考える。

 まず思い当たるのは猪碌館に住んでいた猿翁えんおう家について。

 神隠し事件の被害に遭ったとされているが、真偽のほどは不明である。


 となれば彼らがいまだこの島にいる可能性も否めない。仮に猿翁家の者が住んでいるのであれば給仕姿の童夢の存在にも説明が付く。ならば招待状の差出人は猿翁家の者であるか。


 九朗の答えは否であった。


 この島には悪魔がいる。それもパイモンに並ぶ格の、強力な魔術を有した。

 主から聞いていた情報はそれだけ。しかしそれだけでも猿翁家がろくな目に会っていないのは想像に容易い。


 その上で猪碌館を賭けたゲームが開かれるとはどういうことか、と九朗は考える。

 脅されたか、交渉を持ちかけられたか……ならばその相手は誰か。

 わからないこと尽くめではあるものの、何者かが裏で糸を引いているのは明確。


 そうなると狙いは何か、と思考を巡らせる。

 大悪魔たちを招待して開かれるゲーム。むしろ疑わない方が無理筋というもの。

 しかし現状、その狙いが何であるかも見えていない。


 ただ一点、断言できるのは大悪魔たちがその企みに勘付いている、ということ。

 九朗がそう考えるのにも理由がある。

 パイモン然り九朗の主然り、誰も自ら猪碌館へは赴こうとしない。


 強力な魔術と高い知能を持ち合わせる大悪魔たちが皆一様に代理を立てる理由。

 恐らくはこの島の悪魔が有する魔術に原因がある。

 九朗が主に尋ねたのは招待状が届いた時のこと――同じ質問を童夢にもぶつける。


「猪碌館の悪魔はどんな魔術を使うんだ?」


 答えは返ってこない。当然といえば当然の結果。だが、なにも成果がなかった訳ではない。真相に向けて一歩二歩と進む考察。九朗は胸元から手帳を取り出し、歩きながらメモを取る。

 眉をひそめながら振り返る童夢。しかし筆は止まらず走り続ける。


「なんだい、これも禁止かい?」

「……いえ、ご自由に」


 写真を撮った時とは明らかに違う反応。それもまた九朗はメモに取る。

 スマートフォンと手帳、写真と手記。そこに何の違いがあるのか。

 考えていると、目の前を歩いていた童夢がピタリと足を止めた。


「着きました。靴は履いたままで構いません」


 目の前の扉を開けて、童夢は九朗を招き入れる。


「おや、入る前に一筆書くものかと思っていたが。失敬、それではいかにも悪魔的だな」


 軽口を叩きながら九朗は遠慮なく館へと入る。薄明るい通路の量端にはいくつも並ぶ木製の扉。年代は感じるものの、やはり中もよく清掃されている。

 しかし殊更に九朗の目を引いたのは、通路の突き当たりにある大きな絵。


 様々な色の絵の具が円や弧を描きながら抽象的な何かを現しているそれは、九朗も知る画家のものであった。

 否、厳密にはそれは贋作。素人なら騙せる程度のクオリティ。


「素晴らしい絵だ。非常に、非常に……」


 笑いを噛み殺すように、九朗は顎に手を当ててゆっくりと近づく。館の主の程度が知れると吐き捨てたくなる気持ちを堪えて、童夢が来るのをじっと待つ。が、一向に足音は近づいて来ない。


 不思議に思い九朗が振り向くと、童夢の姿は既にそこにはなかった。

 風に押されて扉が閉まる。

 ゆらゆらと宙を舞いながら、一枚の紙が九朗の足元に落ちた。


「なるほど、これはこれはご丁寧に」


 描かれているのは館の平面図と集合場所。

 現在地から右に曲がったすぐ先にある食堂へ向かえとの指示に、九朗はらしくもなく従う。


 その途中にもやはり無数の扉。せめてもの抵抗か、逐一わざとらしくメモを取ってみせる。しかし当然童夢からの反応はない。

 淡々と増える手帳の中の情報。中には小言のようなものもいくつか含まれている。


 食堂の入り口が見えてきたところで九朗はパタンと手帳を閉じる。

 立ち止まり、一瞬情報を反芻した後で不意に吊り上がる口角。

 振り向いた背後には、やはりいくつも並んだ木製の扉。


 こんな辺鄙な所に建てられた館にはあまりに過剰。

 詰めの甘さ笑い声を上げながら、九朗は食堂へと入っていった。

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